MAGICS―病人は異世界で恋に堕ちた―

しろっぷ

1話 「ねぇ、異世界ってあると思う?」

澄み渡る空の下、雄大な地を黄緑に彩る芝を、強く輝く太陽が照らしている。

風が吹き、少し暖かかった空気は肌寒く感じるほどになった。

外に出るには少し薄着だっただろうか。

そうだとしても、この時期にしてはかなり暖かい方だろう。


目の前に広がる草原はゆるやかに傾いて進み、やがてレンガの屋根へと景色を変える。

そこでようやく前方に街があることに気づいた。

中世ヨーロッパを連想させるレンガ造りの街並みは少し高いくらいの壁に囲まれ、黄緑に人為的な赤っぽい色が混ざる。

街並みが見渡せるこの場所はゆるやかな丘になっていることを知る。


街から飛び抜ける高い建物。城であろうその建物は空へと突き出し、さらに上を見ればそこには月がある。

太陽に対抗し、日中に存在する巨大な満月を鳥が横切る。

大きな翼、2本の角、巨大な尻尾、そして手。

はるか向こうの空を飛ぶその鳥は、それでもハッキリと見えるほど大きく、高い鳴き声は空全体に響き渡るほど大きい。

明らかに鳥でない鳥と異常に大きな月を見て、ようやく思考が追いついた。


異世界。


それを実感して数秒、後ろから自分に向けて放たれた声に不快感を覚えた。


「エイト、後ろ!」


その声は、この世界への驚きでも感嘆でもなく、ただ「危険を知らせる」という為のだけの声。

振り向く。

視界が黒く染まる。

理解できない、分からない、なんで?


脳が理解しようとして。

考えて、考えて、考えて、考えて。

そしてようやく、「ソレ」が視界に入り切らないほど大きいため、ということを知る。

そしてソレ全体を確認するため、俺は頭を上げた。


熊。

全身をどす黒い毛皮につつみ、首の周りにだけ白い毛を生やした熊。

しかも、かなりデカイ。

実際に熊を見たことがあるわけでも、関心があったわけでもないが、わかる。

この熊は明らかに大きすぎる、もはや「バケモノ」だった。


目が合った。

そのとき、殺そうと、このバケモノは自分を殺そうとしているのだということに気づく。

相手に恐怖を植え付け、動けなくする。

その為だけに備わっているかのような目は「お前を殺す」と、あからさまに語っていた。

熊が右腕を掲げ、自分めがけて振り下ろす。

ヤバイ。

本能が危険を察知し、体が自然と動く。


ズダァァン!!


熊の右腕は、自分のすぐ左の地面をえぐった。

自分に当たらなかったのはほぼ奇跡だった。

俺はこけたんだ。熊の腕を避けようとしてつまずいた。

しかしそれは幸運であった。

俺が腕を避けるため動こうとした場所には今、えぐれた地面がある。

もし俺がつまずかなければ、避けるため行動していれば、俺は確実に潰されていただろう。


そしてすぐ幸運は過ぎ去った。

攻撃が一撃で終わるわけもなく、目の前で倒れる俺はまさに絶体絶命。

そのとき、くまの額に小さな石がコツンと当たった。


「おい熊、こっちだ!」


さっき自分にかけられた声が、今度は熊へとかけられた。

声の主は、藤宮ふじみや 宇鷺うさぎ。

白い髪で耳を隠し、目つきは悪いが整った顔の少年。

そんな彼を見て、今ここにいるのが自分だけではなかったことを思い出す。


ウサギの他に9人、ウサギと自分を合わせた総勢11人は同じ学校のクラスメイト。

今その11人は同様に、目の前にたたずむ熊に恐怖していた。

それはウサギも例外ではない。

額に汗が、石を投げた手は震えている。

それでも彼はまだ諦めていないようで、


「こいつは俺が引き止める。エイト、そのうちにみんなを連れて逃げろ!」


「...え?!」


「はやく!」


熊は既に俺から目を離し、標的をウサギへと変更している。

大きな影はゆっくりとウサギに近づく。

それでも俺はウサギに何も言葉を返すことが出来なかった。

何かないか、どうにか出来ないか、と考えようとして、ただその文字だけが頭の中をぐるぐると回る。

もう頭の中が真っ白になって、考えることさえやめようとしたとき、目の前の木が目に入った。


今自分が立つ丘の上に、ただ一つだけ立つ木。

葉は1枚も付くことなく、樹皮は枯れたように白い。

今にも折れてしまいそうなその木を、俺は何故か強くたくましいと思った。

わけも分からない、考えも何もないけれど、気づけば俺は口にしていた。


「ごめん。無理...」


「は?俺のことは心配すん……」


「ちょっと待ってろ。死ぬなよ!」


ウサギの言葉を遮ってそう言うと、何故か俺は走り出していた。

ウサギがまだ何か言っているようだったけど、もう俺の耳には何も入ってこない。

ただ見える木だけを目指して全力で走った。

数十メートル走って白い木に着くと、目に入った枝を折って、今度は跳ね返るようにして熊の元へ。


俺は一体何がしたいんだ?

