最終回 暗い家路

 黒装束に、身を包んでいた。

 これが、御手先役の正装のようなものだ。深い黒は、返り血を目立たせない。

 舎利蔵峠。その最も高い位置にある崖の切っ先に、清記は座していた。その少し後ろには、同じく黒装束の廉平が控えている。

 晩秋の昼下がり。この日は幾分か温かさを感じる。紅葉も最後の盛りなのか、山全体が燃えるように赤い。

 その風景を眺めながら、清記は塩を多めにまぶした握り飯を頬張った。拵えたのは志月で、廉平の分もある。志月には、気晴らしの散策と伝えていた。また廉平は、清記の友人という事になっている。目尾組という事は、父と三郎助しか知らないのだ。


「美味しゅういただきやした」


 廉平が、竹筒の水で流し込んで言った。清記も、その時には全て平らげていた。


「そろそろ行きやすかねぇ」

「ああ」


 眼下には、大和が幽閉されている牢屋敷が見える。漆喰の壁に門扉を備えた、僻地にあるとは思えぬ堅牢な造りだ。

 大和の謀殺。利永に命じられた、御手先役としての役目。当然、拒否権は無い。

 友とも呼べる東馬には、父が差し向けられた。その居場所が、目尾組によって確認されたのだ。それが昨日の事だった。立ち合いの趨勢がどうなったのか、未だ報告は無い。

 だが、あの父だ。剣鬼とも呼べる、あの父が後れを取るはずはない。


「本当にいいんですかい?」


 廉平が、確かめるように訊いた。


「何が?」

「真昼間に襲うなんて。盗賊の押し込みは丑三つ時って相場が決まっているんですがね」

「構わんよ」


 梅岳には、盗賊の仕業のように偽装しろと言われただけで、夜中に襲えとは言われていない。


「私は奥寺大和という男を、闇夜の中で討ちたくはない」


 廉平に大和親子の殺害を伝えた時、流石に驚きの表情を隠せなかった。だが、すぐに顔を伏せ、上げた顔は平静そのものだった。それ以来、廉平はこの役目について何も言う事はなかった。この男も、百戦錬磨の忍びなのだ。


「では、これを」


 廉平が、頭巾とお面を手渡した。面貌を隠す為だ。清記は狐面で、廉平はひょっとこである。


「狐か」

「お似合いですぜ」


 二人で、高台を下った。既に手筈は示し合わせている。そして、迷いは無い。そう自分に言い聞かせた。

 茂みに身を隠した。此処からは、牢屋敷が見渡せる。門番は一人。棒を手にしていた。


「行くぞ」

「へぇ」


 茂みから飛び出した。駆ける。牢屋敷が、近付いてきた。門番。清記は扶桑正宗を抜き払った。驚きの表情。その顔のまま、その首を刎ねた。

 門を潜り、牢屋敷に駆け込んだ。

 牢番。いや、袖を絞り股立ちを取った武士が、待ち構えていた。その数、十二名。いや、それ以上か。清記は、舌打ちをした。すぐにその意味を悟った。梅岳に謀られたのだ。


「ひょっとこ、逃げよ」


 叫んだ時、刃の光が鼻先を掠めた。槍だった。それも尋常な突きではない。

 もう一つ。清記はそれを払って後方に跳び退いた。


「来たな曲者。奥寺大和は渡さぬぞ」


 槍を構えた武士が叫んだ。


「やはり、そういう事か」


 清記は面の下で、低く自嘲した。恐らく梅岳は、御手先役に大和殺害を命じながらも、牢番には賊が大和を逃がす計画があるとでも伝えていたのだろう。


「ひょっとこ。ここは独りでいい」

「しかし、この数じゃ」

「命令だ。何故だか判らぬが、梅岳は私を消そうと企んだ。その火の粉に、お前まで巻き込みたくはない」


 清記は、狐面を取った。その顔が露わになり、待ち構えていた者共に動揺が広がった。その間に、廉平が消える。それでいいと、清記は頷いた。


「平山……清記。奥寺の娘を娶った男。やはり貴様は」


 槍の男が言った。よく見れば、御納戸役の永吉忠助ながよし ちゅうすけだ。磐州宝蔵院流の使い手で、その槍は夜須随一と言われている。


(梅岳め。私を本気で殺す気だ)


