ローラーコースター・ワールド

山本弘

第1話

 ディ・キャンプ・ポータルから一歩足を踏み出すと、そこはもう未来だった。

 俺はいくぶん緊張しながら、ぐるりと周囲を見回した。初夏の陽射しの下に広がる、見慣れた代々木公園。もちろん木の生長具合やベンチの位置などは現代のそれと変わっているのだろうが、表面上、違いはほとんど分からない。ただ、渋谷駅の方角に、見慣れない高層ビルが見えるぐらいだ。

 ここは本当に二十二世紀なのか? せいぜい十年ぐらい未来なのでは? 念のためクロノブレスレットの年月日表示を確認する。確かに「2118/07/04」になっている。ということは本当に百年後の未来か。

 期待していたイメージと違いすぎるので、俺は軽い失望を味わった。何千メートルもの高さの超高層ビルが乱立し、車が反重力で空を飛び回っているようなファンタスティックな風景を想像していたのだが。

 今日は平日なのか、人影はあまり多くない。まずは誰かに話しかけてみるか。俺の任務は学術調査だ。この時代のことを詳しく知る必要がある。しかもできるだけ早く。別の時代に滞在できる時間は三十分と決まっているのだ。それ以上とどまったら、時空構造を乱してしまう。俺の時代ならスマホでいろいろ検索できたが、たぶんこの時代ではバージョンが合わないだろう。インターネットそのものが別の何かに変わっているかも。

 念のため、自分の姿を見下ろした。無論この時代の風俗など事前に知りようがないのだが、タイムトラベラーだと気づかれると面倒なことになりそうなので、白いワイシャツと黒いスラックスという、時代を超えて通用しそうな特徴のない服装を選んでいた。これなら目立つはずはあるまい──そう思っていた。

 しかし、通行人たちのファッションは、俺とぜんぜん違っていた。新体操選手のようなレオタードの女性。黄色と黒のパジャマみたいものを着た男性。青い全身タイツの少年……海水パンツや褌一丁の半裸の男性もいた。しかも通行人同士はお互いの格好に関心がないらしく、普通にすれ違っている。

 何だ、これは? この近くでコスプレのイベントでもあるのか? それともこの時代では、こんな自由なファッションがスタンダードなのか?

 しかも彼らの行動が奇妙だ。白い下着のようなものを着た女性は、一人で歩きながら、常に横を向いて喋り続けている。まるで透明人間と並んで歩いているかのように。赤いトランクスの男性は、時おり立ち止まっては、見えない球体を抱えるようなしぐさをして、「むーん」とか「はあ」とつぶやく。また別の全身タイツの男性は、「よっ」「ほっ」と言いながら、不規則にジャンプしながら歩いている。その近くでは、ランニングシャツとショーツ姿の女性が、木に身を隠すようにして、きょろきょろと周囲を探りながら進んでいる。

 前方から若い女性が近づいてきた。やや早足で、時おり足を止めては、シャドーボクシングか格闘技の演舞のようなアクションをする。ごついブーツと手袋をしているが、着ているものはビキニの水着のような露出度の高いスタイルだ。今の季節だから、こんな格好でも寒くはあるまいが……。

 思いきって、声をかけてみた。

「あの、すみません」

 女性は立ち止まり、怪訝そうに俺の格好をじろじろ見つめた。俺はよく分からないが、肩身の狭い思いを味わった。

「ちょっとお話をうかがいたいんですが、よろしいでしょうか? この国に来たばかりで、事情が分からないもので」

 彼女は首を傾げた。

「アポセン? GLL? それともシュバリンク?」

「はあ?」

「ああ、違うか。その格好はリアル・アナクローラー系だよね。そうか、ドレイヴだ。二十一世紀から来たんでしょ? 違う?」

 いきなり正体を見破られて、俺は狼狽した。

「なぜそんなことが……?」

「ああ、カンボツね。クロリの新仕様か。あっ、ということは、ウラシナは話しちゃいけないのかな?」

「あの、意味がよく……」

「ごめんごめん。やっぱり話しちゃまずいよな──あっ、ちょっと待って。エンカウントした」

「エンカウント?」

 彼女は俺を穏やかに押し退け、身構えた。俺の斜め後ろにある林の方を、緊張した表情でにらみつける。

「おっと、初見だあ。レッサーゴモリ系? でもランダム・エンカウントじゃないなあ。ああ、昨日のバージョン・アップで追加されたマップ配置か」

 俺は何かあるのかと、彼女の視線の先に目をこらしたが、何も見えない。

「レミル! バイノ! グラショフ!」

 突然、彼女は意味不明な言葉を叫びながら、オーケストラの指揮者のようなしぐさで、腕を大きく振り回した。俺はびっくりして後ずさった。

「はあ!」

 女性は叫びながら走り出すと、何もない空間に向け、勢いよく右腕を振り下ろした。次の瞬間には飛びすさる。また前進して右腕を振る。何度も何度もそれを繰り返した。舞うような華麗な動き。その合間に左手も振り回し、「バリマ!」「エルキュア!」などと叫ぶ。時おり、「くっ」「ちくしょう」とつぶやき、顔をしかめる。

