第5話:美術館では静粛に

 都会の割高タクシーに揺られる事、三十分。シュガー・ポットとは随分かけ離れた都会の郊外に件の美術館はあった。

 帽子を被り直しながらタクシーから降りるアインにウォルトが続く。

「へえ。なかなか現代的だな」

 昼間の南中している太陽に目を細めながらウォルトが言う。確かに、建物自体の外装は白いコンクリートだった。二対の白い棟をガラス張りの渡り廊下が繋いでおり、その真ん中に、ドーム型の建物が建っている。

 歴史的な建造物というよりかは、現代アート美術館の様相だった。

「なーんか、こうも白くてデケェと病院みたいだなァ」

「確かに」

 呑気に歩き出したウォルトに抜かされながら、アインも歩き出す。

「病院も美術館も嫌いだけどな」


「遠路はるばる、ようこそいらっしゃいました――と、今度はこちらの番ですね」

 美術館内に入るや否や、エルガーが出迎える。

 ウォッチ&リポートで出会った時とは違い、身なりがしっかりと整えてあった。とてもアンダーグラウンドの情報屋に駆け込むような男には見えない。

「お二方がいらっしゃると館長に伝えましたところ、大層お喜びになられていました。本当にありがとうございます」

 恭しく頭を下げ、握手を求めるエルガー。二人は苦笑気味にその手を取った。

「元気そうで何よりだな」

 そんなにあの石が大事か? ウォルトが聞くと、エルガーは大きく頷いた。

「ええ。先日もアインさんがおっしゃった通り、『生命の石』はこの世に二つとない貴重な美術品です。我々美術館のスタッフには命にも変えられないもので・・・・・・。この石にはこれまでに魅了してきた人々の心が宿っていまして……」

 ウォルトがエルガーの熱弁を聞かされている一方で、アインは興味も向けずに美術館の展示品を眺めていた。

 大海原を描いた絵画。古代文明の文字が彫り込まれた銅鏡に、ダイヤモンドがふんだんに使われたティアラ。果ては、絶滅した南国の鳥の剥製まであった。

「美術館と言うより、コレクションボックスみたいだな」

 独り言のつもりでこぼした言葉に、それまで『生命の石』について語っていたはずのエルガーが反応した。

「流石アインさん。その通り」

 今度は二人に視点を向けて、エルガーは語り出す。

「ここは、まぁ、美術館と銘打ってしまっていますが、私立の美術館なんですよ」

「ふうん?」

 相づち半分、陶磁器人形の隣に飾られているガラスケースをのぞき込む。見たこともない、ステンドグラスのような色彩を持った蝶の標本が飾ってあった。

 少し恥ずかしそうに、エルガーは言う。

「言ってしまえば、偉大なる館長、プラシェラ様の個人コレクションを展示している場所に過ぎません」

 そして、歩いた先にある肖像画を指し示す。このフロアで一番大きく、そして厳重に保護されていた。

 妙齢の女性、それも司祭の姿が描かれていた。目を閉じ祈る姿は、聖母のような雰囲気を纏っている。

(聖職者かい)

