#22


 朝だ。うん。何もなかった。別部屋なのだから当然だが。昨日の南のご乱心は一体何だったのだろう?南本人は虚ろに謝罪をして、本意ではないのだとでも言いたげに、生意気に首を傾げたりしていた。

 そして一晩開けると、もう何事もなかったかのような振る舞いだ。私は他人に甘く、尚且つ運が悪すぎるのだ。私の敵は私です。そんな歌を思い出した。私に災難を持ってくるのは私です。


 モヤモヤを抱えながら近藤果歩は三日目のジャージを着て身支度を済ませ、みんな揃って外へ出た。果歩の宿泊代は南が持つことになっている。タダではないが、だいぶ安く泊まれているらしい。凄腕除霊師の助手として。

 一見緑萌える円錐形の山の方角。三十キロも移動した先の採石場跡に向かった。

 そこは、景色と歴史だけが見どころの冴えない観光地となっていて、近くまでバスが出ているが、降りる人間は疎らだった。実際、私たちと一緒にその駅で降りた人は居なかった。

 バスを降りると看板が立っていて、人を誘導しようとする看板の矢印を無視して逆側から回り込むと、雑草豊かな脇道に出る。わお、キノコが生えている。その先、左に見えてくる、すり鉢状になった斜面。そこに、岩男が座っていた。

 南には、まだ岩男の姿が見えていないようだった。


「すべて果歩ちゃんの妄想だったらと思うと恐ろしいよ」

「南さん、昨日見て失神したじゃん」


 しかし果歩自身、その気持ちは分からないでもなかった。自分自身、どこかでまだ、己の身に起こっていることを疑っている部分が有った。そう。だから、何? 疑えば答えが見つかるわけでもない。自分以外の何者も、この問題を解決はしてくれないのだ。

 岩男は一行に気付き、軽く手を挙げた。疲れているように見える。動きがゆっくりしているから、そう見えるだけかもしれないが。

 俄かに、南は足を止めた。すぐに出した次の一歩は、百年間掘られ続けた採石場を踏みしめるには、なんとも頼りなかった。南にも、岩の皮膚を持った巨大な男が見えたのかもしれない。


「悪いね」


 岩男は第一声でそう言った。自分の大きな体が、それだけで罪だとでも言わんばかりに。


「向こうに、もっと人目に付かない場所がある。移動しよう」


 ぞろぞろと移動した。ちょっとした崖を下りた先に、結構な量の廃材が積まれていた。この近くに何か、カフェだか土産物屋だか歴史資料館でも建てる計画があったようだ。ずっと向こうには、巨大なコンクリートの壁が一枚で立っている。何一つ成し遂げられない町なのだ。どう考えても、計画は頓挫していた。

 廃材は、コーヒーに浸しでもしたかのように変色していた。気にせず腰かけると、ひんやりとして、湿っているみたいだった。お尻を確認した。濡れてはいない。


「じゃあ、はじめましょ」


 大妖怪会議は、世間話から入った。

 妖怪の世間話は、生活環境に関することか、他の妖怪に関することかの、どちらかが定番らしい。基本的にはグダグダで、全体的なコミュニケーション能力の低さが浮き彫りとなっている。

 その話の内容に塵ほどの興味も持てない果歩は適当に聞き流したが、時折南が会話の内容を通訳してくれと頼むので鬱陶しかった。


「はっ!」

 屁女が突然声を上げた。「来た来た、来ましたーー!」


 覇気のある屁女を見たのは、これが初めてのことだった。

 昨日出会って以来、すかしっ屁のように薄暗く重い囁き声しか聞いていなかった。


「どうしたの?」

「屁の仙人」

「屁の仙人?」

「そう。屁の便り」

「屁の便り?」

「屁の仙人。そして、屁の便り」

「それで、それがどうしたんの?」

「便り。おはぎ。が、ラグレグ。で、娘。が、それで、ツチニョロンに会いましょう」


 言った後、屁女は急に具合が悪くなったらしく、大きく息をして目を閉じ、俯いた。屁の便りとは、そんなにもエネルギーを使うものなのか。


「エネルギーを使い過ぎたな」ひきつき坊が言った。

「ラグレグか。聞いたことがある」


 岩男は地鳴りのような声で唸り、考え込んだ。

 南は青い顔で黙りこくっていた。どうやら、ハッキリと見えているわけではないようだが、岩男の気配は感じ取れているらしい。岩男に取って食われるのではないかと恐れているようだった。

 当然だろう。

 情けないけど、まあ、そういう人間の方が信用できる。仕事の為なら簡単に命をも投げ出せるような人間なんて、信用できるわけがない。

 変質者なんかのことを気にしている場合ではない。果歩は、ラグレグとやらが、どうしてあんなにも不気味なのかを知らなければならなかった。

 岩男を見上げた。


「ラグレグって、どんな妖怪なんですか?」

「いや、どこかで聞いたことがあるだけだよ。どんな奴かは知らない」

「そうなんだ……。ツチニョロンは?」

「ツチニョロンは変わった奴だよ」

「やっぱり妖怪なんだ」

「そうだな」

「その妖怪さんに会いに行けば良いんですね?」

「はい。そうです」屁女が返事をした。

「俺は邪魔になるだろう。ここで待っているよ」

「岩男は町じゃ役に立たないな」引きつき坊が言った。

「ちょっと、あんたどの場所でも役に立たないじゃん」

「いやいや、良いんだ。俺も今は、この身体が邪魔でならない」

「いえいえいえ。廃ビルで助けてくれたし……」

「それにしても不安だなあ」

「なにが?」

「屁の仙人っていうのは信用できるのかな?」


 ひきつき坊は材木に登ってきた虫を指で弾いた。

 ペッチペチの母はじっと耳を澄ましていた。ずっと、些細な物音も聞き逃さないように集中を保ち、そのせいで疲れているようだった。


「ねえ、ツチニョロンて何?」


 南が果歩に聞いた。

 果歩はそれを聞き流した。他のことで頭がいっぱいだった。これ以上妖怪世界に踏み込んで良いものか、そこまでする義理はあるのか(岩男に対しての恩はあるが……)。

 妖怪というものに慣れてしまっている自分も、嫌いではないが恐ろしい。人間の相方は頼りない。快晴の空は高く遠いが、隅っこにまた雨雲が控えている。旅館。そう、旅館だ。私が求めているのは旅館であり、暖かな座布団であり、夜に出歩いても補導されない服装に、ささやかなメイク道具だった。


「行こう」


 果歩は言った。


「ツチニョロンさんのところ。案内して」


 皆立ち上がった。同じタイミングで立ち上がると、それだけで仲間になったようだ。

 仲間。そうだ。人間妖怪の種族問題は棚上げしよう。人間はあらゆるものに情を抱く生き物なのだ。犬、猫、魚、車、人形、二次元キャラ。妖怪だって例外ではない。そういうことだ。

 南は「ツチニョロンて何?」と、もう一度聞いた。

 果歩は、質問に答える気が起きなかった。申し訳ないとは思いつつ、南に苦笑いをしてみせ、何かを吹っ切るように先頭切って歩き出した。

 大人になった気分だ。

 こんなところで自分の成長を実感するとは。

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