 見えない剣を持って、見えない何かと戦っているかのようだ。

「ふう」

 一分ほどして、彼女は不思議な動きをやめ、汗をぬぐった。

「まさかロック系の技、使ってくるとは思わなかった。MP、かなり削られたなあ。今日のところはドロップだけ拾って落ちとくか」

 そう言って、また空中に何かを描くような動作をすると、俺の方に向き直り、にっこり笑った。

「お待たせ。何の話だっけ?」

 その頃には、俺も見当がついていた。

「ひょっとして、今のはゲームなんですか?」

「ん? そう。ウラシナに抵触しない程度に喋ると──」

 彼女は俺に背を向けると、髪をかき上げて、後頭部を見せた。小指の先ほどの大きさの、緑色の楕円形のものが埋まっていた。

「ブレイン・インターフェース・ポート。もっと短く『ポート』って呼んでる。ゲームアプリをインストールすると、脳の中に信号が送られてきて、視覚・聴覚・触覚・嗅覚とかの感覚を……えーと、Augmented Reality(拡張現実)とかSubstitutional Reality(代替現実)って言葉、分かる?」

「はい。ARなら俺の時代にも開発されてましたから」

「そんなら話は早い。この時代の人間はみんな、人工的に作られた現実の中で生きてるんだ。現実リアルでこうして歩き回りながら、同時にCGのゲームをやってる。モンスターと戦ったり、迷宮を探索して宝を探したり、いろんな謎を解いたり。ボクが今やってたのもそう。〈エステ・アルトゥーラ〉っていうオールド・ファッションのRPG」

 女性は男言葉で喋っていた。この時代にはもう、女言葉なんてものは消滅してるのかも?

「これから仕事に行かなくちゃいけないから、歩きながら話すね」

 彼女は原宿方面に向かって歩きはじめた。俺も並んで歩く。

「じゃあ、今もモンスターと戦ってた?」

「言っとくけど、架空のキャラクターって言っても、リアリティははんぱないからね。ほんとにそこにいるように見えるし、声も聞こえるし、臭いも嗅げる。攻撃が当たったら痛い。もちろん、実際に殴られる痛みよりずっと弱いから、害はないんだけど。

 今、ボクは〈エステ〉から落ちてるから、現実の風景が見えてる。でも、ゲームをやってる間は、魔界の洞窟を一人で歩いてるように見えた。あんたみたいにリアルで近づいてくる人は見えるけどね。ぶつかっちゃいけないから。でも、他の人は見えない」

「あの少年も? 何かのゲームを?」

 俺は前方から歩いてきた高校生ぐらいの少年を指し示した。誰かと腕を組んでいるかのように、左の肘を曲げて歩いていた。にこやかに笑いながら、一人で喋っている。

「ああ、恋愛ゲームだろうね。キャラクターとデートしてるんだろ」

「目に見えない女の子と?」

「あはは! 二十一世紀人らしい偏見! 女の子とは限らないでしょ? 相手は男の子かもしれない」

「確かに……」

 ということは、あっちでぴょんぴょん跳ね回っている男性は、アクション・ゲームをやってるんだろう。目に見えない障害物を避けているのか。

 俺の頭に即座にいくつもの疑問が浮かんだ。

「それだと事故が起きませんか? 現実の風景に架空の映像が重なって見えてるわけだから、たとえば前方から近づいてくる車に気がつかなかったり……」

「交通事故!」彼女は大笑いした。「うわあ、そうか。二十一世紀にはまだそんなもんがあったんだった。今は事故なんかありえないよ。車はみんな自動化されてるから──ねえ、何で自動化される前の車が『自動車』なんて呼ばれてたのかな?」

