Scene.49 流産すればいいのに

 サバトを脱退して数日後の朝、乃亜のあのアパートに客が来る。


 そいつは自らの魔力を指先から液状にして鍵穴に流し込む。そして細部にまで染み渡ったところで固化させる。

 こうすることで電子ロック以外のカギは全て開けられる、彼女だからこそ出来る万能鍵だ。

 ガチャリと開錠音がしてあっけなくドアは開く。が、ドアチェーンがかかっていてドアが開ききらない。


「!?」


 異変に気付いた住人達はドアを見る。隙間からは侵入者の姿がチラリと見える。


「真理! ミスト! 大事なものを持ってベランダから外に出ろ!」

「開けねえのか。しゃあねえなぁ」


 乃亜が2人の妻に指示したのと同時に、素早く魔力を物質化させた愛用の武器である大鎌を出し、切断する。玄関のドアが開けられると、外には美歌が立っていた。

 彼女は真理とミストの大きく膨らんだ腹を見て吐き捨てるようにぼやく。


「オイカス、これは一体どういう事だ? まさかとは思うがテメェの子供か? って事は、こいつが産まれたらオレはおばさんになっちまうって事じゃねえか。ふざけんじゃねえぞテメェ」


 彼女はあえて大鎌を消し、素手で兄に戦いに挑む。ハンディキャップ有りの舐めプレイだ。

 一方の対戦相手は≪超常者の怪力パラノマル・フォース≫に≪魔力集中リソース・コンセートレーション≫、さらには軽めの≪過剰強化オーバードーズ≫という全力で挑む。

 乃亜の拳が美歌を捕える。が、彼女は涼しい顔でそれを受け止める。逆に妹の拳は兄の腹を貫き、風穴を開ける。重傷を負った彼は地面に力なく横たわる。



 一方真理達は美歌が張った結界にRPG-7を撃ちこむが、それでも少しひびが入るだけで壊れない。ミストが追加で拳を叩き込むが中々割れない。

 美歌は硬い拳を突き出しながらミストに言い放つ。


「よぉ。流産パンチって知ってるか?」

「美歌! お前これからやる事が何なのか分かってんのか!?」

「もちろん完璧にわかってるよ、クズ。テメェのガキが流産するところが生で見られるぜ? めったに見れるもんじゃねえから感謝しろよ」


 傷を塞いでいる途中で口しか出せない兄に向って妹は甥の流産を予告する。


「真理! お前は結界を破壊しろ! 俺は何とかしのぎ切る!」


 ミストが指示を出すのと侵入者が床を蹴ったのはほぼ同時だった。美歌の拳を受け止めるたびに彼女の腕が悲鳴を上げる。

 腕のガードが緩んだところを逃さずに美歌はミストの大きく膨らんだ腹を思いっきり蹴飛ばす。

 彼女はとっさに腕でガードしたが衝撃で腕がへし折れた。


「ホラホラどうした? 早く助けねえと流産しちまうぜ!」

「この外道が!」

「クズと悪魔の相の子だぜ? いいじゃねーかくたばっても。むしろくたばった方が社会に巣食うダニが増えるのを未然に防げて万々歳じゃねーか」


 天使の加護を受けた少女は無傷、子を宿した悪魔の両腕はブチ折れブラブラと力なく揺れている。完全なワンサイドゲームだった。少女の鋭い蹴りが腹に突き刺さる。


「あがっ……!」


 ミストはされるがままふっとばされて結界に叩きつけられる。それと同時に真理は結界を破壊できたが、戦況は悪くなる一方だった。


「ミスト! 真理! 息を止めろ!」


 傷を完治した後に部屋からある物を持ち出した乃亜が何かを美歌に投げる。


 「息を止めろ」というからにはスモークグレネードか何かか? そう思い美歌は目を閉じる。が、予想に反して強烈な爆音が美歌の耳を直撃、想定外の事態に放心状態になった彼女を振り切り、3人は脱出した。

 「息を止めろ」はいくつかあるスタングレネードを投げる合図の1つだった。




 一行は10kmほど家から離れて追手が来ない事でようやく一安心する。が……


「は、腹が……腹がいてぇ!」


 腹の痛みを訴えてうずくまるミストの股から水が漏れだす。尿ではない。羊水だ。


「まさか……破水か!?」

「や、やべぇ……産まれる……!」

「ミスト! 今から病院に行こう! すぐ着くから我慢してくれ!」


 陣痛を訴えるミストに乃亜は慌ててスマホで病院の位置を確認する。場所が分かると妻を抱きかかえ、病院へと文字通り飛んで行った。




 ミストが病院にたどり着くなり集中治療室に送られて、いったいどれくらい経っただろうか。いつまでたっても産声は聞こえない。

 産気づいた朝はとっくに過ぎ去り、既に太陽が西の地平線に完全に沈み、暗い夜となっていた。ボロいソファーに腰かけている夫と愛人の元へ医師がやってくる。その顔は、重い。


