狭間での葛藤

第28話 これまでの事について思案する

「沙智、ヴィンクラを外したよ」

「あ…」

湯浅先生の一言で、私は我に返る。

穏やかな笑みを浮かべる先生には、邪念も策略もない。しかし、今私が考えていた事はサティアですら明かすことはできない内容だった。最も、今はシステムメンテナンスでヴィンクラを外す作業をしていたため、サティアにも私が今考えている事は伝わっていない。


「じゃあ、明日は健康診断だから宜しくね」

「うん!…ありがとう、湯浅先生!」

ヴィンクラを外して車椅子に乗せてもらった私は、とある場所まで付き添ってもらい、そこで先生と別れた。

私が先生に連れて行ってもらったのが、考古学研究所の屋上だ。建物が丘の上にあるため、そこから町の眺めがよく見える場所でもある。トランシルバニア公国の時代から現代に戻ってきた、私とサティア。しかし、そこで違和感を覚える。

普段ならば、前に訪れた時代で出逢った人々の記憶が抜け落ちているはずだが、今回はそれがなかった。サティアが消し忘れたのか、はたまた機械の故障か。原因はわからないが、どうやらサティアも気が付いていないようだった。

「こうやって、本当に一人にはるのは…久しぶりだな…」

私は、青空の下でポツリと呟く。

この場所はよく研究所の所員が休憩のために来る場合が多いが、今は14時頃。皆が仕事をしている時間だ。そのため、今この場には自分一人しかいない。私は特に目的もなく、ただボンヤリとするためだけに、この場へ連れてきてもらったのだ。

それは、前回の里帰りと比べると、自分の心境や状況が大きく変わっていたからだ。そのため、空っぽだった自分の現状をまとめておきたかったのである。

一番最近に訪れた16世紀頃のトランシルヴァニア公国では、敵対する狼族と吸血鬼に遭遇していた。サティアと私は狼族に伝わる伝承の人物だった関係で歓迎されたが、それが原因で吸血鬼にその身を狙われたのである。

一度攫われたが、そこで仲良くなった狼族の人たちに助け出され、事なきを得た。そして、その時代で遭遇した吸血鬼の言動と行動から、私の中には一つの仮説が生まれていた。

 ベフリーは…エレクの…ご先祖様…?

心の中で呟く。周囲に人がいないのはわかっているが、これまで人工知能サティアとの会話は心の中で口にする事が多かった。そのため、無意識の内に声に出さない事を実行したのだろう。

今、自分が思い描いた仮説を証明する術はないに等しい。というのも、知識を得るためにいろんな時代へ赴くため、一度行った時代へ再度行く事はほぼありえないからだ。そして、景色を眺め、綺麗な空気を感じながら、私は考え事を続ける。

  幕末の京都で出会い、私を狙っていたあの男…。彼が私に飲ませた薬みたいなもの、あれって何だったのかな?

次に思いついたのは、前回の里帰りの後すぐに訪れた時代での話。謎の浪士らに拉致された私は、池田屋事変を経て新撰組に保護されて過ごした日々。そこでは、私が今いる現代にかなり近い時代ところから時空流刑人タイムイグザイルとなった男性ひとと出会っていたのだ。

その人物が述べた言葉までは覚えていないが、あの冷徹な瞳は忘れられない。

 いや…それでも、これまでは忘れていた訳だけれど…

そう思った私はフッと哂う。当の本人としては無自覚だったが、これまで関わった人々の事をある程度覚えている。今までだったら絶対にありえなかったのに、いつの日からか、前に訪れた時代の事を少しずつ思い出せている自分がいたのだ。

私を知る人たちからすれば、それは良い事ではないかもしれないけど、当の本人としては――――

「やっと…」

”やっと、普通の女の子みたいになれた”と最後まで口にしなかった代わりに、私の瞳から一筋の涙がこぼれていた。

それは記憶を消される事でロボットのように心がないと思っていた自分が、やっと”普通”になれた事に、満足感と安堵を得た瞬間であった。



翌日――――私は、湯浅先生から事前に知らされていた健康診断に臨む。普通の人ならばヴィンクラをつけたまま受けても問題ないらしいが、私の場合はサティアという一種の”負担”を肉体にかけてはいけないため、彼女の代わりに翠さんが同席してくれた。

身長・体重の測定や聴音・視力検査等を自分一人でできないため、健康診断をするには数人がかりで私を抱えたり、下ろさなければならない。普通だったらありえない光景だが、幼い頃からずっとそうだったので、健康診断とは「たくさんの大人に囲まれてやるもの」という認識が、私の中でできあがっていた。

「身長は…そろそろ止まっちゃいそうだけど、体重や聴力は良好!視力は、相変わらず問題なしだね!」

「遠くを見た時とかが、楽しいかも」

私は診断が進む一方で、湯浅先生とそんな会話を交わしていた。

「それだけ視力がいいからこそ、弓や剣術を覚えられたのよね?」

「あ…翠さん!」

そんな会話をする私達の前に、所員である吉川翠さんが現れる。

「姉さん!…サペンティアムの代理?」

「ええ!サティアを連れてきたかったけど…あの子にここいら周辺にある医療機器を弄繰り回されては、沙智ちゃんもあんたもたまらないでしょうしね」

「あはは…だね」

翠さんの台詞ことばに、湯浅先生は苦笑いを浮かべる。

 そういえば、この姉弟の会話を久々に聞いたな…

私は彼らのやり取りを見ながら、そんなことを思った。

会話からわかるように、ここにいる大人2名は、実の姉弟だ。翠さんの方はもう結婚しているので苗字が変わってしまったが、こうやってよく見ると確かに顔立ちが似ているのがわかる。