「でも、溝に落ちたり、何かにつまずいたり、階段で転んだり……」

「現実の障害物も、仮想空間では障害物として表示されてるよ。階段はゲーム内でも階段。それでもぶつかったり転んだりするのは、本人の責任だよね」

 駅が近づくにつれ、道行く人が増えてきた。それでも二十一世紀の原宿の喧騒にはほど遠い。車道にはいかにも未来的なデザインの車が、しゅるしゅると静かな音を立てながら走っている。渋滞とかもなさそうだ。

「人口が減ってるように思うんですが……」

「うん。この百年で日本の人口、八分の一ぐらいになってる」

「ええ!?」

「だって、みんな、実在の異性とセックスしなくなってるもの。ボクもしたことないな。リアラバっていかにも面倒くさそうだし、スカルで十分だよ」

 俺はさっき目にした少年を思い出し、納得した。なるほど、車の数が少ないのも、思ったほど高層ビルが多くないのも、人口が減っているせいか。

「それだと、社会が維持できないんじゃ?」

「単純な仕事はロボットやAIがやってくれてるよ。まあ、それ以外に、人間がやらなきゃいけない仕事もあるけど──おっと、失礼」

 彼女は急に立ち止まり、右手の拳を耳に当てて、「はい、ヨシミズです」と名乗った。携帯電話で誰かと話しているらしい。口調からすると、相手は目上の人のようだ──でも、かんじんの携帯電話が見当たらない。

 ああ、そうか。脳の中に直接、相手の声が響くんだな。こっちの声も、脳の中の言語中枢か何かの信号を拾って、相手の脳に声となって届くんだろう。人工的なテレパシーか。

「了解しました。すぐにブックマインに向かいます」

 電話を終えると、ヨシミズさんは俺に向き直った。

「急いで行かなきゃならない用事ができちゃった──ああ、暇なら、ボクの仕事でも見学してく? 二十二世紀のこと、知りたいでしょ?」

「えっ、いいんですか?」

「うん。UPCに親切にしたら、ポイント増えるから」

 UPCって何だろう。よくは分からないが、渡りに船だ。この時代の人間がどんな仕事をしているか、知っておきたい。

 彼女が歩道の端に立って指を立てると、一台の車が近寄ってきて、すうっと止まった。涙滴形をしたプラスチックのボディの小さな電気自動車だ。側面がぱっくり開き、ヨシミズさんは乗りこんだ。

「どうぞ、タイムトラベラーさん」

 俺も乗りこむ。車内には四つの座席が向かい合うように配置されていた。

 ヨシミズさんが行き先を告げると、車はすぐに走り出した。彼女は運転していない。前方に背を向け、俺と向き合って座っている。なるほど、完全自動の車なのか。タクシーのように街中を無人で流していて、誰でも乗れるんだな。

「カンボツ向けに説明しとくね。ボクは文化健康庁の物理エージェント。これから行くところは、練馬区にある古いお屋敷。まもなく区画整理で取り壊される予定。そこにシナリオ資源の回収に向かう」

「シナリオ資源?」

「日本各地で毎日、RPGをやってるから、プロットの枯渇問題が深刻化してるんだよね。全国民に常に物語を提供しなくちゃいけないから。恋愛ドラマ、ファンタジー、ミステリ、ホラー……ありとあらゆるアイデアやパターンを消費しまくってるもんで、どんどんネタ切れが近づいてきてる。二一三〇年問題ってやつ。それで著作権の切れた古い小説やマンガを掘り起こして、再利用してるわけ。電子化されてるやつはそのデータを利用するけど、百年以上前の、紙に印刷されたまま電子化されてない物語もたくさんあるからね。それをかたっぱしからスキャンして、コルドロンにぶちこむ」

「コルドロン?」

「シナリオ作成用のデータベース。読み取ったストーリーを解析して、ばらばらにして保存しておく。それらのパターンを組み合わせて、新たなシナリオを創る」

「誰が創るんです?」

「もちろんAI。シナリオの必要量が多いから、人間の創作スピードじゃ、とうてい無理なんだよ──あんたの時代でも、AIに小説を書かせる研究、はじまってたんじゃない?」

「ええ。でも、まだまだ初歩的な段階で」

「こっちはとっくにシンギュラってるからなあ。もう人間のライターなんていないよ」

 俺は話をしながら、どうも落ち着かなかった。狭い車の中、ビキニ姿の若い女性と向き合っているんだから。ついつい脚に目が行ってしまう。

「あの、失礼ですけど、普段からそんな格好なんですか?」

「え? ああ、そうか」ヨシミズさんは初めて自分の格好に気がついたようだった。「あんたにはこの服、見えてないんだ」

「服?」

「Vウェア。仮想服。デザインデータを買ってお着がえアプリにダウンロードすれば、近くの人のARにはそれが投影されて、ボクが服を着てるように見えるわけ」

 なるほど、この時代の人間は服もバーチャルで済ませてるのか。

「汚れない。破れない。体形にぴったり合う。着替えも一瞬だし、もちろん本物の布でできた服よりも安い。昔の人がいちいち物理服に袖を通してたなんて信じらんない。不便だっただろうに」

