第27話 暴走

「ここまで来れば、ひとまず大丈夫か…。さて…」

フリードリッセに担がれて移動していた私達は、ベフリーの城を出てすぐの場所にある森の入口付近にいた。

いくら並の人間より体力があっても、流石にコルセットを装着したドレスを身に纏った私を担いで走るのは、長時間は厳しいらしい。息のあがったフリードリッセは、ゆっくりと私を下してくれた。

「…悪いが、これに着替えてくれないか?」

『これって…あんたの服?何故?』

流石に“ドレスが重い”事を人工知能サティアは知らないらしく、不思議そうな声で問いかける。

 移動しやすいように…でしょ?うん。ドレス重いし…着替えるから貸して!

心の中でそう思い、サティアがそれを代弁する。その後、私はフリードリッセが自身の替えの服を私に手渡してくれた。

 あれ?そういえば…

ドレスを脱ごうと服に手をかけたとき、自分の両腕・両足が動かせることに気が付く。

『…奴から大分離れたからかしら?きっと、遠隔魔法の類なのかもね。“あれ”は…』

サティアも気が付いたらしく、私が思ったような事を口にしていた。

因みに、何故彼が自分の服をもう一枚持っていたのかというと、彼らは狼に変身する時は人でいう全裸状態になるので、変化の際に着ていた洋服が破れて使い物にならなくなってしまうからだ。そのため、彼らは村を離れて出かける際は必ず、2着は替えとなる服を持参しているらしい。

『…ってか、あんた。何ジロジロ見ているのよ!?』

「へ…?あ…!!悪い、サティア」

 ナイスアシスト…

言葉を口に出せない私の代わりに、彼女がフリードリッセを諌めてくれたおかげで、やっと着替えを開始できるようになる。というのも、このまま着替え始めていたら、彼に見られてしまうからだ。おそらく、頬を赤らめていた私の表情とサティアの言い回しで、何が言いたいのか彼は察してくれたのだろう。

「て…敵が現れないかどうか、少し見張ってるよ」

そう言って私に背を向けたフリードリッセは、数十歩ほど城の方へ進み、仁王立ちをして黙り込む。

服とドレスの裾を掴んだ私は念のため木の木陰に隠れ、ドレスを脱ぎ始める。

 うー…着付けをよく見ていないから、どうやって脱げばいいかわからないよー!!

『…別にそれ、現代に持ち帰る訳でもないんだし…。この際、ビリビリに破いちゃえば?』

 うーん…

サティアが言う事も最もだが、如何にも高そうなそのドレスをビリビリに破くのは、少しだけ気が引けてしまう。しかし、そうも言っていられないのは事実。こうしている間にも、ベフリーが追手を差し向けているかもしれない。私を抱えて走ってくれているフリードリッセにこれ以上負担をかけさせないためにも、私は意を決して脱ぎづらいドレスを脱ぎ始める。

順序を無視して脱ぎ始めたので、やはり背中辺りで、布が破れる音が聞こえてしまうのであった。

『予想はしていたけど…案の定、ダボダボね』

 仕方ないよ。元々、男性用のTシャツみたいな物だろうし…

何とか着替えを終えた後、私達は各々の感想を述べていた。


 これ…は…!?

しかしその直後、私の身体に異変が起きる。普通に動かせていた両腕・両足が、石のように固く、重くなっていたのだ。

『臓器補助機の調整が間に合わない…!!まさか…!?』

 足が勝手に…!?という事は…!!!

重くなった両足が突然動き出した事に、私は目を丸くして驚く。

無事に着替えられた事に安心していた私達は、敵が迫ってきている事への用心を少しだけ忘れてしまっていたようだ。何かに導かれるかのようにして、私の足は勝手に歩き始めるのであった。



オルカン…!?

