雨の日の君

青空リク

第1話

 今日は雨が降っている。僕は雨が好きだ。雨が降れば彼女に会える。雨の日だけ会える通学途中の花屋でバイトしている女の子。

 初めて会ったのは土砂降りの雨の日。その日は母の日だった。母さんへのカーネーションを買いに行ったとき、自分という客に向けられた、明るく輝くその笑顔に一目惚れをした。それから花屋へ通うようになった。そのうちに気付いた。彼女は雨の日だけ花屋にいるという事に。

 雨の日、僕は花屋へ行く。

 「アネモネを一輪下さい」僕はいつも同じ事を言う。

 「いつも通り、赤いアネモネで宜しいですか?」いつもと同じく彼女が僕に聞く。いつものように眩しい笑顔。それが客として、向けられるものではなくなって欲しい、そんな事を思いながら頷いて答えると、彼女はアネモネを綺麗に包んで渡してくる。

 「また、お越しください」

家に帰るとすぐに一輪挿しにアネモネをさす。一輪挿しに挿したアネモネが枯れる頃、また雨が降る。

 何回か花屋に行って、やっと名前が聞けた。彼女の名前を聞けた日の雨はそこまで強くなく、パラパラとまばらに降っていた。気温が低く、少し寒さを感じていた僕の体はあまりよく聞かない彼女の名前を口に出して呼ぶと、ポカポカと温まっていった。同時に教えた僕の名を呼んだとき、彼女が少し嬉しそうに見えたのは僕の希望的観測だ。

 それから何度も雨が降った。


 シトシトと降る優しい雨。

 叩きつけるような激しい雨。


 雨が降る度に僕は彼女に会いに行った。そして僕は毎回赤いアネモネを買っていく。この思いが彼女に届くように。

 雨が降るたびに少しずつ僕らは仲良くなり、お互いのことを話すようになった。ただ、彼女は雨が降っていないとき何をしているかは教えてくれなかった。それを聞いたとき、とても悲しそうな顔をしていたことがずっと頭から離れなかった。

 聞いてはいけないことだ、と察することが出来ない程僕は子供じゃなかった。だけど、それが何故かを理解出来るほど僕は大人でもなかった。

 何日か後、僕は勇気を出して彼女をデートに誘った。彼女は顔を赤くして、OKしてくれた。だが、その顔は前と同じく少し悲しそうだった。

 デート当日。僕は目一杯のオシャレをして、待ち合わせ場所へ向かった。その日は雨だった。だけど、雨雲は薄く、太陽が、透けて見えていた。雨である事を少し残念に思う反面、僕は心の何処かで安心していた。雨でなければ、彼女は消えてしまいそうな気がしていたから……。


僕が待ち合わせ場所についてから数分後、彼女はやって来た。僕がもう着いているのを見ると、焦ったように「ごめんね。遅れちゃった?」と聞いてきた。「そんなことないよ。僕が早すぎただけ」そう言って笑うと彼女は、安心したように笑った。

 私服の彼女はとても可愛かった。薄い黄色のワンピースに白いカーディガン。僕の目にはお日様のように輝いて見えた。

 映画を見て、ご飯を食べて、お茶をして。ふと、会話の中で彼女はなんでもなさそうな様子で聞いてきた。


「雨は嫌いですか?」

僕は答えた。

「いや、大好きだよ」

 そんなの当たり前じゃないか。雨の日だけ君に会える。僕にとって雨の日は“君に会える日”なのだから。もちろんそれは、口には出さない。

 彼女はとても嬉しそうに、でもとても悲しそうに笑っていた。彼女のそういう顔を見ると、僕はどうしていいか分からなくなる。そのまま、話題を変える事しか僕には出来なかった。何が彼女にそんな顔をさせているのか僕には分からなかった。

 デート後、彼女を最寄りの駅まで送る。

 家まではついていってはいけないことはもう知っている。一度家まで送ろうとした時に、彼女はいつもの悲しそうな顔で断ってきた。僕はやはりその時も何も出来なかった。

 改札口の向こう側に立つ彼女。彼女は別れ際、悲しそうに本当に悲しそうに笑って手を振った。僕には自分との別れが寂しいのだとはどうしても考えられなかった。

 最後の最後。僕が背を向けようとした時、彼女は僕の目を見て「ありがとう」と呟いたように見えた。僕は、何かを感じて慌てて彼女の方に手を伸ばす。


 だけど、僕の手は空を掻く。

 

 改札口の向こう側に居たはずの彼女は消えていた。


 気が付くと雨は止んでいて、代わりに太陽が空を真っ赤に染めていた。その夕焼け空を見て僕は少し怖くなった。別れ際に見たあの笑顔。その笑顔が僕の頭から離れなかった。

 雨の日だけ、会える君。次会った時は、君の事をもっと聞かせて欲しい。どうか、聞かせて欲しい……。君を何が苦しめているのか。僕が君を救う事は出来るのか。

 次の雨の日、いつも通り君に会いに行くと君はいなかった。

 「あっ、君。バイトの彼女から手紙預かってるよ。彼女なんか家の都合でバイト辞めちゃうんだってよ? いい子だったのに残念だな……」

 花屋の店長が寂しそうな顔で僕に手紙を渡してくれた。

 嫌な予感がした。こんな風に滝のように降る雨も、いつもより雲が何倍も厚いことも、遠くで鳴る雷も、いつもいる君がいない事も。

 ザアザアと降る雨に、服が濡れるのも構わず、傘もささずに、家まで走って帰る。

 家に着くと、濡れた服も脱がずハサミを探した。丁寧に開けなければ、という思いだけがはっきりしていた。封を開け、手紙を読んだ。手紙は全く濡れていなかった。それは別れを告げるには短い、とても短い手紙だった。


