【第二十話】異世界でもニートがしたい

「に、ニヒト様!」

 俺とエリアさんが話し込んでいると、セレフが駆け込んできた。

 彼女もエリアさん同様に急いで来たようだ。身だしなみには煩いセレフが、所々メイド服を乱し、息を荒くしていた。


「こ……こちらにいらっしゃいましたか」

「……どうしてここが?」

「ニヒト様のことです。どうせ今夜はわたしを気遣って外泊するつもりだったんですよね」


 どうやらうちのセレフには、大方がお見通しらしい。しかし俺は首を縦にも横にも振らない。だって『わたしに気遣って』という部分は違うからな。俺はただ耐えきらなくなって逃げてきただけなんだから。俺はそこを指摘しようとするも、セレフが先んじて口を開いてしまう。


「あ、アストレア様が……お一人で魔王城へと向かわれてしまったようです!」


 街を彷徨っている間、一応は屋敷を飛び出していったアストレアの姿を探した。

 結果は見つからず。俺は天界に帰ったものと判断していたのだが、そうか魔王城に向かっていたのか。どうりで街の中では見つからないはずだ。


「アレッタ様を始めとした騎士団の皆様が、アストレア様を追って街を出て行かれました!」


 セレフが俺にそんなことを言ってきた。

 なんだよ。懇願するような、期待するような眼差しは。この宿屋にいる理由といい、この眼差しといい、セレフはまだ俺なんかに要らぬ幻想を抱いている。セレフの『ニヒト様』と俺自身『新戸二飛斗』は大きく乖離しているんだよ!


「……だからどうしたんだよ。アレッタたちが向かったなら何の問題もないだろう」


 だから、俺はアストレアの元へは行かない。

 ここで俺が魔王城へ行ったところでどうなる。戦いの隅で指を咥えてみているだけだろう。何の力も、何の術も持たない俺には、それしかできないからな。

 これ以上、そんな『新戸二飛斗』の姿を見せたくない。俺はセレフの言うような『ニヒト』で居たい。ここの宿屋で働くことで『新戸二飛斗』を卒業したい。ここで一から『ニヒト』としての異世界生活の第一歩を刻みたいんだよ!


 そんな想いで、俺はセレフを強く突き放した。


「そうだよ。ニヒトくんに魔王城なんて無謀すぎるよ。剣聖様が助けに向かったなら、それで大丈夫でしょう? 突然やってきてあなたはどうしたいの? あ、わかった。あなたがニヒトくんをニートなんかに仕立て上げた犯人ね! ニヒトくんの時間をこれ以上、奪わないであげて!」


 事情を知らないエリアさんは、セレフにそんなことを言っていた。

 言われたセレフは何も返さない。彼女は黙って俯くばかり。きっと呆れて声も出ないのだろう。どうしょうもなく情けない俺に、大きな失望を抱いているのだろう。


「そう、ですか」

 セレフはそれだけ呟いて、俺に背を向けていた。


 ああ、これでセレフとの関係が終わる。


 セレフには迷惑をかけてしまった。料理、掃除、洗濯。屋敷の家事全般。それ以外にも、望んでもない融資の話しをしつこく持ってくる迷惑な輩の追い返しなどの雑務もこなしてくれた。さらにセレフは俺が旅に出ることを告げると、俺の身を案じて同行してくれた。そこに何のメリットも存在しないのに、だ。


 セレフには本当に色々としてもらった。

 最後の別れ。俺はせめてありがとうぐらいは伝えようと、セレフの背に声をかけようとする。


「ニヒト様――」

 しかし、またしても彼女に先を越されてしまう。

 どうして俺はこんなにノロマなんだ。本当に自分が嫌になってくる。

 こんなやつ、愛想を尽かされて、当然だ。


「――屋敷で待っていてください。アストレア様を連れて、すぐに帰ってきます」


 しかし、セレフという少女にとって、それは当然ではなかった。


「わたしは今から魔王城へ向かって、アストレア様を無事に連れ帰ってきます」

「何を……」

「それとニヒト様の代わりに魔王の首をとって帰ってきます。そうすればニヒト様が苦悩することもありません。国家転覆罪になることもなければ、死刑になることもありません。もっともわたしなんかの力では難しいかもしれませんが」

「……言ってるん、だよ?」


 セレフがその思考に至る理由がわからなかった。

 アストレアを救いに行く。それは百歩譲って理解できた。セレフとアストレアも知らない間柄じゃない。助けに行こうと思うのもわかった。

 けれども、魔王を討伐してくるというのはどうだ。それは彼女にとって何のメリットがある。なんでセレフはこんなどうしようもない俺なんかのために、そこまで言ってくれるんだよ。