 潜在的な敵を消す為か。私が死んでも、弟の主税介を継がせれば、御手先役の血脈は続く。しかも、主税介には軽薄な所があり、自分よりは御手先役向きである。


「牢破りを企てるとは笑止千万」

「永吉殿、それは違う。私は、奥寺大和のお命を頂戴しに参ったのだ」

「命を頂戴だと」

「如何にも。梅岳の命令によってな」

「貴様。言うに事を欠いて、詭弁を弄すな」


 永吉は槍を頭上で奮った後、腰を低くして構えた。


「知る必要は無いが、知った以上は生かしてはおけぬ。全てを殺せと言うのが、梅岳の指示でな」

「何を」

「おぬしも、梅岳に踊らされている駒の一つよ」

「黙れ」


 永吉が裂帛の気勢を挙げ、猛烈な突きを放った。

 下から突き上げる。その刃が眼前を過ぎていく。捩じりを加えたものだ。掠っても、かなりの肉を持っていかれるだろう。


渦突うずつき〕


 磐州宝蔵院流の秘奥。躱しただけでも、その突風は凄まじい。


「よう躱した。流石は建花寺流」

「否。念真流だ」

「念真流だと。ならば、貴様がまことしやかに語られる、あの御手先役」

「左様。その太刀、味わうがいい」


 清記は、正眼に構えを取った。相手は槍。距離の有利さは永吉にある。幸い、他の者が掛かってくる気配は無い。永吉に任せている気配がある。

 清記は、地擦りで距離を詰めた。永吉の穂先。微かに震えている。動く気配だ。それを見逃さなければ、勝てる。

 もう一歩。踏み出す。穂先。動きだした。扶桑正宗を振り上げた。槍の螻蛄首けらくびが宙に舞った。更に踏み込み、袈裟を断った。

 永吉が斃れる。それと同時に、一斉に掛かってくる。清記は咆哮し、跳躍していた。


◆◇◆◇◆◇◆◇


 座敷牢。

 それを封じる錠前を叩き壊した時、大和は座禅を組み瞑目していた。


「血が臭うな」


 目は閉じたままだった。髷と髭は伸びているが、不潔という印象は無い。


「表の悲鳴はお前だったか」

義父おやじ殿」

「志月は息災か?」

「はい」

嬰児ややこは?」

「年が明ければすぐに」

「ふふ。そうか。あの子も母になるのか」


 そこで、大和は目を開いた。澄んだ目をしている。


「血まみれではないか」


 清記は、鬢に汗が伝うのを感じた。気圧されているのだ。座禅を組んだままの大和から、一種神聖とも呼べる氣が放たれている。


「……幼き頃より、生き血を浴びて育ちました」

「そうか。そうであったな。それで、お前は私を救いに来たのか? 斬りに来たのか?」

「……」

「後者か」


 すると、大和は軽く微笑んだ。


「それでいい。御手先役としてのお役目を全うせよ」

「義父殿。せめて尋常な立ち合いを」


 大和が首を振る。


「義父殿は壱刀流の免許まで持っておられるのです。せめて剣客として」

「そうすれば、お前の心が救われるか?」


 返す言葉が見つからず、清記は唇を噛んだ。


「清記よ。私にはお前と立ち合う腕も気力も無いのだ」

「斯様な弱音など」


 清記は、大和の目の前に膝を付いた。すると大和の手が腰に伸び、脇差をするりと抜いた。


「何を」

「全ては私が悪い。私の短慮が原因だ。それで志月を東馬を、そしてお前を苦しませる結果になってしまった」


 大和が、格子窓に顔を向けた。

 穏やかな日差しを受け、燃えるような紅葉が輝いている。そして、枝には五十雀ゴジュウカラ。甲高い声で鳴いている。


「志月に済まぬと伝えてくれ」

「なりませぬ、何卒その脇差を」

「お前も自分を責めるなよ」

「親父殿」

「死ぬには良き日だなぁ、清記」


 大和が、脇差の鞘を払う。格子窓から差し込む陽。それが刃に反射し、鈍い光を発した。


◆◇◆◇◆◇◆◇


「やはり、お前か」


 牢屋敷を出ると、深編笠に野袴の男が佇立していた。


「東馬殿」

「お前が此処にいて、この惨状を見る限り、親父はもう生きていないのだな」

「……腹を召された」

「そうか」


 東馬は、すっと腰の一刀を抜いた。銘は、高泉典太。切れ味鋭く、身幅で豪壮。その威容故に、魔を払うとも言われている。


「止めてくれ、東馬殿。私はあなたと争いたくはない」

「俺もだ」

「ならば」

「だが、お前は親のかたき。そして、俺もお前の敵となった」

「すると、父は」


 東馬が首肯する。眩暈を覚える衝撃に、清記は愕然とした。


「誇り高い、剣客であられた」

「父上が敗れたのか」

「念真流というのだろう? 建花寺流ではなく」

「……」

「あの魔剣を、しかと見届けたよ。そして、その念真流を使うお前と、真剣で戦いたいと思った」

「剣を取れ、清記。俺を失望させるな」


 清記は、腰の扶桑正宗を一瞥した。

 平山家宗家当主に受け継がれる、一族の妖刀。清記も元服した折に、父に与えられた。

 その父が死んだ。敗れて斃れたのだ。剣で生きる以上、それは仕方ない。ましてや、刺客なのだ。だが、信じられぬ。あの父上が。

 清記は、東馬を見据えた。父を斬った男。念真流を破る腕を持つ剣客。そして、曩祖八幡宮での奉納試合で、一度は敗れた相手。


(相手にとって不足ではない)