 ちらり、と隣のウォルトを見る。特に気に留める様子もないが、「この女オッパイでけえな」と言い出しそうな顔だった。

「子供のオモチャ箱――ではないですが、宝石箱のようなものです」

「安直だな」

「恐縮です」

 さて。エルガーは手を打って二人に切り出した。

「折角です。カフェテリアがございますので、『生命の石』の展示室に行く前にお茶でもしていってください」

 ウォルトが口笛を吹く。

「いいねぇ、酒も好きだがコーヒーも好きだ」

「それは何よりです、ウォルトさん。この棟の三階にありますので、どうぞ。私は館長と連絡をしていますので」

 意気揚々と向かうウォルトに、翡翠の彫刻に目を奪われていたアインが遅れて歩き出す。しかしエルガーの前を通り過ぎようとしたとき。


「アインさん」

 彼の少し暗くなった声色に呼び止められる。

「一つだけ、よろしいでしょうか?」

 鈍色の瞳を向けるアイン。エルガーの琥珀色の瞳とぶつかった。

「貴方もしや、『生命の石』に縛られているのでは?」

 意表を突かれたのか、アインの目が見開かれる。すぐに顔を逸らして「さあな」と切り返すが、エルガーの口元から笑みは消えなかった。

「逆に俺も訊くよ」

「大層な傷だけど本当にお前ただの学芸員か?」

 言われて、「ああ」とエルガーは自分の顔に刻まれた大きな傷跡をなぞった。

「お気に召しませんでした?」

 食えない態度に、アインは吐き捨てるように言った。

「ダサいぜ」


「全席禁煙だぞ未成年」

 カフェテリアで一服しようとして止められたが、気にせずアインは紫煙を吐く。眉をひそめてウォルトはコーヒーを飲んだ。

「何だよいつも止めない癖に」

「せめてその副流煙で人殺せそうな煙草はやめとけよ」

「お前が死んでないから大丈夫」

 それに、とアインは周囲を見渡して空のカップに灰を落とす。ウォルトも言っていたが、全席禁煙なので当然灰皿はない。

「俺達くらいしか客なんて居ないんだからいいだろ」

 昼過ぎだというのに関わらず、カフェテリアも、館内も人の気配を感じない。その事実こそ不気味なものだったが、二人は気に留める様子もなかった。

 何せここは、公共施設の名は借りているが実際はただの個人のコレクションが、無作為に飾ってあるだけなのだ。

 都会とはいえ、郊外の足が悪い場所にある。相当の事――『生命の石』が無ければ人が寄りつかないだろうとは、容易に想像出来る。

「それにしても」

 渋々としていたウォルトだったが、もうアインに何か物言いする気もなくなって話題を切り替えた。

「その、プラシェラ、っつーグラマラス司祭様は、随分な金持ちなんだな」

 いち個人で、郊外とはいえ地価の高い場所に自分のコレクションを飾るだけの美術館を建ててしまうなら、莫大な資産の持ち主なのだろう。それに大前提として、美術館として成立するだけのコレクションを集めるだけの財力も持っている事にもなる。

 宗教とはビジネス、とはよく言うが、どれだけの支持をプラシェラが集めていると考えると、ただの金持ちと括るには恐ろしい人物だ。

「それに、お前の知識を借りるならだ、アイン。『生命の石』ってのは相当貴重なモンなんだろ」

「ああ。これだけの司祭が悪魔一匹取り逃がすなんて、考えもつかない位だ」

 流石に従業員の目が気になったのか、窓際の席に移り、窓を開けて煙草を吸うアイン。

『悪魔』。

 シュガー・ポットの人間(人間と一括りにするのもまた少々違うが)なら聞き慣れたものなのだろう。しかし外の世界もアインにも、慣れない言葉だった。

 まだ自分の感覚は麻痺していないようだ、アインの中にどこか安堵する自分がいた。

「魔素の濃度も、ここは比較的低いのによく『悪魔』なんてぞんざいなもの信じるよな」

 魔素は人間にとっての毒。人に非ざる者を引き寄せる媚薬だ。いつ、どこから流れ出したものなのか未だ世界の謎だが、世界に蔓延している事は間違いない。

「魔素の確認がされてる以上、その地域に住む人間なら嫌でも意識するだろうさ」

 ウォルトが他人事のように言う。確かに魔素汚染の話であるなら、当事者、シュガー・ポットの住民ウォルトにとっては他人事なのだろう。

「人間だって病気になるだろ。怪我だってするだろ。セックスだってすんだろ。それと一緒。魔素で汚れない人間のほうが少ないさ」

「ヒューラみたいに、魔素に汚染されてますよー、っつう症状が出るのは、まぁ少し可哀相とは思うけどな」

「まぁ、あいつ『魔女』だし」

「だあな」

 二人で声を揃えて笑う。窓の外で、尾の長い蝶が舞っていた。


「・・・・・・魔女?」

 と。

 二人の声に、聞き慣れない女性の声が割って入る。か細い声だが、心の底に響くような声だった。

「不思議ね。魔女狩りのせいでとうの昔に全滅したと思ってたけど、シュガー・ポットにはまだ生きているのね」

 声のほうへ振り向いてみると、例の司祭――プラシェラとエルガーが立っていた。青と白の生地に、金の刺繍がある祭司服に身を包むプラシェラ。鈍色の瞳で観察するアインに代わって、ウォルトが答えた。

「それは、ご想像にお任せするサ」

 ウォルトの冗談めいた言葉に、繊細な笑いをこぼすプラシェラ。まだ目を伏せているせいで、瞳の中が読めない。

「是非とも会ってみたいわ。『魔女』は蒐集癖で研究熱心と聞くし、きっと気が合うと思うの」

 ねえ、エルガー。

 館長に尋ねられ、エルガーは静かに頷く。

 厳かな雰囲気を崩さないまま、またプラシェラは二人に向き直した。アインも諦めて観察をやめた。警戒を解いた合図と受け取ったのか、プラシェラが切り出す。

「本日はあの赤石――『生命の石』の保護にご協力頂き、大変感謝しております。異端の街シュガー・ポットから来たと、お聞きしておりますので、『悪魔』など相手にならないかと」

「ま、余裕ってハナシだぜ」

「心強いお言葉、大変ありがたく思います」

 では、向かいましょう。プラシェラとエルガーが歩き出すのに、ウォルトが続く。

「行くぞアイン」

「・・・・・・おう」


 もう一度、アインは窓の外を見る。美術館の白い壁に、歯車と十字架の紋章が彫り込まれているのが見えている。

 その紋章は、背を向け歩くプラシェラの司祭服にも刺繍で描かれていた。


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