自分のに人影が映った時、私は目を丸くして驚く。

その場にいたのは、フリードリッセにスタイリン。そして、アングストとオルカン。どうやら私が着替えている間に、フリードリッセと合流したのであろう。しかしオルカンの身体は宙に浮いている。というのも、ベフリーが、彼の頭を掴みあげて持ち上げているためだった。

『人質に取られて、身動きが取れないって所ね…。しかも、よりによってあのガキが…!!』

状況を把握したサティアが、悔しそうな口調で呟く。

彼女が悔しがるのは無論、オルカンが今回のログイン・ログアウトの相手だからだ。しかし、不安に襲われたのは私も同じ。毎度の事だが、ログイン・ログアウトの人間(ここでは人狼)が絶体絶命に落ちった場合は、何が何でも死なせてはならないからだ。

「…おや、淑女レディ…。そのような、みすぼらしい格好になってしまうとは…早くこちらへ来なさい」

『ちょ…やめなさいよ…っ!!』

サティアが声を張り上げる中、ベフリーは勝ち誇ったような笑みを見せる。

「くっ…頭蓋を握りしめる事で、狼に変化するのを抑えている…という事だな」

苦悶の表情かおをしながら、スタイリンが状況を冷静に観察していた。

顔や首は自由自在に動かせるようなので瞬時に横を見ると、頭部を掴まれたオルカンは吸血鬼の強い力によって、頭が割れそうなくらい苦しそうな表情を見せていた。

 くっ…!!肉体の自由がきけば、オルカンを救い出せるのに…!!

私は今がログインしているにも関わらず、身体が動かせない自分に憤りを感じていた。

「ふっ…至福の時を台無しにしてくれた事は実に腹立たしいが…わたしは、寛容な吸血鬼ヴァンピールなのでね。…この子狼の死だけで、君らの狼藉を許してやろうではないか!」

『なっ!!?』

その台詞を聞いたサティアが、驚きの声をあげる。

サティアはおそらく、えものを取り返したのだから、ベフリーはこのまま退散するのだろうと考えていたに違いない。しかし、人の感情に答えも例もない。そんな例外な事まで、人工知能であるサティアには想像も計算もできないのだ。

仮にこのまま勝利したとしても、オルカンが死んでしまっては元も子もない。サティアは“前回ログアウトできたのは、まさに奇跡”と言っていた。それは、同じような奇跡は、もう二度と起きないのだろうという確信でもある。

「お…俺の事はいいから…っ!攻撃…してくれ…スタイリ…ン…!!」

「オルカン…!!」

頭蓋を掴まれて相当痛い中、オルカンは必死に訴える。

その嘆きは、冷静沈着なスタイリンですらも困惑させてしまう。きっと、「足手まといになるのは嫌」というオルカンの自己犠牲精神。そして、「群れを大切にする」という狼の矜持に、スタイリンは悩まされているのだろう。

「兄さん…あたしは、兄さんに従うから…!早く…!!」

その後ろで、彼の妹・アングストが次の指令を待つ。

私の瞳に映っている彼女の表情かおは、まるで「目的のためなら同胞を見殺しにしても構わない」という覚悟を体現しているようだった。

「くっ…!」

「スタイリン…」

急かすように言い放つ雌狼に対し、同じく困惑しているフリードリッセ。

「う…あ…ぁ…!」

苦悶の声をあげるオルカン。

反撃しようと腕を伸ばすが、頭を掴まれている事で視界を遮られているため、両手は空振りとして宙を舞っていた。

スタイリンのように屈強な戦士ならばこうはならないだろうが、オルカンはまだ狼へと覚醒して間もなく、人の姿の時は12~13くらいの子供の体型なのだ。ウェイヴ族の少年とはいえ、“純血”の吸血鬼ヴァンピールには流石に、力で敵わないようだ。

『まずい…このままでは…!!』

サティアの緊張した声音が響く。

しかし、恐怖と不安にさいなまれているのは、彼女だけではない。

 このままオルカンが殺されたら…ログアウトもできなくなり、私がこの世界を抜け出す機会を失ってしまう…!!でも、身体がいうこと聞かないし…どうすれば…!!

