第9話:星と魔の戦線

 侵入者、そして窃盗犯となったアインと戦闘するのは二度目になるが、しかし用心棒エルガーには不可解な事があった。

 美術館でケモノに放ったのは、教団特製の星銀弾せいぎんだんと呼ばれるもので、悪しき魔素を吸収、その場で消し去ってしまう非常に強力な代物だ。

 眼前で、壊れた教会の長椅子を盾に銃弾の雨から逃げ回るアインは生身で二発も喰らっている。

 魔素を消すうえに、その実、人を殺すための凶器だ。

 それなのに、アインは今でも縦横無尽に教会の中を逃げ回っている。


「流石のアインさん、だな。どんなモノ食えばそんな強くなるんだか」

「さあ。馬肉とか、鹿肉とかじゃないか?」

「馬鹿になりそうな組み合わせだな」

「ご生憎様だぜ」

 言って、アインはエルガーが次のマガジンに手を掛けたタイミングで、逃げていた足をエルガーに向けた。地面を蹴り上げ直進する。

 当然だが、アインはウォルトのように神速を持っている訳ではなく、ヒューラのように魔素も扱えない。

 ただ、死なないだけである。

 人並みの速度、小回りの効く青年が出せる速さでエルガーに突っ込んでいく。

「成る程、もう取り返しのつかないくらいの馬鹿だった訳か」

 真っ直ぐにしか進まない銃弾の軌道にぶつかるアイン。目の前に迫るその銃口に、指を突っ込んだのだ。

 強烈な破裂音と共に、アインとエルガーの間で小規模ながら強大な威力を伴った爆発が起こる。

 暴発で使い物にならなくなった拳銃と、エルガーの機巧の片腕が、がちゃん、と機械的な音を立てて地面に落とされる。そのあと、吹き飛んだアインの片腕が鈍い音を立てて教会の床を転がった。互いの間合いが元の位置に戻る。

「そゆこと」


 二度も切断された自分の腕を見て、エルガーの敵意がアインに全面的に向く。余裕がっているアインだが、額にはうっすらと汗が滲んでいた。

「ずいぶんと苦しそうじゃあないか」

「お前らと違って血が出ると滅茶苦茶痛いんだよ。一発でお陀仏するならまだしも、こうも中途半端に生きちまうとな」

「じゃあ死ねよ」エルガーの笑みに狂気がはらむ。そして機巧の腕を地面に叩きつけると、古びた木目に赤い光が走る。

(これは、『生命の石』と同じ?)

