【第十九話】エリアさんとニ一◯号室

 夜。この世界には電気という概念がないため、街灯が存在しない。

 よって、街を照らしてたのは、綺麗に輝いている星々だけだった。

 正直、彼らだけでは心許なく、夜の街は三寸先の光景が見えないほどに暗い。


 俺は、そんな夜の異世界の街を一人、歩いていた。


「寒っ」

 そんな街のせいか気温はそこまで低くないはずだが、妙な寒さを感じた。

 昼間とは違い、まったく人気を感じられないというのも起因しているのかもしれない。


 夜は暗くて寒い。魔物たちも活性化するという危険な時間帯。

 こんな中、アストレアはどこにいったというのだろうか。


 ニートになった俺だったが、あてもなく夜の街をさまよっていたというわけではない。

 俺は出て行ったしまったアストレアを探していた。しかし、街を隈なく探したが彼女の姿はなかった。屋敷を出る際に拝借してきた、セレフの手作りである赤スライムのゼリーの匂いを漂わせても何の反応もなかったのだ。このゼリーは、ゼリーなのだがフルーツのような甘くも爽やかな匂いを発しており、セレフ自慢の一品だ。アストレアがゲロを吐くほどに貪る彼女の大好物でもある。これに何の反応もないだから、アストレアはいないと見て間違いなかった。

 そういえばアストレアは前に一度、天界に戻ったということがあった。ということは、おそらくアストレアは天界に帰ってしまったのだろう。あいつは一文なしのはずだし、俺の屋敷以外に宿泊のあてもないはずだからな。状況を総合的に判断して、俺はそう考えた。


 これで、夜の街には用がない。本来なら屋敷に帰るべきなのだろう。

 しかし、俺の足は屋敷へは向くことはなかった。


 アストレアを探してくるといって屋敷を出てきたわけなのだが、実のところそれ以外にも理由があった。アストレアと後味の悪い別れ方をしてしまったため、屋敷に残された俺とセレフの間には、なんとなく気まずい雰囲気が生まれてしまっていた。だから俺はアストレアを探してくるという名目の元、逃げるようにして屋敷を出てしまっていた。


 だから、アストレアは天界に帰ってしまったと判断しても、屋敷には帰らなかった。


「……今日は宿屋に泊まるか」


 気づけば、俺は屋敷には帰らずに、宿屋へと足を進めていた。


★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★


 この近辺に宿屋は一つしかない。

 以前、俺がバイトをしていたあの宿屋だ。


「それでは、二一◯号室をお使いください」

 俺は受付の人から、部屋の鍵を差し出してきた。

 この宿屋の受付といえば、この宿屋の一人娘にして俺が憧れた女性、エリアさんだろう。

 しかし、今は時間が深夜ということもあって、受付は強面の男性だった。

 こんな深夜に男が一人で宿泊したいなんて言ったものだから警戒されたものの、以前働いていたということを伝えると、俺のことを知っていたようで、快く受け入れてくれた。俺はこんな強面の人なんか知らなかったけど。


 強面の男性から鍵を受け取った俺は、二一◯号室へと向かう。

 階段を使って二階に上がり、右に曲がる。長い廊下を歩いた突き当たり。そこが二一◯号室だった。俺は二一◯号室の扉を開ける。ベットが二つに小さな机が一つ、机の上には蝋燭が備え付けられている。バイトをしていた時から何も変わらない内装だった。


 部屋に入り、蝋燭に火を灯した俺は、綺麗に整えられたベットに腰掛ける。

 二一◯号室か。ちょうどこのベットだったよな。ウンコ事件があったのは。

 