「ニヒト様」

 そんな俺に思考を読み取ったのか、セレフが諭すように俺の名を呼ぶ。

 そして、セレフは一呼吸を置いて、はっきりと口にする。


「わたしはニヒト様が好きでした」


 これが何でもない日常の一ページであれば、俺も飛び跳ねて喜んだのが、今はとてもそんな雰囲気ではない。俺にはセレフの背中しか見えない。だが、おそらく彼女は悲しい表情をしているのだろう。言葉の端々からそれを感じ取ることができた。


「けれど、今のニヒト様……いやニヒトは好きになることができません」

 セレフの返事は当然だろう。

 魔王という脅威から目を逸らし、俺はニヒト様として生きた異世界を放棄しようとしている。逃げようとしているのだ。そんな情けない男。幻滅して当然だ。


 けれども。であれば。

 先程のセレフの発言はどういうことだろうか。

 俺の聞き間違いでなければ、セレフは言っていた。

 ニヒト様の代わりに魔王の首をとってくると。

 それは一体どういうこと――。


「だから、強くてカッコよくて勇ましいニヒト様を、わたしが取り戻してきます」


 俺の疑問に答えるように、セレフはゆっくりと言葉を紡いでくれた。

 しかし、それは俺が納得に至るものではなかった。


「……俺はそんなやつじゃない。お前の中のニヒト様は俺なんかじゃないんだ!」


 普段は有能なメイドとして、指示がなくとも俺の想いを汲み取ってくれていた彼女だが、今回ばかりはその有能さを発揮してくれていない。俺がこれだけ本来の俺をみせているというのに、理解してくれていない。俺はお前の思っているような俺じゃないんだよ。


 思わず、声が大きくなってしまった。

 静寂が立ち込める、深夜の宿屋ではいささか俺の声が反響してしまう。俺の隣に立つエリアさんも驚いた様子だ。けれど、構わず俺は続けてしまう。


「俺は弱くてどうしようもない。異世界転生をしてもう一度チャンスを与えられたというのに、この様だ。魔王という脅威にどうすることもできずに、困り果てている。全部、俺が撒いた種だ。聖剣を売ったことも、状況を打開する術を何も思いつかないのも、すべては俺がニートだったからだ。ニートとしての資金を得るために聖剣を売った。何の人生経験もないから、この困難にどう立ち向かえばいいかもわからない。俺がニートとして逃げ続けてきた結果なんだよ!」


 唾を飛ばし、息を荒くして、一方的にセレフの背中にすべてをぶちまけた。

 ニートという自分が恥ずべき選択をしてしまったことを伝えた。

 そして、俺はこれから歩むべき道について語る。


「俺はここの宿屋から、ニヒトという俺をやり直すんだよ。だから俺は魔王城へは行けない。国家転覆罪で死刑になったとしても、それは仕方ないことだ。ただのしがないニートのニヒトという俺が築いてきた結果なんだから」


「そうやって……」


 俺が話している間、ずっと黙っていたセレフ。

 彼女はこれまで俺がどんなことを言っても、終始優しいもしくは悲しいといった自分の中で完結する感情しか見せてこなかった。セレフはそういう人間なのだ。


「そうやってニートだった自分からも、逃げるんですか!!!」


 しかし、俺は初めてセレフが他人にぶつける怒りという感情を目の当たりにした。

 彼女は肩を震わせて、メイド服の裾を強く握りしめていた。


「すべてをニートのせいにして、ニートだった自分を恥じて、挙げ句の果てには改心してニートをやめる? ふざけないでください!!!」


 セレフもまた俺と同様に……いや、俺以上の声を張り上げて激情を露わにした。


「ふざけないでください? そっちの方がふざけるなよ!」

「いや、ニヒト様の方がふざけないでください!!!」


 彼女の激情に対して、俺は応戦。こちらからも想いをぶつけた。


「確かに聖剣の件については、俺が全面的に悪い。でも起こってしまったものは取り返しがつかないんだよ! 俺じゃあどうしようもないんだよ! だから俺はせめてもニートをやめて働くって言ってんだよ。今までの自分の反省したんだよ。なんでそれを否定するんだよ!?」