私の心臓が強く脈打つ。脈がどんどん速くなっていく所から、サティアによる臓器補助機の調節ができていないのがわかる。あまりに異常な事態につき、人工知能もいわゆるフリーズ状態になっているのだろうか。しかし、サティアには、喜怒哀楽を表現できる優れたAIである一方、その奥深くには人間の“本能”ともいえる行動パターンが刻み込まれていた。そして――――――――――――――

『やめてーーーーっ!!!!!』

私と人工知能サティア…2つの意思が、ほぼ同時に、同じ言葉を叫んだ時だった。


「ぐっ!!?」

その直後、本来ならばありえないような事が起こる。

掴まれた子狼と吸血鬼が、ほぼ同時に胸に手を当てた。何が起こっているのかが把握できないスタイリン達は、目を見開いたままその場の成り行きを見守っていた。苦しそうな表情になったベフリーは膝を曲げて、地に足をつける。その際、握りしめられていたオルカンも解放され、地面に振り落とされる。

「ぐぉぉぉぉっ!!!」

「んなっ!!?」

すると、オルカンの異変に気が付いたフリードリッセが驚きの声をあげる。

膝をついて苦しむ吸血鬼の前には、狼に変化したオルカンがいた。しかも、普段の狼化とはどこか異なるのを、スタイリンはすぐに気が付く。

「風を身に纏うあの状態は、暴走寸前だ…!!」

「何ですって!!?」

「馬鹿な!!“新月の子”・サティアは、“暴走を抑える存在”だ!!なのに、あれは…!!」

「くっ!!」

驚く彼らに目も暮れず、暴走したオルカンは、目の前にいる天敵に襲い掛かっていた。

一方、苦悶の表情が戻らないベフリーは、何とか空を飛ぶことで攻撃を避けている。

「わっ!!」

その時の衝撃で、近くにいた私の肉体が地面に倒れこむ。

「あ…」

この時、私は初めて自分の声が出せ、肉体が動かせる事を実感する。

おそらく、オルカンの攻撃を避ける際に、ベフリーが瞬時に私へかけた魔術を解いたのだろう。そうして倒れこまなかったら、狼の爪に貫かれていたのかもしれないから。

一方で、本来はありえないとされている、“狼が空を飛ぶ”事をオルカンは実行していた。ベフリーは、牙に噛み砕かれないよう、必死で避けている。本当ならば反撃できるはずだが、何故か吸血鬼は苦しそうだった。

『あいつさえいなくなれば…あいつさえいなくなれば…』

「サティア…?」

サテイアが、何かをブツブツと呟いている。

その声音は、普段の彼女では想像できないくらい低くて圧力プレッシャーを感じる声だった。

 もしかして、ベフリーが苦しんでいるのって、サティアの仕業…?

私はこの時、ウェイヴ族に伝わる“新月の子”が吸血鬼にとっては大いなる脅威である――――と語ってくれた、ベフリーの言葉を思い出す。

「だとすると…オルカンのあの状態…は…?」

私は、吸血鬼に襲い掛かる狼に、視線を映す。

今私が見ているのは、この時代へ来て初めて彼を目に時と同じ状態。否、今はそれ以上の力を秘めていそうだ。誰が見ても、オルカンが暴走しているのがよくわかる。

「…まさか、“あんた”が古い伝承に埋もれていた“あれ”だったとは…ね」

「アングスト…?」

気が付くと、私の背後には、女狼であるアングストが立っていた。

「まさかとは思ったが…」

「フリードリッセ…?」

今度は、フリードリッセが私の前に姿を現す。

私は、彼らが何を考えているのかが全く分からなかった。以前は暴走した仲間を止めようと必死さすら感じたのに、今の彼らにはそれがない。おそらく、このまま成り行きを見守ればあの吸血鬼に勝てるかもしれない―――――――――そんな確信でもあったのだろうか。

