#38

【人食いまだら大鬼】

 

 私とヒッキーとツチニョロンで、そこに赴いた。ツチニョロンに、屁の仙人からのメッセージが届いたのだ。何気に屁の仙人が暗躍している。


 岩男は用事があるとかでまたどっかに行ってしまった。

 母さんは疲労で、まともに歩けなくなっていた。

 広大な山林に踏み入った。妖怪っていうのはどうして、こんなにも辺鄙な場所が好きなのか……。夕方まで歩いた。


 人食いまだら大鬼は恐ろしい怪物だった。身長は三メートル以上あり、赤と黒のまだら模様をした図体は、入道雲のような蠢く筋肉で盛り上がっていた。筋肉の表面では、抑えきれない肉体の蠢きを縛り付ける麻紐のように血管が走っていた。牙は四本が常時唇の外に飛び出していて、その内側には数十本の細かい犬歯が隠されている。獣臭い。動物園のにおいがした。常にウーウーと唸っているが、声を出しているのではなく、でっかい横隔膜が自然と鳴ってしまっているらしい。上半身は裸で、下半身は人間の皮を剥いで縫い合わせ作った特製のパンツを穿いている。最後に死ぬほど恐ろしい情報を聞いてしまった。私はしばらくの間、美味しいご飯を食べられないだろう。

 その住処は、旅館から山を二つ越えた、三つ目の山の頂上付近だった。傍から見ると全く分からないが、住処とその外の区別はあるらしい。

 人食いまだら大鬼は、私のことは食べないと言った。俄かには信用できなかった。この大鬼を目の前にしたら、誰だってそうなるはずだ。

 彼は説明した。人間が、友達の飼っている鳥をとっ捕まえて焼き鳥にしないように、私のことも取って食ったりはしないそうだ。それに、ほとんどの場合は木の実を食べていて、たまには森の動物を食すこともあるが、人間は色々と面倒なのであまり食べないと言った。

 人間の皮膚で作ったというパンツは、父親から受け継いだ物らしい。父親はこのパンツを完成させるために人里まで下りて行ったのだが、人間から疫病をもらってきて死んだらしい。強いのか弱いのか分からない妖怪だ。

 南は昨日の夜から例の塩を取りに帰っているのだが、本当に連れて来なくてよかった。失禁では済まなかったかもしれない。キング人食い大まだら鬼はどんなだろうと思うと、血の気が引いた。

 まだら鬼に挨拶をして、私たちは帰った。

 私たちはペッチペチ娘に靴を履かせてあげて、その亡骸はヒッキーが背負って帰った。






――まだら鬼は、ラグレグから娘を奪い返したのだった。

 奪い返すと言っても、下半身がラグレグの体に埋まった娘っ子を引っこ抜いただけらしい。

 娘は既に虫の息で、高熱に侵されていた。

 まだら鬼は、近くにあった妖怪伝言板を娘に渡し、伝言を書かせた。

 自分の大きさでは、伝言板に何かを書き込むのは不可能だったのだ。

 しかし娘がロクに字も書けないのを見て取り、諦めてねぐらまで連れ帰ったのだった。

 しかし間もなく、娘は死んだ。

 妖怪的に、無邪気に、悲しみの果てに、死んだのだった。



     ・



 ペッチペチの母は、娘の遺体を前に動かなくなった。泣きも喚きもしない代わりに、動かず無感情になった。少なくとも、外面的には。

 彼女は何十分も経ってから、やっと口を開いた。


「分かってました」

「分かってたっていうのは?」ヒッキーがその愚鈍さでもって、デリケートな話題に土足で踏み込んでみせた。

「娘が死んだことです。なんとなくですけど。以前から、随分弱っとうみたいでした」

「すみません、力になれなくて」

「いえ。仕方のないことです」


 旅館の部屋。

 私と、謙虚でおしとやかな妖怪たち。傷心の仲間たち。

 これが私たちの戦争だ。妖怪戦争。私たちは、たった一つの大きな黒い砲弾にやられたのだ。

 私は途方に暮れて、一日中、まるで役立たずになってしまった。誰かのことを批判などできやしない。私は、自分が何者かを、やっと思い出したのだった。

 南が帰ってきたが、私の様子に黙ったままだった。

 朝が来て、夜が来て、朝が来た。


 あるとき、時間の停止した部屋で、ペッチペチの母がいつものように娘の顔を見ながら眠った。

 安らかな顔で、何日かぶりに眠ったみたいだった。

 眠ったまま、その後はもう、二度と、目を開くことは無かった。


「あの親子は対でないと、長くは生きていけないんだ」


 と、誰かが言った。

 誰が言ったのかは分からない。

 私はその時、不細工にしゃくり上げながら泣いていたからだ。

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