「……流産、ですか?」

「いえ、お子さんは生きています。ただ、予断を許さない状態は今も続いています。奥さんは容体が安定しましたけどね。正直申し上げますと、生きてるのが奇跡ですよ。お聞きした限りの状況からするとほとんど流産のようなものでしたからね」


 声のトーンからもいかに子供が危険な状況なのかが読み取れる。新生児集中治療室の中を覗いてみると保育器に入れられた赤ちゃんの口には管が差し込まれていた。

 注意深く見ているとピクリと小さな手が動く。

 妊娠9か月目、それも暴行をふるわれて流産同然の出産だった低体重児にも関わらず彼は生きていた。


「……生きてるんだな。懸命に」


 乃亜は今にも吹き消されそうな小さな小さな灯をじっと見つめていた。


「真理、お前はどっかのビジネスホテルにでも泊まれ。俺はここに残る」

「あなたこそ休んだら?」

「とても休める状況じゃない」

「……分かったわ」


 真理は病院を後にした。




 その日の深夜、彼女は『甥』を探して静まり返った病院内を歩いていた。新生児集中治療室にたどり着くと、彼を嗅ぎ分けた。

 天使の力を持っているからこそ分かる、赤子が持つわずかだが邪悪な力。間違いない。あの劣等生物と悪魔のあいのこだ。妹の前に、兄が立ちはだかる。


「やっぱ止めに入るよなぁ。パパさん?」

「お前、やってる事分かってんのか? 相手が誰だか分かってんのか!?」

「だからだよ。テメーが子種ばらまいたせいでオレは15にしてオバさんだぜ? 酷い仕打ちじゃねーか」


 彼女の目と表情は子供の死を心の底から望んでいるものであった。

 戦いが始まる。朝の時と同じように乃亜は抵抗を試みるが美歌はあまりにも強い。少女は指2本で兄の攻撃を受け止め、逆に彼女の拳はたやすく肉体を貫通した。


「ホラホラどうした!? パパなんだろ!? 子供のためにもっと必死こいて抵抗しろよ!」

「ガハッ!」


 力尽きて彼は倒れる。圧倒的な力の差に加えて朝から一切休めない状況が続いているという悪条件も加わり、彼の身体は既に限界を超えていた。


「つまんねえなぁ。それくらいしか抵抗できねえのかよ。まぁいいや。親子そろって地獄に行くんだな」


天使が魔力の光線で赤子の命を刈り取ろうとしたその瞬間、女性の声が響いた。声のする方向を向くと、ザカリエルが立っていた。


「やめなさい!」

「ザカリエル……何の用だ?」

「例え穢れた人間と悪魔の間に産まれた子であろうとも、産まれたばかりの赤子には何の罪もありません。それを殺めることは穢れに繋がります。どうしてもやるというのなら力は返してもらいます」


「ハァ? オメー何言ってんだ? オレはSランクだぜ? オレを失うと査定とかにも響くんじゃねーのか? っていうかさあ、何で生き物殺すのがそんなにいけない事なんだい? 良いじゃん。別に。

 人間も悪魔もいずれ死ぬんだ。ただ死ぬタイミングがちょっとだけ早くなっただけじゃん。それのどこがいけないんだ? って言うかオレ達人間は散々生き物ぶっ殺して食ってるのに何でアレだけ特別扱いするんだい? それっておかしいじゃねえか」


「そう。そんなことを言うのね」


 ザカリエルは右腕を前に突き出す。と同時に美歌の立っている場所に魔法陣が生成される。それは彼女の力を吸い取っていく!


「う、うわあああ!」


 身体を急激な脱力感と疲労が襲う。と同時に変身が解けて大鎌は消え、服装も聖ルクレチア女学院の制服に戻ってしまった。

 力を失ったことに美歌は青ざめる。


「ザカリエル! テメェ何をやってんのか分かってんのか!? オレはSランクだぞ!? 伝説の聖人だぞ!? オレがいなくなったらサバト共とのドンパチで勝てると思ってんのか!? アイツらを押さえつけられるのは誰のおかげだと思ってやがる!? 全部オレのおかげだぞ!? しかも今はAランクの真理の奴もいないんだぞ!? オレがいなくなったらB以下しかいねーオメーラなんて日本じゃゴミクズ以下だぜ!? 分かってんのか!? ええ!?」


 チャンスがあるのなら今しかない、と気力を振り絞って乃亜は立ち上がる。


「やめろ……やめろ!」


 怯える美歌に対し最後の力を振り絞ってなぐりつける。肋骨が数本ブチ折れた。

 殴られた衝撃の大きさに耐えきれず美歌は気を失った。ザカリエルは彼女に近づき、抱きかかえる。


「……俺の事は殺さねえのか?」

「私にはあなたを傷つける力は持っていません。それゆえ今は大人しく引きます。ですが赦されたわけではありません。あなたにはいつか必ず神罰を下します。それだけは忘れないで」


 神の使いが去っていくのを見届けた直後、子供を守りきった若い父親の身体に疲れがどっと押し寄せる。彼はそのまま床に倒れるように眠りについた。

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