第4話
翌日、先生の元へ向かった僕へ開口一番、小清水先生はこう言った。
「きみはロブたちを私が殺したと考えているのだろう?」
「違うんですか?」
「違う、彼らはただ『楽園への扉』を開いただけだ」
楽園への扉。またそれだ。扉......それは、僕が初めてHGDをつけた夜に見たあの夢に関係しているのだろうか?
「『楽園への扉』……それはいったい何なんです⁉」
僕が問うと、小清水先生は嬉しそうに答えた。
「簡単に言うと、こことは違う次元の世界に旅立つためのプログラムのことだ」
「別次元?」
僕の問いには答えず、先生は続けた。
「その装置――HGDは元々は私の妻が作ったものだ。妻の専門は人工知能でね」
小清水先生は部屋のカーテンを開け、空を見つめる。
「今、人工知能の進化は我々の想像を遥かに超えている。そして妻は、そんな人工知能に未来予測をさせたんだ。その予測によると、我々人類の殆どはここ数十年以内に滅びてしまうとのことだ」
「一体、どうして......」
「さあね、争いが起きる火種はどこにだってある。災害や疫病だってね。しかし理由は何であれ人類の人口が大幅に減ることは間違いない。この世界に人間は増えすぎたんだ。人工知能はそう結論づけたのだよ」
どこかで聞いたことがある。動物はその種の個体数が増えすぎると本能的に個体数を減らそうとするように遺伝子に組み込まれているのだと。それが今、起きようとしているのか?
「
「思念のみ? まるでSF映画みたいですね」
「しかし、SF映画とは違うのは頭にプラグや大層な装置をつけたり、培養液に脳を浮かべたりする必要などないということだ。ただ脳波を送るだけでいい。そしてそれは、人工知能が全て行ってくれる」
「じゃあ、このHGDは......」
「そう。元々はより『楽園』へ至りやすくする補助装置だったのだ。ディスレクシアの人の文字読解に役立つというのを発見したのは元はといえば単なる偶然だったのだが」
僕はHGDをじっと見つめた。
小清水先生が言うには、ある特定の文字列を何度も読み込むことで、言語野の一部を刺激し、それにより「自己認識」を司るデータや脳波を「扉」を通して「楽園」へと送ることができるのだという。
そうすることで魂は楽園へ送られ、逆に「自分」という存在を奪われた肉体は死を選んだり、廃人になったりすることもあるのだという。
小清水先生は両手を広げた。
「さあ、次の次元の世界に旅立とうではないか。今私は本で、新聞で、ネットで、あらゆる方法でこの『楽園言語』を広める準備をしている。海外に協力者もいる。皆でこの滅亡する世界から抜け出し、人類は次のステージへと進むのだ」
そう言うと、博士は自分のデスクの引き出しから包丁を取り出し、自分の首筋に当てた。
びちょびちょと音がし、白い壁に深い赤が飛び散り、鮮やかなコントラストを描く。
「さあ、君も……」
ヒューヒューと、喉の穴から空気が漏れる中、先生は僕の方へ包丁と「楽園言語」が書かれている紙を投げつけ絶命した。
僕は恐る恐る先生の投げた紙を拾いあげた。
瞬間、ロブの遺した遺書の内容が頭の中でフラッシュバックする。
『らくえん げんごは よむな』
ロブは、なぜそんなことを書いたのだろう。ロブは「楽園への扉」が開かれるのは好ましいことだと思っていたのではないのか? 少なくとも小清水先生はそう思っているみたいだが――
僕は小清水先生の言葉を思いだした。
『この世界に、人間は増えすぎた。人工知能はそう結論づけたのだよ』
増えすぎた人類を救うため、より高次元の場所へ人間の魂をいざなう。
小清水先生はそう言っていた。
――でもそれって、あまりにも非効率的すぎないか?
僕だったらもっとシンプルにする。
限られた人間以外を殺し、一から文明をやり直させるのだ。
そしてその時、果たして「間引かれる」のはどちら側の人間なのか? 読める側? それとも、読めない少数派?
考えた途端、目の前にある文字列は急に姿を変えてゆがみ始めた。僕は急いで矯正装置を投げ捨てた――
* * *
――✕✕✕年後。
今日、お家で遊んでいたら、家の下の洞窟の中から、変な記号の書かれた石板を見つけたの。
私はそれを見て、それが小さい頃に長老様から聞いた「文字」っていうものなんじゃないかと思った。
長老様が言うには、昔、神様が人間の生活が豊かになるように、選ばれた民に秘密の知恵を授けたんだけど、人間たちは文字を使って秘密の知恵を沢山の人に広めちゃったんだって。
人間たちの生活はそのおかげで凄く便利になったんだけど、人間はそのせいで増えすぎちゃって神様の領域を脅かすようになって。
だから神様は罰として文字を読める人間を滅ぼし、生き残った私たちも文字が読めなくなっちゃったんだって。
壁の向こうからやって来たっていうおじさんに石板を見せながらその話をしたら、おじさんは興味深そうに頷いた。
「へえ、それは面白い言い伝えだね」
おじさんは髭を生やしていて、私たちよりも立派な服を着てるけど、見た目は私たち村人とそんなに変わらない。
壁の向こうは危険で、壁の外に出たら呪いを受けて獣になっちゃうんだって聞いてたけど、それは嘘だったのかなあ?
「確かに昔は危険だったのかもしれないけど、今は平気さ。この土地が汚染されたのはもう遥か昔の話だしね」
もしかしたら時間がたつと、呪いの効力も薄れるのかもしれない。おじさんは続ける。
「今の話も、この石板に書かれた古代文字も実に興味深い。持ち帰って研究してみよう」
「おじさん、文字が読めるの?」
「読めるとも。君だってきっと、訓練すれば読めるようになるさ。それにしても、この村は割と文明は発達しているようなのに、揃いも揃って文字が読めないなんておかしいなあ」
おじさんは壁の外側のことを沢山教えてくれた。そこには色んな肌や髪の色をした人たち、色んな言葉や文字を持つ人たちが暮らしているんだって。
壁の向こうに広がる広大な世界。私は何だかワクワクして、おじさんについて、村の外に出ていくことに決めたんだ。
錆び付いた扉を開け、壁の外へ出る。そこには「文明」があるんだって。
そこは素敵な場所かしら? 楽園のような場所かしら?
楽園への扉 深水えいな @einatu
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