 俺が言い終えると、セレフはメイド服のスカートが舞わせ、俺の方へと身体を向けてきた。

 互いの感情をぶつけ合っている間、ずっと背中を向けたままだったセレフだったが、ここで始めて彼女の顔を伺うことができた。


「それを否定しないと、今までのわたしたちのすべてが否定されてしまうじゃないですか」


 振り返ったセレフは、泣いていた。


「確かにニヒト様は働きも屋敷でゴロゴロしてばかりでした。端から見たなら食って寝て遊んでのとんでもないダメ人間に見えるのでしょう。わたしも部外者であったなら、そう思うかもしれません。……でも。でもニヒト様はダメ人間ではありません。優しくて温かいお方でした。ニヒト様は街を彷徨っていた見すぼらしい姿のわたしを、救ってくれた。そこにはニートとか働いているとか、そんなのは関係ないと思うんです。ニヒト様はそこいらのお偉い様よりも、よっぽどいい人間だと思うんですよ」


 セレフと出会った時、彼女はタチの悪い女性にいいかがりをつけられていた。

 タチの悪い女性は、その豪華な身なりからして、そこそこの地位を持つものだったと思う。

 そんな女性だからからか、通行人たちは見なかったことにして、逃げていた。見て見ぬふりをしていた。セレフが言っているのは、そのことだろう。


「ニヒト様にはなかったことにして、逃げるようなダメ人間にはなってほしくないんです。わたしの知っているニヒト様は、ニートになるためには、戻るためにどうすればいいか。必死に向き合って戦う。そんな立派なお方なんですから」


 セレフは瞳から溢れていた涙を拭い、笑顔を向けてくれた。

 うちの有能メイド、セレフ・スクッセらしい可愛らしい笑顔だ。


「だから、わたしはそんな大好きなニヒト様と暮らしたいから、魔王を倒してきます。あの日々を勝ち取ってきます。だから待っていてください」


 そんな笑顔を向けながら、セレフはそう締めくくった。

 セレフは俺に背を向けて、この二一◯号室を後にしようとする。


「ふーん。やっぱりあの人がニヒトくんをたぶらかして、ニートに仕立て上げた人だったんだ。でもニヒトくん、もう騙されないよ。だってニヒトくんは私と一緒に働くんだから。ねえニヒトくん?」


 そんなセレフの後ろ姿を尻目に、エリアさんはそんなことを口にしていた。

 エリアさんの言葉に賛同すれば、俺はニートを脱却することができる。これまでの新戸二飛斗を卒業することができる。社会的にはどちらが正解なのか。そんなのはわかっていた。


「エリアさん」

「うん。やっぱりそうだよね」


 俺は一つ頷いて、エリアさんに向き直る。

 ここでの決断はこれからの異世界生活において、大きな意味をもたらす。

 ならば、ここは一つビシッと決めてやろうじゃないか。そう思ってのだ。


 そして、俺はエリアさんに告げた。


「やっぱり俺は『ニート』になります」


「え?」

 呆気にとられたような表情を見せるエリアさん。


「すみません。本当にすみません。何度も何度も断ってしまってすみません」

 すかさず俺が謝罪をするも、エリアさんの耳には届いていないらしい。


「え……ニヒトくん。ニートになるって言った?」

 エリアさんから返ってきたのは、そんな言葉だった。


 自分からエリアさんにお願いしておいて断る。失礼なことをしている自覚はある。

 だから、俺は誠心誠意。逃げずに正面から、しっかりとエリアさんに伝える。


「はい。俺は『異世界でもニートがしたい』んです!」


「……」

 俺が言い切ると、エリアさんの表情の色が消えた。

 それ以上は何も言ってはこなかった。


「ニヒト様っ!」

 対照的にセレフは、俺には抱きつかんばかりの勢いで駆け寄ってきた。

 俺は俺の肩の高さぐらいにあったセレフの頭に、ポンと手を置いた。


「セレフ。色々と迷惑をかけたな。だけどもう大丈夫だ。ニヒト様、完全復活だ」

「はい……」


 セレフの赤色の瞳から、またしても涙が伝うのがわかった。


「これからも色々と迷惑をかけると思う。けれどついてきてくれるか?」


 そんな愛おしい俺のメイドを胸に引き寄せて、俺は彼女に問いかける。

 引き寄せられたセレフは、肩を小刻みに揺らし、嗚咽が出るほどに涙を流してた。返事するどころではなかったのだが、なんとか頷きで賛同の意を示してくれた。


「よし。じゃあこれから魔王城に向かう」


 セレフの了承を得た俺は、アストレアが単独で向かったという魔王城を目指すことを告げた。

 すると、セレフは涙でぐちゃぐちゃにした顔を、俺には向けてくれた。


「ニヒト様。わたしはこれからどんなことがあろうとも、ニヒト様にずっとついていきます」


 そうして、俺たちは魔王城へと向かった。

 ただのしがないニートが、異世界でもニートを勝ち取るために。


 ニヒトがニヒトであるために、彼は戦うのだった――。

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