その8

 長い長い細胞の置換術がはじまってから、同時に体力づくりのためリハビリとして積極的に外出するようにと医師からは説明があった。


 ただし、付き添いは葉瑠限定だった。

 それ以外のコメディカルスタッフ同行の外出はAIから許可がおりないのだ――この病院では本当に医師の立場は弱い。医師は今のところ、手術とインフォームドコンセントのためにしかおれと関わっていない。


「で、まっちゃんはどんな素敵な男性になったのかな?」皮肉じみた口調で葉瑠が言う。


 昼食あとの天気のいい時間。

 ビルの向こうで飛行機が行き来しており、それが遠くの光景のためかいやにゆっくりとした飛行に見える。


「イライラしなくなったよ。絶望感も減ったかな。頭もスッキリしてる」


「それは便を他人の便と交換した影響」葉瑠はおれの一歩前を歩き、そう断じた。


 極めておぞましい言い回しだ。


「せめて体内メンテナンスって用語を使ってくれ」


 葉瑠は笑う。


「細胞からの影響はどう? 相当穴あけられてたよね。それでもAIがマーキングする細胞を絞ったらしいけど」


「んー、妙に体つきがよくなってきてるかな」


「なにそれ。見せてほしいとか言うとでも思ってるの? 不能なのに」


「本当にまだ不能かな」


 おれは不敵に笑ってみせた。そして言ったあとの不思議な違和感に一考し、激しい悪寒に襲われる。


 自分の口説きに身震いしたわけではない。


  AIだ――

 おれは不意に確信したのだ。


「試してみる?」と葉瑠が言う。


 しかしおれは取り合わなかった。


「葉瑠、排卵日は?」


「……」


「突然キモとか思った?」


「思った」


「次の休みと重なってるでしょ」


「なんでわかるの? 怖いんですけど」


 すべてが結びついたと思った。

 葉瑠とおれの出会いやこのやり取りは、AIによって仕組まれたものだ。


 なぜかはわからないが、AIはおれの人生を少しだけ調整している。


 このことをAIに問い詰めたい衝動があった。

 しかし、どのAIに?


 職業安定所のAI? 病院のAI? 《聲》?

 いや――こういった風に独立型として考える事がそもそも認識の誤りなのかもしれない。AIに中枢はない。おれの疑問は宙ぶらりんなのだ。


 ただ、だからといってどうということもない気がした。AIが何を考えているのかなど知る由もないし、そもそもがおれの考えすぎなのかもしれない。


 それだから、多少強引な考えにはなるが――おれはおれの思ったように行動すれば、それでおれ自身が納得していればいい話という結論に落ち着くしかない。


「まっちゃん? 何考えてるの?」


 おれは葉瑠をみた。

 魅力的な女性がそこにいた。


「突然、変なこと言って悪かったよ」


「でも女の人ってなんかそういう日になるとフェロモンとか出るんだってね。それで分かったの?」


「そんなところかな」


 そしておれたちは連絡先を交換した。


 後日――葉瑠が休みの日、おれは一人での外出を希望してみる。

 案の定、AIはそれに許可を出した。


 某都市から少し離れた表参道。

 そこから2人で渋谷まで歩いた。


 ホテルに入り、そこでおれは自分の身体の変化を実感する。

 裸でベッドに横になり、葉瑠はおれに抱き着いていた。おれは欲求に従順だった。


「できたじゃん」と、甘い声で葉瑠は言う。葉瑠も満足できた様子だ。「ホントにすごいね、遺伝子整形。まぁ今はまだ、掘られて便交換した影響の方が大きいんだろうけど」


「だから」


「でもなんか、少し寂しかったかな」


「寂しい?」


「そう。なんか、やっぱり身体を重ねたからかな。なんか、分かった気がした」


「分かったって、なにが」


「んー、なんかさ」


 葉瑠はおれから身体を離し、背中を向ける。今度はそれをおれが抱きしめる。すると、声が聞こえた。葉瑠の、独り言のような、囁きのような、かすかな言葉。



――人が変わったみたいだなって。

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