 思考に迷いが生まれ、再生しようとしていた腕に意識が外れた。

 そこが取れない命の命取りだった。

 古びた板張りの地面が抉れ、赤い光の剣山がアインの四肢、正確に言うと片腕と両足を貫いた。

「ぎっ」

 先端から回ってくる痛みに短い悲鳴が漏れる。

 更にアインの周囲を囲うように、廃墟の床板を抉り剣山が床を突き破ってくる。

「アイン!」

 赤コウモリが叫ぶが、もう翼を失った彼女では飛び越える事ができない程の高さにまで、剣山は伸びている。その先端、見下すようにプラシェラが佇んでいた。



 手には、エメラルドグリーンの魔素で出来た剣が握られている。形状は歯車を半分に切ったようなものだった。

「なんだよ司祭様。全ての魔素を消すとか言っといて、自分だって魔素使ってんじゃんか」

 傷がふさがる度に、貫かれて穴が広がっていく。激痛が思考の邪魔をしていた。

「これは魔素ではありません」

「世界を統べる我が神に授かりし聖なる力、星素せいそです」

大真面目なプラシェラを鼻で笑う。

「言い訳ならもっと面白くても良いんじゃないか? つまんなくて気も紛れねぇよ」

 表情ひとつ変えず、プラシェラが剣を振るった。剣山の針がアインの中折れ帽子も貫通して頭に突き刺さる。帽子の影から血がどろりと流れ出す。

 打ち所が良かったのか、アインには意識がまだあった。しかし、視界はぐらりと揺れている。命の危機を免れたというよりかは、みすみす生かされた気分だった。

「御免なさい。ここシュガー・ポットでは少々魔素が強すぎて手元が狂ってしまいました」

 繊細な笑いがこぼれるが、プラシェラの目に感情はない。

 決死でアインはプラシェラを睨む。まだ口は回る。

「それよりも、何であの用心棒が赤コウモリと同じ力を持ってたんだ。自分の部下は薄汚い悪魔と同じとでも言いたいのか?」

「いいえ」

 さらり、とプラシェラは答える。

「『生命の石』は、いわば人の心と魔素の集合体です。即ち、人の心が穢らわしい魔石に作用する事も容易い」

 背の高い教会の天井にまで届きそうな距離で、プラシェラは陶酔して壊れていない聖十字を仰いだ。

「我が神を慈しみ、深く信仰する心があれば――」

「その穢れをも、星素へと変える事が出来るのです」


『生命の石』は、人の心を縛り付ける魔石。自らの意志で人を食う。

 その人間の心に信仰という信念があれば、やがて魔石もその力に作用される。

「エルガーにも、『生命の石』は宿っています。勿論、ケモノとは違う、星素の集合体です」

「成る程なあ。石ころがアンドロイド製造機だったとは」

 僅かであるが、アインの顔に余裕が戻ってくる。それにつられるようにプラシェラも笑ったが、次の瞬間にはアインの心臓をエメラルドグリーンの――星素の剣で貫いていた。

「があッ」

 吐血した血が、足元に血だまりを作る。

 剣を突き刺したまま、プラシェラはアインの耳元で囁く。

「問います。不死身の貴方」

 アインの鈍色の瞳が、プラシェラのエメラルドグリーンの瞳を捉える。しかしそこにいつもの鋭さはない。

「貴方は、なぜ不死身になったのです? 死ぬことを、自分が無くなる事を恐れたからではありませんか?」

「それは」

 答えようとしたが、それは答えにならずまた吐血するだけに終わった。刺さったままの剣を、プラシェラが引き抜きまた突き刺したのだ。

「方法はどうであれ、不死身にだって限界はあります」

 再び剣を途中まで引き抜く。そして、更に力を込めて深く刺し込んだ。

事です。美術館でも貴方を見て思いました。貴方の不死は身体の再構築を行う事で成り立っています。ならば、

 何度も身体に叩き込まれる致命傷に思考が途切れそうになるが、あと一歩の所をわざと外され、意識がギリギリで留まる。

「終わりが怖いのなら、機巧教団わたしたちはいつでも手を差し伸べますよ。人間の身体など、棄ててしまいましょう」

 微笑みかけるプラシェラに、掠れた声で言う。

「お断りだ、アンドロイドなんて死んでるのも同じじゃねえか」

 アインは不死身なだけで、この状態を打開する秘策はない。腕から銀の刃は生えて来ないし、蝶の使い魔は助けに来ない。

「生きてもいないで、死んでもいないのなら、今の貴方だって同じでしょう?」

(確かに、そうかもな)

 表情にこそ出せる余力は残っていなかったが、心の中ではプラシェラに納得する。そうだ、生きてるだなんて、人並みの事は言ってはいけないのだ。

 偽物のような身体で、そんな事を。

 目を伏せると、完全な暗闇が視界を塗りつぶす。次はいつ起きれるだろう。それとも、プラシェラに殺され続けていつまでも眠っているのだろうか。そうしたら、とうとう自分は死ぬのか。

 走馬燈のつもりなのか、最後に見たものが瞼の中で再生される。

 奇しくも、自分の恋した色は、自分を殺す色になるようだ。

(――待てよ)

 意識が落ちようとした、最後の一瞬。

 目に焼き付いて離れない『赤』が、ピラミッド型に姿を変えた。

(『生命の石』は、人の心にも干渉する。人の心が、魔石の性質を変える・・・・・・)

 停滞していた血の巡りが戻ってくる。意識が浮上してきた。そして、底なしの海から顔を出した、その瞬間。

「おい! 聞こえただろ! お前は、『何者』だ!」

 剣山に阻まれた、向こうの赤コウモリへ叫んだ。



 高い教会の天井にまで届いてしまうような剣山。

 そこから聞こえてくるアインの呻きを、越えられない壁の向こうで、赤コウモリは聞いている事しか出来なかった。

 もう自分に魔素はほとんど残されていない。そして目の前には、自分が失ったものを持つ、かたき

「悔しいかいお嬢ちゃん」

 こちらに向かうエルガーに、力なく赤コウモリは訊ねる。

「タトゥを消したのは、人間との決別だったの?」

「美術館にいるお兄さんが、そんな見た目じゃあ怖いだろう?」

 生きているほうの腕を、赤コウモリと同じように機巧化させるエルガー。星素を結晶化させた爪を赤コウモリに振るう。咄嗟に悪魔の腕に変化させ迎え撃つが、余力の差は歴然だった。

 機巧化した腕に鷲掴みにされ、そのまま身体が宙に浮く。

 砕かれた腕は、もう人間のそれに戻っており、そこから攻撃に転じる事も逃げ出す事も無かった。

「お前は、プラシェラ様に愛されていた」

「人間でも、実の娘でものに!」

 吐き出すように、怒りをぶつける。そのまま赤コウモリを床に叩き付けた。

「そしてお前は裏切ったんだ! プラシェラ様の愛情も、恩恵も!」

 勢い任せに、憎悪をぶつけるように足を踏みつける。少女の華奢な足は簡単に潰れてしまった。

「だから俺が、俺がプラシェラ様の望むものになってみせたんだ。お前が、成れなかったものに!」

 地に伏せる赤コウモリを見下し、天に向かって咆哮さけぶエルガー。血走った目に、主人の姿は無かった。


 翼もない。魔素ちからもない。暴れる事もできない。

 一体どこに、自分があるというのだろう。

 魔素の濃度が高いおかげで、『生命の石』はその輝きを失ってなかった。自分の中にある石も、眼前の壁も。

(それなら私は――『生命の石』か)

 中にある赤い輝きが、自分の意志を刈り取っていく。いずれ自分が無くなって、古い床の木目に溶けていくはずだ。

(ならせめて、この壁さえ無くせれば)