 “黙っていなくなってごめんなさい。そして色々隠していてごめんなさい。私は雨の精霊。

 いきなり言われても戸惑いますよね(笑)。またまだ精霊としては新人であるが故、私の力は弱く、天からでは雨を降らせられませんでした。その為、地上へ行き修行も兼ねて仕事をしていました。

 あなたに出会えて本当に良かった。貴方と居るととても楽しくて、貴方は私にとって太陽のような存在でした。あなたに会うために、雨を降らせそうになったり……。 

 そのせいで神様に怒られてしまいました。地上で生活できる最後の日、貴方と過ごせて幸せでした。貴方の太陽にはなれないけれど、これからは天の世界から、貴方を思い雨を降らせます。

 空で輝く太陽のようにはなれませんけど、きっと沢山の人に疎まれる雨だけど、貴方が、雨を好きだと言ってくれて良かった。

 どうか私の事を忘れないで。

 いつか、また会えるまで。



 P.S写真の意味、貴方ならわかってくれると思っています。”



 手紙と一緒に入っていたのは、大きく咲いた向日葵の写真だった。その写真はなぜか笑っている彼女と重なった。

 全部が繋がった。君が、なぜ雨の日だけ居るのかも、なぜあんなに悲しそうに笑っていたのかも……。

 だけど違うよ。君にとって僕は太陽だったかもしれない。だけど、僕にとっても君は太陽だったんだ。

 悲しそうに笑っていた君。今度は、君と一緒に笑いたい。今度は悲しさ何て感じずに太陽の様にキラキラと笑って欲しい。

 ありがとう。君は希望を残してくれた。僕は君と会えるその日まで、また雨の日を楽しみに毎日を過ごす。



 今日は雨が降っている。いつもの様に花屋に行く。

 「あっ、お兄さんいつもの?」彼女かわ辞めた後に新しく入ったバイトの男の子が聞いてくる。「うん。頼めるかい?」僕が答えると、男の子は笑いながら言った。「それが仕事だからね! ちょっと待っててね」男の子は店の奥で紫のアネモネを一輪綺麗に包んでくれた。

 「お兄さんもよく待てるね?」男の子がそう言いながら僕にアネモネを渡す。「何が?」そう聞くと男の子は眩しい笑顔を向けながら言った。

 「もう、2年でしょ? 紫のアネモネ買い始めてから。よく待てるね」僕は言う。「よくこの花の花言葉知ってたね」男の子は少し照れたように言った。

 「花屋ですしね! ……でも気になって調べたって言うのがホント。んーと……何かごめんね」少し申し訳なさそうな顔をしている。その様子から男の子がどれだけ純粋なのかが分かる。「良いよ、別に。なんかね、忘れられないんだよね。ずっと、ずっと、雨の日に思い出す」きっと、彼にはよく分からないだろう暗号のような事を言う。僕の事をじっと見てた男の子はふっと笑って言った。

 「お兄さんは雨の精霊に恋したのかな?」その言葉に一瞬体が固まった。

 「雨の日だけに会える雨の精霊。僕ね、ちっちゃい時に会った事があるんだ。誰も信じてくれないんだけどね。雨の日に、いつも公園にいてさ、気になって見てたら、ある時寂しいから一緒に遊ぼうって言ってきたんだ。それから何回か遊んで気が付いたら雨の日にも会えなくなってた。でもこの町で2年くらい前に似た感じの子を見たんだよね。それも雨の日に。お兄さんが待ってるのはその子なんじゃない?」男の子は笑っている。「どうだろうな」そうはぐらかして、店を出ようとする。「また、会いたいな……」そんな呟きが聞こえる。

 あの子が彼女の事を好きだったらどうしよう。そう思っているとそれを読んだかの様に後ろから男の子から声がかかる。

 「彼女に会えたら、連絡してよ! 幼馴染みたいなものだからさ!」慌てて後ろを振り返ると、男の子はいたずらっ子の様に、でもキラキラと眩しい笑顔を向けていた。「年上をからかうなよ!」そう言って、片手を振り店をあとにする。


 雨の中、傘をさしながら歩き家に向かう。家につくと、一輪挿しの枯れたアネモネを捨て、新しいアネモネを挿す。窓を開けて雨空を眺める。

 棚から1冊の本を取り出し机の上に置く。一体何度これを開いただろう。花言葉辞典。クッキリと折り目のついたページを開いていく。



アネモネ(赤)……貴方を愛す

アネモネ(紫)……貴方を信じて待つ

向日葵……私は貴方だけを見つめる


 それを暫く眺めてから、台所へ向かう。今日の夜ご飯は何にしよう……。



 彼の部屋に窓から入るロマンチストな風。その風がパラパラと花言葉辞典のページをめくっていく。

 ポツポツと雨が本に落ちるが、紙は濡れてはいなかった。あるページでピタリと風がやむ。


スズラン……再び幸せが訪れる


 部屋には美味しそうな匂いがしてくる。テーブルに置かれたアネモネは生き生きと咲いていた。

 彼の部屋に訪問者がやって来るのは、数日後の雨の日……。

 

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雨の日の君 青空リク @yumeumi

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