ニイトゲエム

南校舎入口

1話 プロローグ

 声量に十分注意して叫ぶ事を『叫ぶ』と言うのであれば、俺は叫び、『阿修羅鬼神斬り』を繰り出した。


 刀が六本に見える程に剣撃速度を上昇させる『阿修羅化』というスキルがある。だが、『阿修羅鬼神斬り』なんて名称のスキルは存在しない。


 阿修羅化状態で繰り出す、我流の連撃コンボ。

 もう少し詳しく言うならば、無我夢中に、無茶苦茶に。例えるならそう、駄々っ子のように。ただひたすらに双剣を振り回すだけの、ヤケクソじみた動作に、勝手に名前を付けたもの――それが、『阿修羅鬼神斬り』である。


 今回の討伐対象『凍嵐とうらん纏いし黒竜』の身体に、凄まじい斬撃の嵐――もとい、ヤケクソコンボが叩き込まれる。


 時間にして僅か数秒。訪れる、阿修羅化のタイムリミット。その寸前。最後の一撃が、黒竜の弱点である胸部、そのド真ん中を貫いた。


 痛快なヒットSEと共に、全身をビリビリと震わせるようなバインドボイスが上がる。そうして声の主は、糸が切れたかのように地響きを立てて崩れ落ちると、完全に沈黙した。同時に鳴り響く、任務完遂を告げるファンファーレ。


 ――――完ッ全に、決まった……!!


 それはもう、HP管理でもしてたのかってくらい、綺麗に。完璧に。ガッツポーズの一つでもかましたい気分だったが、今はマルチプレイ中だ。

 そんな事をしてしまっては、折角格好良く決まったラストアタックの魅力を損ってしまう。


 ――ので、澄まし顔で黒竜の死体から素材を剥ぎ取りながら、他の三人が剥ぎ取りをしに駆け寄ってくるのを待つ。正確には、『駆け寄ってきて、称賛の言葉を浴びせてくれるのを』だ。


 ……まぁ、一人は言ってくれるのがほぼ確定しているわけだが――などと思っていたら、案の定だ。


「お疲れ様でした! 凄かったです!!」


 一番に駆け寄ってきて、剥ぎ取りそっち退けで称賛の言葉を送ってくれたのは、ミリタリー装備に身を包んだ女の子――『EVE《イヴ》』だった(ゲーム内アバターなので、リアルは男かもしれないが)。


 このゲームは、プレイ人口が少ない事もあって、同じ人と顔を合わせる機会が多い。その中でもコイツとの付き合いは特に長いと言える。


 近頃は、プレイスキルを認めてくれているのか、よく俺の事を持ち上げるようになった。


 それについては悪い気はしないのだが、パーティーの他プレイヤーを置いてけぼりにしてしまい、気まずい空気が流れる事も少なくない。そこだけが難点だ。ただ、今回に限っては心配ない。


「お疲れ様〜。大活躍だったね〜」


「いや実に見事だったよ。僕も見習わなくちゃあいけないね」


 残りのパーティーメンバー――白髪の青年『S』と、黒尽くめの男『YUKIO《ユキオ》』が、イヴの後方から顔を覗かせた。


 この白黒コンビと出会ったのは最近だ。

 二人は親しき間柄らしく、珍しい事に、揃って始めたばかりの新規さんだそうだ。


 その物腰から、精神の成熟した大人であるという事だけは、何となく分かった。イヴの持ち上げムーブにも、笑顔で乗っかってくれている。


 白黒コンビの賛同を得たイヴは、何故か得意げにフフンと鼻を鳴らした。


「流石、黒剣さんですね!」


 黒剣――本名『黒野剣』をもじった、俺のプレイヤーネームだ。この名をゲーム界隈中に轟かせる事こそが、俺の野望なのだ。


「――で。次、どうします?」


「この、『深淵より出ずる巨神』とか、どうかな?」


「えっ。それは――」


 楽しげな会話が進んでいく。ふと、それを遠くから眺めているかのような感覚に襲われる。寂しさ、申し訳無さ、羨ましさ、焦燥感――色々な感情が湧き上がって混ざり合い、脳を締め付ける。


「……済まん。俺、この後用事あるからさ。この辺でお暇するわ」


 ――刹那の、嫌な、沈黙。


「……そうなんですね、分かりました! お疲れ様です!」


 イヴは、いつもと変わらない声色で言った。

 白黒コンビも、それに続いた。


 俺はそれに適当な相槌を打ち、楽しげな会話を再開する三人を尻目に、逃げるようにルームから退室。ゲームを終了した。


 ……ついさっきまで此処で、仲間に背中を預けて、モンスターと熱いバトルを繰り広げていた筈なのに。


 コントローラーを置き、VRゴーグルを外す――たったそれだけで、


 エアコンの運転音だけが響く、見飽きに飽きた俺の現実自室が、そこに在った。


 黒竜の放つ猛吹雪の中ですら熱く燃え滾っていた俺の心が、こんなショボいエアコンの冷気でみるみる冷まされていく。


 余りの虚しさに目を伏せたのも束の間、聞き慣れた耳障りなアラーム音と共に、眼前に『五時◯◯分』という、時刻を意味する文字列が浮かび上がった。


「あぁ、もう……!」


 虚しさが苛立ちへと変わる。このアラームをセットしたのが自分だから余計イラつく。


 時刻表示に人差し指をかざし、あっち行けと言わんばかりに、指先をスライドさせる。すると時刻表示は、指に合わせて滑るように動き、スーッと視界の端に消えていった。それを見届けたところでようやくアラーム音が鳴り止む。