 ほんの少しだけ動く細い指で木目をなぞると、『生命の石』の感覚が指先から腕へと流れていくのを感じた。

 意識などほとんど残っていなかったが、その感覚は、二十年経っても身体が覚えていた。

 指先から段々と、動きを取り戻していく。


 その直後。

「おい! 聞こえただろ! お前は、『何者』だ!」

 アインの叫び声が、剣山の向こうから聞こえてきた。

 慰めていた時の優しさは無い。しかしそれは、赤コウモリを奮い立たせるには充分の強さがあった。

「言ってくれるのね、アイン!」

 木目を走る光が、赤コウモリへと流れていく。変化にいち早く気付いたエルガーが赤コウモリに牙を向けるが、その一撃がもう赤コウモリに届くことはなかった。

 目に映ったのは、魔素が顕現した真っ赤な翼。

「お、マエ」

 まだ立ち上がるには至らないが、四肢で床を踏みしめて、エルガーに立ち向かっている。

「あなた達が、そう言ったんでしょう」

『翼を持った悪魔』。

「あなたがそう思うなら、それで結構」

 悪魔はそのまま、雄叫びをあげながら向かってくる獲物に翼を最大にまで広げる。

 そこから放たれたのは、ガラス雨に似た刃。魔素の刃は、機巧と化したケモノを悉く切り刻んだ。

「どんな姿でも、私は私――『赤コウモリ』よ」

 人間の皮が剥がれ、機巧の身体も砕かれていく。声を発する機関も壊れ、しかし自分に与えられた使命を全うしようと声無き叫びと共に、最後の一撃を振るう。

「だからあなたも、自分のなるようなものに成れればいい」

 動くようになった片腕を翼にあてがい、魔素の拳銃を顕現させる。

「あなたと私は、違う」

 赤い銃弾は、鋼の身体も貫いて心臓部の『生命の石』を撃ち抜いた。

 ぱりん、と砕けた『生命の石』の心臓が、木目に溶けていく。

 そして、赤い剣山が轟音と共に崩れ去った。



 崩れた星素の結晶が、雨垂れのように教会に降り注ぐ。地面に落ちた結晶は、まだ輝きを失わずに横たわっている。

 それだけ見れば幻想的な風景だったが、そこに姿を表したのは文字通り串刺しにされている青年と血相を変えた司祭だ。

「豪快にイッたな。お陰様で起きちまったよ」

 剣山の拘束も解け、身体は傷だらけで片腕も吹き飛んだままだが、気持ちだけは戻っていた。首を鳴らしながらプラシェラに笑いかける。

「そんな・・・・・・私の・・・・・・」

 辺りに散らばる、剣山だった、従者の一部だった結晶を、悲嘆するような目で見渡せば、その矛先を赤コウモリに向けた。

「『悪魔』が、この惨劇を」

「産み出したのですね」

 妖しく光るエメラルドグリーンの眼光が、赤コウモリに向かう。

「待てよ、お前の相手はこっちに――」

 しかしプラシェラは聞き入れようともせず、剣の星素を増大させていく。

 自分の星素全てを、なりふり構わずぶつけようとしていた。

「おい!」

 それを止めようとアインも後を追う。目線で赤コウモリに「動け」と呼びかけるが、彼女は一向に動こうとしない。

 よく見てみれば、少女の脚が崩れた結晶の大塊に、押しつぶされていたのだ。

 それにアインが気付いた、のを察した赤コウモリは――初めて、少女のように、満面の笑みを浮かべた。

 そして、最期に自分のもう一つの姿である、ピラミッド型の赤い宝石、『生命の石』をアインに向かって投げる。手の内に収まった瞬間、それ、は姿を回転式拳銃リボルバーへと変えた。

 少女――赤コウモリは頷く。

 迷う暇は、無かった。



 プラシェラが赤コウモリをエメラルドグリーンの星素の剣で切り裂く。

 数刻遅れて、アインのリボルバーから赤い魔素の銃弾が吐き出される。

 六発の銃弾が、機械仕掛けの身体と宝石の心臓を貫いた――。







 シュガー・ポットの街外れにある、廃墟と化した教会。

 赤い星素の結晶は、跡形もなく、街に流れる魔素と解け合って消えてしまった。

 壊れた教会に倒れ伏すのは、大事な機関を全て吹き飛ばされ、スクラップになった司祭。

 そして、灰になって消えていく、悪魔としての最期を迎えた少女の傍に、アインは寄り添っていた。

「非道いよな、お前。美少女のクセしてとんでもないクソ女だ」

 破れた屋根の穴から射す夜明けの光にリボルバーの銃身を照らす。

 銃身の片側には、赤い彫り込みの文字で『ウィングアンドクリスタル』とあった。

「フったのに、置き土産押し付けていきやがった」

 そしてもう片方の彫り込みに――アインは仕方なく笑って、その言葉をなぞった。

頬に伝う涙を慰めるように。




『私を忘れないで』。





 朝陽が昇る頃、もう、宴会の声は聞こえなかった。


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