何をする気なんだ?


目の前に広がる光景は凄まじい。

こちらに背を向けて両腕を掲げる熊。

動こうにも足がいうことを聞かず、その場に倒れそうになるウサギ。

周りで目をつむる仲間。

逃げまとう仲間。

そんな中、ただ1人熊に向かい走る少年。


混乱して、混乱して、混乱する中、1人確実に答えにたどり着こうとしていた。

そして熊が腕を振り下ろし、ウサギを引き裂く。

その前に、


「ウオオォォォォォォォォ!!!」


手に持ったその枝を熊の足に、足の内側に力まかせに突き立てた。

硬いか柔らかいかもよく分からない。

手の中で枝が擦れ、熱い。

重さに肘と肩がきしむ。

それでも枝を深く、もっと深くへと。


白い枝が赤く染まり、黒く大きな影は左へとよろめく。

振り下ろされようとしていた腕は軌道を外し、ウサギのほうを浅く切り裂いて地面に落ちた。


「や、殺れたのか?」


俺はフワフワした意識の中で聞いた。


「...お前、大丈夫か?」


自分から聞いておいて返ってきたウサギの声を聞き流し、ようやく俺は自分のしようとしていたことを理解した。

俺は枝を使って熊を倒そうとしていたのだ、自分でもよく分からないうちに。

今味わっているこの感じはなんだろう。

敵を倒した安心感?

仲間を助けた達成感?

何か違う、どちらでもないような気がする。

そんなことを考えているうちに、


グオオォォォォォ!!


みんなの安堵を噛み砕き、事実を踏みにじったような音とともに、俺はただ後ずさった。

その瞬間、希望が消えた。

急に痛みだした手のひらは、握っていた枝を落とし、全身から力が抜けた。

もうムリだ。


熊が起き上がった。

ふらつきながら立ち上がる姿は、まるで悪魔だった。


急な出来事に頭が回らなかったのかもしれない。

異世界ということで、常識を見失っていたのかもしれない。

熊の足を枝で刺したくらいじゃ、死ぬ訳がない。

そんな普通なことが、分からなかった。

むしろ、異常だとさえ思った。

たしかに倒したのだ、と思い込んでいた。

だからもう、誰にも戦う力は残されていなかった。


グオォォォォ!


この光景が自分の最後なのだと確信した。

今から死ぬ、みんな。


そう思ったそのとき、風が通るような音とともに熊が倒れた。

考えることを放棄していた俺は、しばらく何が起きたのか分からなかった。

分かることは1つ。

熊の左目に矢が刺さっているということ。

つまりどういうことだ?

答えは自分が出す前に知らない声が出した。


「危ないところでしたね。ほんと間に合って良かったですよ。」


「...」


「私は、ゲルガナ王国近衛小隊長のルアナ=エイプルです。」


そうつまり、この世界の騎士に助けられた、ということだった。

これにより、今回の一件は終着した。



そして今後、ことは異世界で進んでいくのだが、その前に一つ。

もし、今回の光景を見た人がいるのなら不思議に感じるだろう。

熊に立ち向かう少年、くり広げられる戦闘。

それだけを聞けば、かっこいい戦士達ののお話。

しかしその少年は、黒に赤のラインの入ったジャージを着て、スニーカーを履いていた。

名前は有栖ありす 恵糸えいと。

それが俺だ。

もう一つ付け加えるのならば、病人。


「不思議の国のアリス症候群」というのを聞いたことがあるだろうか?

世界でも事例が極端に少なく、完全な治療法も見つかっていないような病気。

それが俺の病気。

そしてウサギを含めた俺以外の10人もた、それぞれの病気を持っている。

そんな僕らはこう呼ばれている、「奇病者」と。


この話は戦士の話ではない。

これは、人より劣っている僕らが病気と向き合って、ときには利用して、異世界を攻略していくお話。


今後のことを話す前に、なぜ異世界に来ることになったのかを話そう。

それはこの日の数十分前、今朝に遡る。

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