 

 魔法で目覚ましが宙に浮いていた訳じゃない。

 未だゲームの世界という訳でもない。紛れもなく、此処は現実だ。なら、は何か。


 インカネイター――俺が今、耳に付けている物の名前だ。大昔で言うところの『片耳イヤホンマイク』というやつに似た形状をしているが、これはそんな陳腐な代物ではない。


 二年前――西暦二○四○年。前時代の携帯端末が完全に廃れ、新たに普及したのがこの現実拡張ARデバイス、インカネイターだ。


 当時。人々が未だ鉄の板切れに指紋を擦り付ける作業を延々と繰り返していた頃。『人の五感を司る神デバイス!』などという、何とも胡散臭い謳い文句の広告が、いつの間にか目に付くようになっていた。


 広告が言うには、『そこに無いものを、まるでそこに在るかのように体験出来る』とのこと。

 見て、触れて、匂いも嗅げる。味も解るかもしれない。これがゲームや動画に適応出来るとしたら――なるほど、それだけでも凄そうだ。


 しかし。広告に対する世間の反応は酷く冷めたものだった。


 当たり前だ。もし謳っている内容に嘘偽りがなければ、インカネイターは、百年後の未来から持ってきたレベルのデバイスだ。そんなものがいきなり出来たと言われても、信じるのは難しい。オモチャの宣伝と勘違いする人までいたくらいだ。


 信じない人が九割九部。しかし謳っている機能が機能なだけに、非難の声を浴びつつも、何だかんだでインカネイターは世間の耳目じもくを集めていった。


 そして端末の発売日。誰もが掌を返した。

 このインカネイターというやつは、本物だったのだ。


 初めて使用したときの衝撃は、今でも覚えている。装着し、起動すると、眼前にポコンポコンと浮遊物が出現した。アプリのアイコンが描かれた大量の箱。それらが、ホーム画面の如く、眼前に陳列したのだ。


 その中の一つ、いつも使っている動画サイトの箱に触ってみる。すると、箱の群れは消え去り、代わりに様々な動画のサムネイルが映った小ディスプレイが、眼前に所狭しと陳列された。


 これも同じように、触れれば中身を視聴することが出来た。正確には、


 猫の動画を再生すれば、実際に触れて撫でられるし、絶叫マシン実況なら、風圧や振動、浮遊感が全身で感じられる。飯テロ動画なら、料理の香りまで伝わってきて――そこは不便なところか。


 高画質だとか、3Dだとか。そんな次元じゃない。『そう、それはまさに、電脳世界との融合! 私達の世界は、一変する。五感を司る神デバイス、インカネイター!』


 ――端末の発売後、広告に出るようになったアイドルの吐く台詞は、正しくその通りだった。


 インカネイターは凄い。世間の反応からしてもそれは間違いない。でも俺は、すぐに買おうとはしなかった。購入に至ったのは、発売してから一ヶ月後。期間を置いたのには理由がある。


 と言うのも、引っ掛かっていたのだ。

 インカネイターは、五感を司るデバイス。つまり使用者は、自分の脳の信号をどうこうする権限を、機械に明け渡しているということになる。


 それってちょっと、怖くないか?


 大半は気にせず使用しているようだが……例えばデバイス側の不具合や、外部から送られてきたウイルス等によって、脳に深刻なダメージを負わされる。そんな事が起こり得るかもしれない。


 その危険性を考慮し、俺は様子を見ることにした。そのような事例が実際に発生するかどうか。

 情報収集を怠らなかった。


 何でそんなに熱心だったのかというと、俺もインカネイターが欲しかったからだ。


 アレの本体価格は凶悪だ。だが、こっちの物欲も凶悪だった。値段を見ても尚、購入に傾かんとしていた。


 だから、『価格以外に文句の付け所が一つもない、本当に良いものであると判断出来たら買う』という事で、物欲とは話が付いた。それ故の熱心な情報収集だったという訳だ。


 結果として僕はインカネイターを買いました。


 物欲を抑えていられるのは一ヶ月が限界だ。その間、物欲を力に変えて情報収集して分かったのは、危惧したような事例は一件も発生しなかったということと、インカネイターの安全対策が万全だということ。


 ウイルス等の危険なプログラムは言わずもがな、痛みや過度な恐怖、不快感を伴いかねないコンテンツに関して、非常に厳しくチェックや取り締まりが行われているらしい。


 審査を通ったゲームで銃弾を浴びても、感じるのは精々、僅かな衝撃くらいのものだし、スプラッタ映画なら、大量の血や死体が出てきても、顔をしかめる程の臭いは漂ってこない。


