クーデター

 銃撃と同時に一瞬、ギュッと目を閉じたプリーネであったが……自分が撃たれた様子はなかった。

 振り返って見るが、ヘルマ校長もディルクの身にも何ら変わったところは無い。


「く……は……!」


 呻き声は……プリーネの前方から聞こえて来た。

 ブンゲルト中将が顔を歪め、腹部を押さえている。押さえた部分はみるみる赤く染まっていった。


「な……なにを……」


 その場に崩れ血走った目で背後を振り返る。

 彼の背後にいたゲルリッツ少佐が冷笑を浮かべ、ブンゲルト中将に銃口を向けていた。


「ゲ、ゲルリッツ……貴様……なぜ……」

「今、彼女に死なれてしまっては困るのですよ、閣下。私の計画遂行の為にはね」


 ゲルリッツ少佐はその氷のような冷たい目を今度はヘルマ校長に向ける。


「再生の魔法……貴女ならご存知の筈……いや、既にその使用法はお持ちの筈だ」


 その言葉を聞き、ヘルマ校長は僅かに目を細めた。

 プリーネは思い掛けないところから『再生の魔法』という言葉が出て来た事に唖然とし、同様にヘルマ校長の一挙一動を見守る。


「何が目的じゃ……? 再生の魔法など手に入れて、おまえは何とする」

「知れたこと……。今のままではザーリアー帝国は近い将来、連合軍に蹂躙され亡国と成り果てるだろう。だからこそ、私が再生の魔法を用いて不死の軍隊を作り上げる。不死の軍隊によって、まずはベルリンを占領し、ヒンケルに取って代わる。その後、周辺国を一気に制圧して行くという訳だ」


 つまりはクーデターという事だ。

 この男は不死の軍隊などと倫理を犯すも同然のものを生み、祖国の指導者に取って代わるという野心をまるで他人事であるかの様に淡々と語っている。

 殆ど感情を表に出さない男ではあるが、そもそも、その内面からして機械の様に無感情という男なのだろう。


「き、貴様……そのような事が許されるとでも思っているのか! こ、これは明らかなる叛逆だ!」

「誰も貴方に許して貰おうなどと思っておりませんよ、閣下」


 ゲルリッツ少佐は侮蔑の目で半ば尻もちをついた状態のブンゲルト中将を見下ろす。

 ブンゲルト中将はこの叛逆者の背後に控える兵士たちを一瞥した。が、彼らは至って冷静に、しかしブンゲルト中将を助けようという気配を見せる者は一人もいない。


「ああ……彼らの事か。それならば期待しても無駄だ。貴方はご存知無いようだが、彼らは皆、私の計画の賛同者……つまりは同志でね。この場合、私の私兵という事になるか」

「なん……だと……⁉︎」


 ブンゲルト中将は己れが既に孤立無援の状況である事を知り、地面に尻を擦り付けながら後退りする。


「私の計画遂行の為に貴方に付き従って来たが……仮初めの部下を演じるのもここまで……。もはや貴方は用済みだ……」


 ゲルリッツ少佐はゆっくりと手にしたリボルバー式拳銃のハンマーを倒す。

 しかし、ふと思い出したかの様に、「そう言えば……」と語り出した。


「貴方は以前、私に『音楽は嫌いか?』と尋ねた事があったね」

「なに……?」


 突然、妙な話を持ち出した彼に対し、ブンゲルト中将はわけが分からず戸惑う。

 だが、そんな事もお構い無しに彼は続ける。


「私にも音楽を愛でる器量は有るのだよ。しかし……閣下のお好きなアマデウスははっきりと言わせてもらって私の趣味ではない」


 何を言っているのだろう?

 ブンゲルト中将のみならず、その場に居合わせた全ての者が怪訝な顔をしている。


「私の好きな音楽は歌劇でね……特にワーグナーが好みだ」


 ゲルリッツ少佐は一歩一歩……実にゆっくりとした歩みでブンゲルト中将に迫る。

 それに合わせるかの様にブンゲルト中将はズルズルと後ろに逃れようと下がる。

 彼が尻を擦り付けたあとの路上には、流れ出た血が掠れる様にこびりついていた。


「私が最も愛して止まない曲……それはワーグナー作曲『ニーベルングの指環』第一部……」


 銃口はブンゲルト中将の直ぐ顔の前まで迫っていた。


「き、貴様……!」


 ブンゲルト中将の充血した両目がひと際大きく見開かれる。


「……ワルキューレだ」


 ——パァン!


 口もとで微笑を浮かべたゲルリッツ少佐の冷ややかな言葉と同時に、銃口が火を噴く。


 ——ドッ……


 ブンゲルト中将は無言のまま仰向けに倒れる。

 眉間を撃ち抜かれた彼は絶命していた。


「これより東部方面軍の指揮は私が執る。再生の魔法を入手次第、本国へ戻りヒンケルを始末し、私がザーリアーの全権を掌握するのだ。今よりこの作戦を『ワルキューレ作戦』(※注3)と命名する!」


 高らかなゲルリッツ少佐の宣言に兵士達が呼応した。


「やれやれ……再生の魔法を手に入れようという事は……やはり、おぬしは魔導士の端くれか……」


 ヘルマ校長は目の前で人一人が殺害された光景を目の当たりにしても、至っていつも通り、古狸の様な態度であった。


「気づいていた様な口ぶりだな……」

「初めて会った時からな。魔力には独特な匂いというものが有るのじゃ。他の者は欺けても、わしの目は誤魔化せんよ」


 そう言って薄く笑うと自分の鼻先を指でチョンチョンとつついて見せた。


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