「でも、冬は……?」

「もちろん厚着するよ。でも、今の季節は必要ないし。ああ、何かの理由でARを切っている人にはリアルな姿が見えちゃうから、最低限、全裸は避けるのがマナーだけどね」

 それでパンツ一丁の男とかがいたのか。

 そんなことを話している間に、俺たちの乗る車は西新宿を通り過ぎた。新宿都庁ビルをはじめ、かつての高層ビル群はどこにも見えない。百年の間に耐用年数が切れ、取り壊されたのか。がらんとした平地が広がっている。

 さらに中野区を通り過ぎ、練馬区に入る。かつては住宅街だったのだろうが、今は閑散としている。古くなって崩れかけている家も目立つ。ゴーストタウンだ。

「はい、ヨシミズです」

 ヨシミズさんはまた電話で話をしていた。その表情が、急に蒼ざめる。

「フッコが!? それはまずいですね。しかも重機? ええ、分かりました。現場に到着しだいアベリます。トランサポート、お願いします」

 彼女は電話を切り、舌打ちした。

「参ったな。フッコが襲撃してきたって。予想外に展開が早い」

「フッコって?」

「復古主義者。シンギュったAIに人類が飼われてるのを快く思わない連中。そいつらが古い紙の本を焼こうとしてる」

「何で!?」

「人類を解放するためと称して、シナリオ資源枯渇を目論んでるんだよ。バーチャル・ゲームがマンネリ化したら、みんなリアルな生き方に戻ってくると思ってる──そんなわけあるか!」ヨシミズさんは嘲笑した。「過去に戻れやしない。今はゲーム内の人生こそリアルなんだから」

 そうこうするうち、目的地に到着した。

「あれだ!」

 古い屋敷の上に、人間の身長の何倍もある巨大なマシンがのしかかっていた。パワーショベルを何台も合体させた、クモのような形。太いアームで天井をつかみ、ばりばりとひっぺがしている。屋敷の周囲には、青い制服を着た警官らしい人が何人もいて、銃で撃ちまくっているが、マシンにはぜんぜん効いていないようだ。

 ポートなんかない二十一世紀人の俺にも見えているということは、これはARなんかじゃない。現実だ。

 俺たちは車を降りた。ちょうどマシンは、壊れた屋根から家の中にアームを突っこみ、何かをひきずり出しているところだった。それを屋敷の庭に乱暴にぶちまける。

 本だ──それも何百冊という本。遠いのでよく見えないが、めくれたページはすべて絵のようだ。マンガか。

「貴重な昭和の貸本マンガのコレクションだ」ヨシミズさんは歯ぎしりした。「失われたら、文化的に大変な損失だ」

 警官の一人が、銃を連射しながらマシンに近づいた。マシンはアームの一本をそいつに向けた。アームの先端から、オレンジ色の火炎が放射される。警官は火だるまになり、悲鳴を上げた。他の警官は慌てて避難する。

「よし、警官を殺傷に及んだな!」ヨシミズさんはなぜか嬉しそうだった。「これで武力行使の条件をクリヤーした!」

 彼女は前に進み出ると、ビキニ姿ですっくと立ち、宣誓するかのように手を差し上げた。

「文化健康庁のS級アクティヴ・エージェントである! これより文化資源保護法第七条から第八条に基づき、文化資源破壊者を無慈悲かつ完膚なきまでに破壊する! サモン、Gユニット!」

 空から円盤形の小型マシンが舞い降りてきた。いくつもプロペラが付いているところをみると、一種のドローンらしい。中央部にトランクのような四角いユニットがある。

 それはヨシミズさんのすぐ頭上まで降りてくると、卵が割れるように、ぱっくりと開いた。そこからバラバラと落ちてきたのは、銀色をしたヘルメットや胸当てや肩当てなどのパーツだ。それが彼女の全身に吸いつき、一体化して、全体がロボットのようになる。

