#23


【ツチニョロン】


 ツチニョロンはどうも、神経質そうな妖怪だった。

人間型の妖怪ではなかった。体長は一メートル前後。シルエットで言えは、大きな花瓶に大きな葛餅を乗せたような具合で、比率としては小さく思える手足が取って付けたように生えている。肌の色は灰色。表面から数ミリ程度透けて見えた。足はつるりとしているが妙に人間っぽくて、気味が悪かった。

 ツチニョロンは、ちょっとした車のエンジン音や、鳥の羽音、目的不明のヘリコプター、船のボーという汽笛、野良猫の気配、誰かが蹴った空き缶などに一々過敏な反応をする、心臓に悪そうな妖怪だった。

 意気込んで来たものの、人型の妖怪に慣れていた私は、どう接して良いものやらと接触を躊躇してしまった。


「あ、あのね。な、何か用? 何か、用なのかい? ……ハッ!」


 ツチニョロンは、無い首をグニッと伸ばし、左斜め上を見た。


「ど、どうしました?」果歩が言った。

「え……何でもない」

「そうですか。私たち、妖怪を探してるんですよ。小さい女の子で、黒い吊りスカートで、ぺちぺち音を鳴らすのが得意で……」

「あ、ああ。あの、あの女の子だね。良く、見かける子、だね」


 一行がいる場所は、駅前のデパートの屋上遊園地だ。

薄汚れた小さな汽車が、数人の子供を、たまには大人も一緒に乗せて走る。その奥、あまり人の立ち入らない日除けの下で、妖怪たちと人間二人は割れたベンチに腰を下ろしていた。ツチニョロンは仁王立ち、皆の前に立っていた。


「なにか知りませんか?」母さんが久々に口を開いた。

「あ、あれ以来見て無いね。あれ以、来っていうのはその、ね。あのー。あ、雨の時だったかな。あのときは、さ、寒かったね。黒いやつの上に乗って……ハッ!」


 分厚い雲が太陽を遮り、大きな影がコンクリートに落ちている日光を押し流すと、ツチニョロンはこの世の終わりのような顔をして空を仰ぎ見た。


「どうしました?」

「え……何でもない」


 ツチニョロンは話を再開した。

 彼がペッチペチの娘を見たとき。それは重い雨の降る中、デパート脇の公園で、黒いやつの上に乗っかって何かを探していたらしい。数秒間目にしただけなので、何を探していたのか、それとも何も探してはいなかったのか、正確な判断はしかねるそうだ。

 こいつはそれだけの説明に十五分も時間を使いやがった。


「その黒いのは、ラグレグって言うらしいんだよ」ひきつき坊が言った。

「し、知ってるよ。あれ、あの、ラグレグ。うん。う、うん」

「知ってるのか?」

「黒いの。そう、そう。く、黒い、ラグレグ。ゆ、良くないよ」

「良くないって、何がだよ」

「だって、その、あ……ハッ!」

「汽車が出発しただけですよ」

「え? あ、ところでお、おまえ」


 ツチニョロンは、小さな指で果歩のことを指さした。


「なによ」

「む、め、珍しい人間だなあ。よ、妖怪とし、しゃべ、しゃ喋るなんて」

「うん。なんだか最近、急に……」

「と、取り憑かれてるもんな」

「取り憑かれてる?」

「幽霊、に。さ。よ、幽霊乗っけて、ゆ、妖怪とし、喋って。おかしな奴だ」

「えっ? 私、幽霊に取り憑かれてるの? 本当に?」

「あ、ああ。なんだ。わかってぬ、ぬ……なかった、のか?」

「幽霊がどうしたって?」横のベンチでノートブックをいじっていた南が、幽霊という単語に食いついた。

「私が幽霊に取り憑かれてるんだって……」

「妖怪じゃなくて?」

「妖怪じゃなくて」

「こ、この人間も、と、取り憑かれているな」

「残念ながら、あんたも取り憑かれてるって」

「僕も?」


 ああ、世の中がこんな色をしていたとは。

 果歩は思った。

 全く思いがけなかった。この数日間で、私が認識していた世界は、もう一段階深くえぐられたのだった。

 なんて、物思いに耽っている場合ではない。


「ねえ、南さんさ、除霊できるんだよね? 除霊する為にこの町まで来たんだよね?自分が取り憑かれてるなんてこと有り得るの?」

「多分……。基本的に霊感無いからなあ」

「でも除霊はできるんだよね?」

「塩があったらね」

「昨日買ってたやつ?」

「いや、本当は専用の塩が有って……。でも、まあ、一応小分けして持ってるよ」


 南はポケットをごそごそやった。一見怪しい粉末に見える小袋を取り出すと、軽く振って見せた。


「ちょっと、除霊してよ」

「分かった」


 南は塩をつまみ、何かしらブツブツと呟き、人目を気にしてか、控えめに「エイッ」と気合を入れると私に塩をかけた。


「うわあ、紺色のコートに塩が目立つ……」

「あ、ごめん」

「ツチニョロンさん」

「うん? な、なんだ?」

「幽霊取れた?」

「ぜ、全然」

「全然かよ!」思わず声を荒げてしまった。

「ごめん……」

「ハッ!」ツチニョロンがまん丸い目で果歩を見る。

「どうしたんですか?」

「え……何でもない」

「てめえ塩ぶっかけるぞ!」

「ちょっと果歩ちゃん、どうしたの?」


 南は震えていた。本当に情けない奴だ。


「あ、いや、何でもないんです……。ところでラグレグは……」

「ら、ラグレグ探すな、ら、お、俺も行く」

「一緒に?」

「そうだ。る、ルートがある。ルートをあ、歩いて、災いを、わ、お、起こして、大きくなって、最後に、最後は、ら、ラグレグは、死ぬ」

「死ぬんだ。どれくらいで死ぬの?」

「何年、か、何十年か、な、何百年か……。でも、そうしたら、ここは、住めなくなる」

「どうしてだよ」ひきつき坊が言った。

「死ぬと、犬が、き、来る」

「犬?」

「黒い、い、犬。犬は、妖怪をく、食う。ぬ。人間も。み、みんな死ぬ。だから、ら、ラグレグは、処分しないといけない」

「どうやって?」


 ツチニョロンは言った。


「も、燃やす」

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