 それでも万一、脳波に異常が見られた場合にはセーフティが働き、即座に五感との接続が切れるようになっているらしい。


 流石に物欲との約束を守らずにはいられなかった。素直に発売日に買っておけばと後悔もした。

 今でこそ多少落ち着いているが、インカネイターが発売してからの数ヶ月は、正に祭りだった。

 いつもは糞みたいなネットが。民度が。あのときばかりは輝いて見えた。


 一方、その輝きとは対象的に、影を落とす界隈があった。デジタル関係の市場だ。様々な電子機器や、五感情報操作に対応していないサービスが下位互換と見なされ、オワコン呼ばわりされるようになったのだ。


 そのまま廃れてしまったり、或いはインカネイターと競おうとしたり、取り入ろうとしたり……市場は大混乱に陥った。というか、今でも陥っている。何せ、あれからまだ二年しか経っていないのだから。


 世の中の色々なものが、インカネイターという万能機の登場によって、良くも悪くも影響を受けた。こんなに凄いものが生み出されても満場一致で喜べないのだから、人間という生き物はつくづく我が儘だよな。


 きっとどれだけ技術が進歩しても、俺達が生きている限り、生き物である限り、不満が絶えることはないのだろう。


 だって、まず身体からして不出来だ。食事や排便、睡眠を定期的に行わなくてはいけないし、それだけのものを必要とする割にすぐ病気にはなるし、怪我すれば痛いし、最後には必ず死んでしまう。


 どんなに健康で尊い人間も、車に轢かれただけで呆気なく死ぬのだ。


「………………」


 そのうち、不老不死の薬が出来たり、死んだ人間を蘇らせたり出来る時代も来るのだろうか。

 ……いや、俺には関係ないか。ニートだし。そんなもんに手出せる金ないし――。


 ――ちらりと、先程まで付けていたVRゴーグルに目をやる。


 ……確か、黒竜を倒したときのタイムが十分で、報酬金が十万だっけか。


 たまに思う。この金を、リアルマネーとして現実に引っ張り出すことが出来たらどんなに良いだろう――と。それが叶うなら、こんなにボロい仕事はない。ゲームの設定上は命がけだが、俺に言わせればこんなもの――。


 ピロリンッ。


 軽快な電子音が響き、我に返る。

 気が付くと、便箋アイコンが眼前に浮かび上がっており、そのすみには【1】の表示。メールが一件来ていることを、インカネイターが報せているのだ。


 ちらっと、視線だけを右上に向ける。インカネイターによって、視界の右上に常時表示されている時刻は、未だ五時過ぎ。


 こんな時間に、しかも、SNSではなくメールで連絡を寄越してくるような知り合いはいない。

 つまりこれは、迷惑メールというやつだ。


 エロサイトへの出入りを繰り返した代償だ。毎日のように送られてくるもんだから、全部ブロックした筈だったのだが……生き残りがいたのか。


 たった一件だ。放置しても何ら問題はない。

 が、俺は眼前の便箋アイコンをタップする。


 メールを一度開いて確認しなければ、未読メールがあることを示す【1】の表示が消えないのだ。ああいう通知を残したままにしておくのは、性格上どうも好かん。


 確認し終わったら風呂行くか。早くしないと家族と被っちまう。その後は……またゲームやるか。さっきは変に抜けて来ちまったけど……まぁ、『風呂行ってた』で通るだろ。アイツら、まだやってるかな……。


 そんなことを考えながら便箋アイコンをタップし、メールの本文を開いたところで俺の思考は止まった。


 ――――違う。


 そのメールには、『久しぶり! メアド変えたから連絡よろしく!』とも、『入会申し込み受け付けました』とも書いていない。何かのファイルが添付されているだけで、本文は空欄になっている――かのように思えたが、空欄の右端にスクロールバーがある。


 スクロールバーは、眼前に表示し切れないくらい本文が長い場合のみ、出現する仕様の筈だ。つまりこれは空欄ではなく、空白か改行で埋め尽くされているのだと推察出来る。


 そこまで分かれば、このメールがどういうものなのかも見当が付く。


 一見何も書かれていないように見せかけて、一番下までスクロールすれば、実は秘密のメッセージが書いてある、という――餓鬼のお遊び。


 誰が。何の為に。


 次なる疑問が浮かんでくるが、俺は考えるのを止める。


 ……インカネイターのときといい、深読み癖も考えものだな。何をマジになってる?

 こんなメールを寄越すヤツの事なんて、考えるだけ無駄だろうに。ちょっと毛色が違うだけで、迷惑なメールには違いないわけだし。あー、やめやめ。無視安定。


「………………」


 餓鬼のお遊びとはいえ、だ。こういうのは、何が書いてあるか一回見てみたくなるのが人間の性だ。そうだろ?


 思う壺って感じで少し癪だが、書いたやつが見てるわけじゃないしな――。


 空欄部分をタッチし、上にスライドさせる。























 変工夕イナラ開ヶ.

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