 清記の闘気が爆発した。東馬がわらう。


「それでいい」


◆◇◆◇◆◇◆◇


 相正眼。

 距離は、四歩ほどである。

 対峙を続けて、どれだけの時が流れたのか。斃れた骸の山の中で、清記は東馬と向かい合っていた。

 東馬の構え。端正なものだ。道場剣術で土台を作り、そして実戦経験で磨き上げた、正真正銘の正統派な剣。それは美しいとも思える。

 自分とは違う。東馬に比べれば、念真流など邪剣の類だ。父の剣を見て、東馬はそう思っただろう。誇り高いと、口では言ってはいたが。

 互いに、地摺りで一足分近付いた。

 東馬の氣が、全身を打つ。すると、耳の奥で何かがぜる音がした。

 氣が、東馬の氣がそうさせたのか。凄まじい剣氣。そして、いつの間にか東馬の構えが、上段に変化していた。

 どのようにして動いたのか、清記には判らなかった。東馬の放つ氣に集中し過ぎたのか。

 上段に構える東馬に、隙など無かった。どう戦うのか。跳ぶか、跳ばぬか。その迷いが、恐怖を大きくした。

 やはり勝てない。一度は負けた相手。そして、父すら破った相手なのだ。

 念真流の秘奥。しかし、父は東馬に対して使ったはずだ。東馬も、見届けたと言った。もし使えば、必ず破られる。

 ここで死ぬのか。思えば、今まで負ける事など考えもしなかった。誰と戦おうが、勝敗の先にあるものは考えなかった。

 しかし、東馬は違う。自分にこの男が斬れるとは、どうしても思えないのだ。

 恐怖。歯の根が震える。それを噛み締める事で、何とか抑えた。

 志月の顔が、不意に浮かんだ。死にたくない。そう思った時、何かが弾けた。

 光が見えた。清記は後ろへ跳んでいた。東馬の構えが、正眼に戻っていた。

 何を仕掛けたのだ。そう思う。何も見えなかった。ただ、光を感じただけだ。


「躱したな。流石だ」


 だが、清記は顔に生温いものを感じた。

 血だった。斬られたのか。しかし、立っている。痛みもない。


疾風はやての太刀。技巧を凝らしたが、お前には通じぬか」


 東馬が嗤った。そんな気がした。よくは判らない。そう思った時には、清記は跳んでいたのだ。

 やはりこれしかない。いや、そう思う前に、身体が反応していた。

 落鳳。

 寂滅への一手。幾代を重ね、生き血を啜って生まれし一族の魔剣。これと共に、滅びる。それが念真流の末路なのだ。


「何だ、これは」


 東馬の声が聞こえた。驚いている。

 そうなのか。

 父は、跳んでいなかったのだ。


◆◇◆◇◆◇◆◇


 立っていた。

 振り下ろした扶桑正宗は、地面に突き刺さっていた。

 側には東馬。頭蓋から二つに両断され、驚いた顔で斃れていた。

 勝ったとは、思えなかった。ただ生き延びた、という感慨だけがある。

 額の傷に手拭いを当てた。深々と斬られたかと思っていたが、実際は薄いもので血も殆ど止まっていた。

 清記は扶桑正宗を仕舞うと、牢屋敷を出た。

 廉平がいた。声を掛けずに、その前を通り過ぎた。

 独り、舎利蔵峠を降りていく。この道は、志月が待つ家へと繋がっている。

 義父と義兄を斬った。

 この事は、藩の秘事である。喩え志月と言えど、明かす事は出来ない。

 これから大きな罪を背負い、私は志月と、いずれ生まれる子を愛していかねばならないのか。

 天暗の星。その宿星を背負って生まれた自分を、清記は呪い、そして諦めた。



<了>


※次回から、短編集を更新していきます。




◆◇◆◇あとがき◆◇◆◇


全十二回の連載を読んで頂き、誠にありがとうございます。

この物語は、何故平山親子があのようになったのか? そのアンサーを込めた作品でした。

これ単体でも楽しめるように作りましたが、如何でしたでしょうか?


書き終えて、念真流サーガの主人公は平山清記だと感じました。

この清記で、もう一作ぐらい書きたいと思います。

と、その前に、少し休みたいですけど……。


支えて下さった皆様に、感謝を!



この後、物語は「狼の裔」へと繋がります。


――受け継がれるのは、愛か憎しみか――


から


――受け継がれたのは、愛か憎しみか――


へと。


是非、「狼の裔」も読んで下さいね!

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