「“新月の子”の言い伝えは、吸血鬼やつらが知っているくらい有名な話だ。…しかし、我々にも未だ信じがたい伝承が、もう一つある」

「もう一つの…伝承…?」

私の肩を軽く叩いたスタイリンが、その先を紡ぐ。

「“新月の子”がいるならば、必然的に“満月の子”がいると考えるのが妥当だろう。その“満月の子”に関する言い伝えだが…」

「…沙智。君こそが、“新月”と対をなす“満月の子”なんだ」

「え…!?」

「…オルカンの、あの異常な暴走がその証」

次にフリードリッセやアングストが衝撃的な事を口走ったので、私は目を見開いて驚く。

「“新月の子”が“暴走を抑える切り札”ならば…もしや、“満月の子”って…!?」

深刻そうな私の表情かおで何を言いたいのか察したスタイリンは、黙って首を縦に頷いた。

「…力を高め、場合によっては暴走を引き起こす。先ほどサティアの声が聴こえた時…君は何を思った?」

「何をって…」

私は、スタイリンの問いに対して、つい数分前にサティアとほぼ同時に叫んだ瞬間を思い返す。

「“オルカンを殺すのを止めて”…かな」

「…その想いが、“満月の子”としての力を引き出したという所だ」

「ぐっ!!?」

そう静かに語るスタイリンの瞳には、空中でオルカンに腕を噛みつかれたベフリーが映っていた。

「このっ…!!」

苦悶の表情を浮かべるベフリーには、完全に余裕が消えている。

「オルカン!!!」

その直後、腕を噛みちぎられるのを恐れたのか、ベフリーは、もう片方の腕でオルカンを掴んだ後、地面に向かって急降下して激突した。

その衝撃で、私達の周囲に土煙が起こる。

「はぁ…はぁ…」

土煙が晴れてきた頃、そこに映っていたのは血だらけの腕を抑えるベフリーと、疾風のごとき風を身に纏い、荒い息を立てるオルカン。

どうやら、地面につき落とされた時に噛みついていた牙を離したので、地面で無事着陸できたのだろう。

「さて…不本意な状況ではあるが、このままオルカンには、奴を倒して貰おう」

「!!」

スタイリンが、冷徹な眼差しで彼らを見据えていた。

この時、私の心臓の鼓動が強く鳴る。

 確かに、このままオルカンが勝てば、ログアウトも無事できて、私が吸血鬼にされる恐れもなくなる…。でも…

この時、私の脳裏には、対峙する吸血鬼でも狼でもなく、別の“映像”が映っていた。はっきりとは見えずとも、それは血を吸われている自分の姿や、男性と肌を重ねる自分の姿。相手の男性はよく見えないが、蒼い髪が一瞬視界に入ってきた瞬間―――――――――――――私は、この走馬灯のような状態の正体が何であるかを、唐突に理解する。空耳かもしれないがこの瞬間とき、私の頭の中で何かが割れるような音が響いたのである。


「沙智…!!?」

その後、私が起こした行動に、その場にいた全員が驚く。

意を決した私は、忍の技である“俊足”を使い、ベフリーとオルカンの間に立ち塞がる。

「サティア…!!正気に戻って…!!!!」

『!?沙智…!!?』

一歩間違えれば、私がオルカンの牙にかかってしまいそうだった所を間近で見て、ようやくサティアの声が聴こえてくる。

後でわかる事だが、彼女は“私を守らなくては”という強迫概念に捕らわれ、人間でいう“暴走”をしていたようだった。しかしその暴走も、「私自身が自殺行為をしようとする」事で、正気に戻した。

サティアの声を認識したオルカンも、身体をびくつかせていた。

「そなた…?」

私の後ろには、腕を抑えながら息切れしているベフリーがいる。

「私は、貴方の伴侶になるつもりは、毛頭ないわ。ただ…」

横目で呟く私の瞳は、どこか憂いを帯びている。

「…貴方は、生きなくてはならない。何が何でも…」

「…何?」

「…いずれ、わかるわ。かの地へ行けば…」

私は遠まわしな言い方をした後、まだ暴走したままの狼に視線を移す。

「風が纏わりついている…。暴走しているっていうのに、何だか綺麗…」

『どうしてこうなったのかはよくわからないけど…オルカンには、人に戻ってもらわなくてはね』

体で感じた想いを述べたが、五感の乏しいサティアには、言葉の真意が届いていなかったのである。


こうして、狼と吸血鬼の攻防戦は幕を閉じた。人狼ヴォラウルフの数人が吸血鬼伯爵の城に侵入したのだ。吸血鬼側からの報復も予想していたが、特に問題は起きなかった。それどころか、ベフリーがトランシルバニアを突如として抜け出したのだ。それを機に、他の吸血鬼ヴァンピール達も、各地へ散っていったという。

しかし、ほとんどの吸血鬼たちがいなくなった頃には、私はもうこの時代にはいなかったのである。


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