「さて!後は問診と血液検査。…血液検査は少しきついかもしれないけど、頑張ってな、沙智」

「うん!大丈夫だよ」

少し心配そうな表情かおをした先生に対し、私は心配をかけまいと笑みで返す。

その後、私は診断の方を再開する。血液検査はやはり注射器を使うので、血を抜かれる瞬間は痛い。幼い頃はその瞬間を目で見るのも怖がっていたが、今は特に問題なく見守ることができる。痛みを感じつつも、注射器に抜かれる自分の血を見つめていた。

 吸血鬼って、何故こんな血を美味しく感じられるのだろう…?

柄にもなく、私はそんな事を考えていた。

以前に訪れた19世紀頃のイギリスで、私は吸血鬼貴族の元で働いていた。そこで出会った彼らの事を思うと、そう思わずにはいられない。それは、人間と吸血鬼が相容れない存在からなのか。私がいろんな事を考えている中、診察は続く。

「心臓は…強くはないが、ちゃんと音は正常だね」

聴診器を装着し、診察台に寝かされた自分の胸に当てながら、湯浅先生は呟く。

臓器補助機付近に聴診器が当たった時、一瞬だが硬いものに触れた感触があった。

 もし、人工知能サティアがいなくなったら、私ってどうなっちゃうのかな…?

心臓の鼓動を自分で感じた時、私の中に一つの不安が生まれる。生まれつき体の弱い自分がいろんな時代を訪れて知識を得る旅ができるのは、一重に彼女のおかげといっても過言ではない。いつも一緒なので、「もし離れてしまったら」という事など考えたこともなかった。

 ここにいて笑いかけてくれる人達も…私一人だけになったら、見向きもしなくなってしまうのかな…?

そう思うと、何だかとても虚しい気がしてならない。

「沙智…!!?」

湯浅先生の声が聞こえた途端、私は自分に起きた異変に気がつく。

心臓の鼓動が早くなり、頭痛や吐き気がする。そして、周囲に聞こえる音がどんどん小さくなる。

「何か、体に負担がかかるほどつらい事でも考えていたのかしら!?」

「わからない…!!とにかく、病室へ移動させなくては…!!!」

翠さんや湯浅先生の声が聞こえる中、私の意識は次第に遠のいていくのであった。



「…気がついたかい?」

私が重くなった瞼をゆっくり開くと、そこには湯浅先生の姿があった。

「わた…し…?」

「問診の途中で、気を失ったんだ」

「そう…ですか…」

何故倒れたかという原因を聞き、納得した私は大きなため息をつく。

「…サティアがいるヴィンクラを装着していない今、君はちょっとした心の傷や不快な思いをするだけで身体に負担をかけてしまう…。だから、あまり気に病まないでくれ」

「先生…」

ゆっくりとした口調で諭しながら、先生は私の頭を優しく撫でてくれた。

「ねぇ、先生」

「ん?」

撫でてくれた手が頭から離れた後、私は先生を見上げながら口を開く。

「無理なのはわかっているけど…。“お父さんに会いたいな”って思うのは、変かな?」

「!!」

その台詞を聞いた湯浅先生の顔が、一瞬強張る。

「…いや。只でさえ、君は他の子とは違う生活をしているんだ。肉親に会いたいって思う事は、何も変ではない。むしろ、当然だと思うよ」

「そ…か。だよね…」

医師の返答を聞いた私は、一つの確信を持っていた。

 湯浅先生は…お父さんの“事情”を知っていて、敢えて私に教えないようにしているんだな…

割と実直な湯浅先生なので、表情一つで動揺しているのか否かが嫌でもわかる。


「じゃあ、沙智。安静にしていてくれ」

「うん!わかった…」

私にそう言い残した後、湯浅先生は病室を出て行った。

この後、少し休んだらヴィンクラの装着に入るので、本当に一人でいられるのは今しかない。それを実感した時、私は考えないようにしてきた事が一気に頭の中に思い浮かんでいた。また、今がベッドで横たわっている事もあり、“その時”の情景が鮮明に浮かんでくる。

“餌”扱いだったが、最終的に愛してくれた彼。ずっと一緒にいられないから…と、一夜を共にした青年。

今まで人工知能サティアによって消されてきた記憶を思い出した事で、今まで関わってきた全ての人との繋がりが波のように押し寄せている。

「エレク…。会いたい…よ…!」

大粒の涙を流しながら呟く私の声は、掠れていた。

“自分も愛し、相手にも愛されていた事を今まで忘れていたなんて”という、後悔の念が私の頭を占めていた。

こうしてサティアと再会するまでの短い間、私は一人の青年の事ばかり考えていたのであった。


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