 あのウンコ事件から、約一ヶ月。

 俺の異世界生活には、色々なことがあった。

 色々なことがあって、頑張ってきたつもりだった。

 だけれども、一ヶ月前と同じここに戻ってきてしまった。

 一ヶ月前から、日本にいた頃から、何も進んじゃいない。

 聖剣から逃げて、屋敷から逃げて、ここにいるのが何よりの証拠。

 せっかく異世界転生を果たしたというのに、俺は本当に何をしていたのだろう。


 頼りない蝋燭だけが光源となっている薄暗い部屋の中。

 俺が自分の異世界生活を悔いていると、不意に二一◯号室の扉が開け放たれた。

 そこにいたのは、かつて俺の進む道を否定した人物。


「……え、エリアさん?」


 この宿屋の看板娘にして、誰もが振り返る美人さん。そして俺がこの宿屋を辞めて、ニートになると宣言したときに、失望したような表情を見せたエリアさんだった。


「エリアさん、大丈夫ですか?」

 寝巻きの彼女は膝に両手をつき、息を切らしていた。よほど急いできたのだろう。

 俺は駆け寄り、呼吸を荒くしたまま俯く彼女の顔を覗き込んで、様子を伺おうとした。


「……っ!」

 すると、エリアさんは突如として、俺に抱きついてきた。

 エリアさんのほのかな香りが鼻腔をくすぐり、俺の冷静さを奪った。


「ちょっ! え、エリアさん!? ど、どどどうしたんですか?」

「……よかった」


 状況が把握できずうろたえる俺に対して、エリアさんが放ったのは呟きだけだった。


「ニヒトくんが戻ってきてくれて、本当によかった」


 改めて口にしたエリアさんの腕に力がこめられる。もう離さないとばかりに俺は強く抱かれた。お忘れかもしれないが、俺は重度のコミュ障。それも女性に対してとなれば尚更だった。俺は彼女に言葉に何かを返す余裕もなく、ただ彼女のなされるがままにされていた。

 そんなふうに俺が固まっていることしかできずにいる間に、エリアさんは顔を上げる。彼女の瞳にはわずかに涙が浮かべられていたが、彼女はそれを感じさせない気丈な笑顔を見せてくれた。


 こんな何の価値もない、ただのニートにしか過ぎない俺なんかに涙を流し、笑ってくれるエリアさん。そんな彼女を前にして、俺は思わず言葉を零してしまう。


「俺は……まだやり直せますか?」


 その言葉はこれまでの自分。ニートとして生きて、ニートを志した自分を否定するものだった。俺が考えていたのは時間を遡って自分をやり直したい。こんなどうしようもないニートという道を選んでしまった自分に説教をしてやりたい。そんなことだった。

 けれども、それが叶わないのはわかっている。過ぎてしまった時間は、起ってしまったことは巻き戻せない。そんなのはわかっていた。


「もう一度、ここで雇ってもらえませんか?」

 だからせめて、もう一度ここから始めたいと思った。時間を戻すことはできないけど、一ヶ月前に働いていたここからなら、やり直せる気がした。

 一度、断っておいて、今度は自分から言い出すなんて、虫のいい話しだというのはわかっていた。

 けれども、ニートという間違った道に進もうとしていた俺を否定してくれていたエリアさんに、縋ってしまっていた。


「うん、いいよ」

 それに対して、エリアさんは何の躊躇いもなく、俺の願いを了承をしてくれた。


「すみません。ありがとうございます」

「いいんだよ。だって私はニヒトくんが戻ってきてくれた、それだけで嬉しいんだから」


 エリアさんは赤い目を擦った後、とびきりの笑顔で俺を受け入れてくれる。

 この人はどこまで優しいんだ。ただのしがないニートの俺のことをここまで思ってくれて、慈悲をかけてくれて。この人の下でなら、俺は俺をやり直すことができる。そんな気がした。


「また、私と一緒に働こうね」

 

 エリアさんは俺に向かって、手を差し伸べてくる。

 俺がその手を取り、この宿屋で働くところから、すべてをやり直そうとした。


 ――その時だった。


「に、ニヒト様っ!!!」

 セレフ・スクッセが、二一◯号室に飛び込んできたのは――。

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