 最後に特大のハンマーのようなものが落ちてきた。自分の身長よりも大きいそれを、ヨシミズさんはがっしりと受け止める。筋力が強化されているのか。

 俺はあきれて眺めていた。クモのようなマシンは、ずしんずしんと地響きを立てながら、こちらに迫ってくる。

「君!」

「えっ、俺?」

「手伝って!」

 彼女は小さな銀色の銃を俺に向かって投げた。俺はとっさに受け取る。ずっしりと重い。

「それであいつの注意をそらせて!」

「ええっ!? 一般人にいきなり戦闘やらせますか!?」

「戦えとは言ってない! 隙を作ってくれるだけでいい! 火炎にだけ注意して!」

 そう言うなり、彼女はハンマーを振り上げ、マシンに向かって突進していった。


 戦闘は三分ほど続いただろうか。

 俺はいくらか役に立ったと思う。マシンに向かって発砲するたびに、マシンは俺に接近し、火炎放射器を向けてくる。俺は炎に追われ、必死に逃げ回った。その間にヨシミズさんが接近し、マシンのアームの関節部や油圧シャフトに、的確にハンマーを叩きこんでいった。

 マシンの動きはしだいに鈍り、ついにすべてのアームを屈して、ボディを地面に突っ伏した。

「いやあー!」

 ヨシミズさんは叫びながら、ハンマーを力いっぱい叩きつけた。マシンは中枢部を破壊されたらしく、ぐったりと動かなくなった。

「やりましたね!」

「ああ、協力に感謝する!」

 俺もヨシミズさんも、重労働を終え、息を切らせていた。

 その時、左腕のクロノブレスレットが、ピコンピコンとアラームを発した。赤いリターンボタンが明滅している。

「すみません。この時代にいられる限界時間が来ました」

「ああ、そうか。カンボツにはタイムリミットがあるんだったな」

 もっとヨシミズさんと話したかったが、しかたがない。名残惜しいが、二〇一八年に帰還するしかない。

「とりあえず、君のおかげでVPを稼がせてもらえた。感謝するぞ」

「じゃあ、お元気で!」

「ああ、また会おう」

 この時代を去ったら、二度と会えないのだけどな──と、悲しい思いで、俺はブレスレットのボタンを押した。

 その瞬間、俺の手からブレスレットが消滅した。


「あれ? あれ? あれ?」

 混乱し、周囲を見回した。二〇一八年じゃない。まだ二一一八年の練馬区のゴーストタウンだ。ヨシミズさんも目の前にいる。

「どうだった、カンボツは?」

「カンボツ?……ああっ、そうか」

 思い出した。ブロックされていたすべての記憶がよみがえった。

 完全没入型RPG──ゲームをプレイしながら、プレイヤーがキャラクターをロールプレイしていることを意識している従来のRPGと違い、脳内にある本来の自分についての情報をブロックすることで、完全に架空のキャラクターになりきるゲームだ。

 あたしはクロリ──〈クロノリーパーズ〉というRPGをプレイしていたのだ。タイムトラベラーになって、いろいろな時代をめぐって冒険をするというゲームだ。完全没入している間、あたしは自分が二〇一八年から来た男性のタイムトラベラーだと、すっかり思いこんでいた。

 二〇一八年にタイムトラベル技術なんてあるわけないのに。いや、おそらく未来永劫、そんなものは不可能なのに。

 しかも〈クロノリーパーズ〉は、他の複数のRPGと──それも現代を舞台にしたRPGとリンクしている。おそらくヨシミズさんがプレイしていたのは〈ビブリオガード〉、文化健康庁の役人になって、本を燃やそうとする復古主義者の陰謀と戦うゲームだ。

 当然、巨大マシンが暴れたのも、ヨシミズさんがアーマーを装着して戦ったのも、あたしが銃で援護したのも、みんなゲームの中の出来事。でも、銃の重みも、撃った時の反動も、火炎の熱さも、すごくリアルだった。

「うわあ、噂には聞いてたけど、すごいわカンボツ。三十分の時間制限が設けられてるのは当然って感じ。もっと長く続けてたから、リアルに戻れなくなっちゃいそう」

 そう言いながらも、あたしはこの新鮮な体験に魅了されていてた。もっともっと、別の自分になりきる体験を味わいたかった。

 べつにリアルに戻らなくても支障ないんじゃないかしらん。ずっと自分以外のキャラクターのままでも。

 それが人類の未来だという気がした。すべての人間が生まれてから死ぬまでカンボツして、架空の世界で自分以外のキャラクターになりきって生きる世界が。


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ローラーコースター・ワールド 山本弘 @hirorin015

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