その10

 おれは世田谷警察署を訪れていた。

 それは警察から彼について「話を聞かせてほしい」と言われたからで、その後についでに面会を依頼することにした。


 警察もおれとの会話から彼を探ろうとしているのだろう――彼はこのご時世ながら正体不明で、まだ口を割っていないらしい。


「決まりましたか?」


 彼は相変わらずの調子でおれの就労を案じている。


「遺伝子証明を出すだけで大量のリクルートがあり、驚いています」とおれは答えた。


「そういう時代です」彼は笑い飛ばす。「みな、あなたのことなんか見ていない」


「そうでない経営者もいるでしょう?」


「もちろん。ですがそれもはじめのうちだけです。良い理念を持ち良い会社を作っても、会社が大きくなると就職希望が殺到し、会社の理念に共感を寄せる者よりも、とにかくどこかに属したい人が集まってくる。前者は希少なので、会社も不本意ながら後者のような人間を雇わなければならない。しかしAI利用を利用すればどうでしょう。そういった人間を雇わなくて済むばかりか、それは環境改善となるのです。理念とそれに賛同する希少な――本物の――社員を守るための理想的な空間をAIは提供してくれます」


「AIに仕事を奪われると怯え叫ぶのは、労働者の傲慢と?」


「その通りでしょう。しかしだからと言ってそういった奴隷気質の労働者は産業廃棄物なのでしょうか?」


「そうだとしたら厳しい意見ですね。おれもそうでした」


「いや、あなたは優秀だった」


 おれは笑い飛ばした。「そうじゃないからあなたはおれに制度を勧めた」


「いいえ」彼は少しだけ身を乗り出して答える。真摯な姿勢に見て取れた。「あなたはすでに優秀だったんです。すでにあなたはA級の遺伝子を保有していました。そして、せっかくの制度だ。E級の人間などに使って“少しマシな奴隷”を生み出すよりも、あなたみたいな人をS級格にした方がよっぽど有意義だと思ったのです」


 いつおれの遺伝子を調べたのか聞きたくなったが、国の制度を不正に利用できる相手だ。方法はいくらでもあるだろう。それなら優秀という部分に謙遜しておくべきかとも思ったが、それよりも話が逸れはじめている。おれは彼の言葉を使って修正をはかった。


「おれもまだ奴隷かもしれない。産業廃棄物かもしれない」


「大丈夫です」


「遺伝子整形をしたから?」


「それはきっかけに過ぎません。そもそも、もしかしたらそんなものはあなたには必要なかったかもしれない。おっしゃるように、当時のあなたには気力がなかった。失業者としてふさわしい失望感を纏っていました。しかし、本来のあなたは優秀な能力の持ち主だった――そしてあなたと同じように優秀な能力を有しながらも奴隷状態の人間はまだまだたくさんおり、実は私が干渉したい人たちもに居るのです。きっかけさえあれば自立できる人間はきっとたくさんいます。しかし彼らには決定的に足りないものがある。いくら才能があっても、がなければなにもできない」


 おれは顎に手を当てて考えてみた。そして彼の言葉を代弁してみる。


「“自信……”」


 彼はにやりと笑った。

 面接時間の終了が告げられた。制服姿の警官が扉から入ってきて、彼は立つよう促される。はじめは言うことに従う素振りを見せた彼だったが、不意に満足気な笑みをおれへ向けた。


「根拠なんてなんでもいいんです。なくたっていい。人を目覚めさせる魔法なんてものは、本当はだれにでも――」


 彼はそう残して連れられていった。

 警察署の外に出ると葉瑠が車を回してくれていた。


「時間かかったね」


「面会してたから」


「そ」


「そう」


 車に乗り込んでドアを閉める。

 車の窓ガラスはすべてがガラス体ディスプレイで、葉瑠は進行方向に対し背中を向けている。おれはその向かい――昔で言う後部座席の場所――に腰を下ろした。車は勝手に移動をはじめる。


 外にはガラス体を通じて光るホログラムが賑やかな駅前がある。

 たくさんの人が歩いている。あるいはガラス体を手に持ち、あるいはグラスをかけ、あとはコンタクトか抵抗か。


 車は職業安定所を通り過ぎた。

 所内から汚い装いの就労希望者たちが荒れながら出てきている。車はすぐにその群れを遠いものにしていく。



 確かにの言う通り、世の中には本当にどうしようもない人間もいる。しかしだからと言って自分もそうだと認める必要はないのだ。おれがそう思えるのは、かつてのおれを殺し踏み台にした優越感があるからだろうか。


 本当にそうかな。

 おれは葉瑠の隣に移動する。


 もしこれを見ている誰かがおれを高みの見物者として少しでも恨病うらやむようであれば、おれは強い罪の意識を感じるだろう。自分が幸せであることが許されないような気がするのだ。


 しかしおれが不能でなくなったのは、もしかしたら遺伝子整形によるものではない可能性もある。ホスト時代のおれは、心から人を好きになどならなかったからだ。


 今は、隣に葉瑠がいる。



 “そうではない”と言ってもらえるように。

 また、殺した自分への罪滅ぼしのために――


 しかし果たしておれに何ができるだろうか。

 まぁ、それを必死に考え実行することが、誰に何を思われても“おれはおれだ”とおれを保つことのできる――おれにとってのいわば免罪符のように感じた。


「残念なお知らせが2つ」隣の葉瑠がおれの思案を断ち切る。


「生理が来ない」


「残念? もしそれがおれによるものなら、それは祝福すべきことだろう」


「もう一つ。早く就職して。私は無職と結婚する気はない」


「……そうだね」


 車はおれの自宅方面へ向かっていく。整理された小ぎれいな街が流れていく。計算された土の露出と緑と建物の美しさはこれ見よがしで、心休まるものではない。


 それでも生きる意味を見つけなければならないのだ。

 汚くて、汚くて、汚くて、汚い、某都市で気高く生きる君たちへ――いつかまた、おれもあの街に足を運べるように。




ゲノム葬列――END

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ゲノム葬列 丸山弌 @hasyme

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