その6

「不能男じゃん」


 入院初日の看護師による第一声がこんな言葉だったとしたら――あなたが美人看護師からこんな言葉を受けたらどう感じるだろうか。


 入院受け入れの担当看護師は、おれがホスト時代に家に連れ込んだ女性のうちの一人だった。光栄にも顔を覚えてくれたようだ。


「未だに貞操は守ってるよ」


「ウケる。荷物は自分で運んで」


 おれはここまで苦労して運んできたキャリーバックを再び引いて、彼女の後に続いた。白い制服に白いスラックス。生地は薄っすら透けているが、下着が見えないよう白いスパッツのようなものを履いているようだ。髪の毛は前と同じく黒い。当時は長髪だったようだが今は頭の後ろで結んでおりよくわからない。


「それにしてもすごい病院に勤務してるんだな」


 院内は白い壁と無地の紺色の床が続いており、通常の病院のようなごちゃごちゃした感じはない。かといってホテルのように気取ってなく、シンプルに綺麗だ。


 受付カウンターの前を通ると、その横に大きく運営会社のロゴがせり出していた。この病院は公的な機関だが、とあるIT企業が委託を受けて運営している。とあるIT企業とは、海外の有名な大手検索サイトのことだ。この会社は過去に自動運転開発に乗り出し、他の自動車会社や同様の挑戦に打って出たIT企業を下し、〈ナヴィ〉というAIの導入に社会的に成功した。


 さらにその次は、と、彼らは病院経営に乗り出し、イノヴェイティヴな企業らしく医師はスーパーバイズや手術を行う最低限の人数を雇い、その他わずかなコメディカルスタッフの他はすべてAIが患者の経過を管理している。そして、その病院の滑り出しは国の支援もあって順調のようだ。


「2か月前に急に転職を持ちかけられてさ」と看護師は言った。名札がないので失礼ながら名前を思い出せないことは、隠せるところまで隠そうとおれは思っていた。「――給料も上がるしお台場好きだし、いいかなって思って。やっと仕事に慣れてきたところだよ」


「おれと会った時はどこにいたっけ」


「虎の門」


「そんな大病院にいたんだっけ。人間関係ドロドロしてそうだな」


「うーんでもそういのは大学病院系よりマシかな。ちなみにここでは今のところクリーンに過ごしてるよ私は。医者も少ないしね。だから、近づくと妊娠する医者はそもそもいないんだよ」


 おれたちはエレベーターに乗って4階へ上がる。建物はまだ新しく、清潔感がある。来る途中に買ったガラス体グラスをかけてみた。複雑な院内の経路だが、立体的な矢印のホログラムが科ごとに白、青、黄などに色分けされ、あちこちの廊下へ分散されている。おれはどうやら緑の経路で案内されているようだ。


「メガネ似合わないね」看護師は笑った。


「コンタクトはつけたことないんだ」


「片眼鏡みたいなのにすればよかったのに。怪盗キッドみたなやつ」


 そんな看護師の頭上に身分証明が浮かんでいた。

 足立あだち葉瑠はる。思い出した。葉瑠だ。おれがバイトのアフターで二人で飲みに行ったとき、色々とおれの話をした。バイトじゃなく本気でホストに誘われている話。そしてその相手のバックにいる人物が相当なもので、本来なら断れない誘いだという話。


 その中で「本当にイヤならウチに逃げ込んでくればいいよ」と言ってくれた女性が葉瑠だった。結局その時は「おれのウチに逃げ込もう、急げ!」なんてふざけて家に連れ込み、すぐに裸にしていた。しかしその結果は、彼女の冒頭の言葉通りだ。



 案内された病室はユニットタイプだった。

 葉琉にベッドに座るよう促され、グラス越しに医師(のホログラム)から説明があると言われた。


 部屋の床には絨毯が敷かれており、そこにきっとタトゥのようなハードウェアがあるのだろう。ガラス体はそれ単体では本当にただのガラス体なのだ。データを発生させる装置があってはじめて視界を拡張できる。


 現れた医師は聡明そうな白人で、ギリシャ系の顔立ちだ。クリーム色に近い髪の毛をオールバックでまとめ、淵の黒い大きめの眼鏡をかけていた。


 医師が言うには、工程は二つあった。

 まずは腸内洗浄。そして、テンプレートの投入――これが準遺伝子整形とされる体内メンテナンスだ。体内メンテナンスをおこなえば、腸から脳へ向けて分泌されるホルモンが理想的な状態となるため、理想的な人格が手に入る。栄養の吸収バランスも改善し、健康状態が促進されるだけでなくアスリートのような肉体を目指すことができるようになる。


 次いで行われるのが、遺伝子整形。

 そういえばこれは職業安定所の担当者からは説明がなかった。AIからの説明も飛ばしていたのでよく覚えていない。しかし体内メンテナンスと比べ、より複雑で専門的な施術のようだった。医師が言うには、おれが持つ遺伝的特徴を分析したうえで、短所を軽減し長所を厚くする人工遺伝子を作り出すのだという。


 具体的な方法としては、なんでも体の細胞を司る幹となる細胞が人の体の中にはあるそうで、その細胞が持つ遺伝子を人工遺伝子に上書きし、あとは幹細胞がその情報を身体の隅々にまで行き届かせるのを待てばいいだけとのことだ。10ヶ月もすれば、代謝によってほとんどの細胞が入れ替わるという。


 ふと、おれは数年前の中国からのニュースを思い出した。

 実験により遺伝子組み換えを行った人間の子供が誕生したというあのニュース。今は7歳程度になっている頃だろうか。実験内容は彼らが生まれてから非公開となっているが、あの時世界を驚かせた処置を、今、人間は平気で自分たちに行っている。


 人間が、自分たちで自分たちを作り直すこと。あるいは作り出すこと。

 それは神のみが行えるものと昔は信じられていた。しかし、それはそうではないと中国が証明した。


 当時の世論は反発していた。

 神の領域に科学が踏み込んでいいのかという意見もあった。おれも同意見だった。だが、少なくとも今は考え直している。そしてそれは世論も同じだろう。


状況が変わっている。

世界は、あの時の中国を受け入れたのだ。

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