第十一回 刺客の業

 志月が気丈に振る舞っている。

 それを教えてくれたのは、廉平だった。

 平山家に嫁いだとはいえ、大和の娘である志月に、当主が表立って会う事は出来ない。してはならないと、悌蔵に命じられていた。故に、廉平に命じて様子を見て来てもらっていたのだ。


「お腹も随分と大きくなっておりやしたよ」


 夜。母屋の中庭に、廉平は控えていた。寝間着姿の清記は、縁側に出てその話を聞いた。


「そうか。息災ならそれでいい」

「あと、これを渡すようにと」


 廉平が取り出したのは、志月からの書状だった。清記は早速一読すると、深い溜息を吐いた。

 そこには、日々の生活の事、身体の事、そして清記への心配が書き記されていたのだ。そして、くれぐれも無茶な真似はせず、平山家の当主として、奥寺家には構わず冷静な対応をするようにと、あった。


(志月らしい配慮だ……)


 どこまでも、芯が強い。そして気丈だ。曲げぬ所は曲げぬ女。そうした強さは、大和譲りなのだ。

 しかし、それが無理をしてのものだという事も、清記は知っていた。いつまでも蓮台寺村にいては、心身共に摩耗してしまう。


「廉平。藩庁はどうなのだ?」


 清記は話題を変えた。今の所、志月には命の危機は無い。許されるかどうかは、父に任せるしかないのだ。


「へぇ。奥寺派の面々は息を潜めておりやすね。犬山派のさる筋から訊きやしたが、予想外の反応だったらしいですぜ」

「ほう。赦免嘆願の類は無しか」

「ええ。それが不思議なぐらいに」


 きっと、それは大和の指図であろう。そこに策があるのか、後の為に反対勢力を温存する為か、或いは巻き込むのを由としない為か。兎も角、執政府にいる奥寺派は早晩姿を消す事になるだろう。無常だが、それが政事というものだ。


「で、義父おやじ殿はどうなるのだろうか」

「さぁ、それが。あっしも方々に訊いておりますが、処分の事は漏れてきませんね」


 大和は、十日前に自宅に蟄居閉門が申し渡されている。それで大和への処罰が終わりとは思えなかった。きっと、いや確実に何かを仕掛けてくるはずだ。


「奥寺様には、罪はございやせえからねぇ。財政悪化の原因を指摘しただけで」

「そうだ。義父殿は罪無き罪を得て、蟄居させられているに過ぎない」


 ただ、あの男の機嫌を損ねたばっかりに。

 清記の怒りは、短気を起こした大和ではなく、自らの浪費が悪であると認められぬ利永に向いていた。


(あの者こそ、生かしては世の為にはならぬ悪党ではないか)


 と、思うまでになっている。利永は夜須二十六万石の大名でありながら、領民の生活に心を砕き、暮らし振りを気にする素振りはない。この男の興味は、花鳥風月を愛でる風流と芸術にしかないのだ。故に、その道では名前が長じているが、領主としては暗愚である害悪としか思えない。


「奥寺様への処置に関しては、藩外からは非難の声もあるようですぜ」

「義父殿の名声は、藩外にも轟いているからな」

「黒河の伊達様、深江の松永様、塩飽しわくの河野様、荻の大内様。そして、幕閣からもちらほら」

「お殿様はさぞかしお困りの事だろう。そして、梅岳様もな」

「本当に」


 その顔が見てみたい。死罪になどすれば、猛烈な批判が藩を襲うはずだ。あの男が頭を下げる事などないだろうから、


「心得違い」


 と、叱責した上で、過去の功績を以て許されるかもしれない。

 翌日、清記は家督を継いで以降、日課にしている村の巡察に出た。

 一人で村を歩く。そこで気付いた事には、すぐに手を打つのだ。

 この日は、村の外にも足を伸ばした。久々に青空が見えたので、多少気が晴れたからかもしれない。

 村から近い、不動尊。そこに男が立っていた。


「平山殿とお見受けする」


 その男は、着流しに赤い襟巻姿で、長い髪を後ろに束ねただけだった。年頃は同じくらい。顎の先端にだけ髭を蓄え、軽薄な顔つきをしている。


「如何にも。して、貴殿は?」

壬生丹十郎むぶ たんじゅうろう

「その壬生殿が、私に何か?」

「念真流。その流儀に興味がござってな」

「刺客か」

「いや、単なる興味本位だ」


 斯様な時に。清記はうんざりする気持ちだった。念真流の剣客として、御手先役として生きる以上、こうした刺客から逃れる事は出来ない。


「判った。お相手しよう。この先に、拓けた場所がある。百姓も来ぬし、邪魔が入らぬ最適な場所だ」

「気遣い痛み入る」

「だが、容赦はせぬよ。今日の私は虫の居所が悪くてな」


 すると、壬生丹十郎の口許が緩んだ。


「それは楽しみでござる」


 清記は頷き、腰に差した扶桑正宗の重みを意識した。


◆◇◆◇◆◇◆◇


 大和の処分が、流罪と決まった。

 幽閉先は、舎利蔵しゃりくら峠である。命までは取られない。それだけで、清記は安堵した。流罪となれば、いつか許され戻れる日が来るかもしれないのだ。

 そして木枯しが吹く中、志月が乗った駕籠が建花寺村へと辿り着いた。

 屋敷の門前で、清記は志月を出迎えた。腹は、既に弾けそうに大きい。


「おまえ様……」


 志月は狐のような瞳を僅かに潤ませ、そして深く頭を下げた。清記は人目も憚らずにその肩を抱き寄せた。


「苦労を掛けたな」

「いえ、元はと言えば私の父が」

「それは言うな。義父殿は何も間違ってはおらぬのだ」

「ですが。義父おとう様にもお骨折りをしてくださったとか」

「ああ。後で礼を言わねば」


 父が利永を説得したのだ。執政府内には、御手先役が大和の娘と夫婦めおとである事は差し障りがあるとして、志月を離縁させる話があったらしい。それを退けたのが、父が動かした利永だった。


「それより、もうすぐだな。男であろうが女であろうが、私は楽しみだ」


 清記は、志月を屋敷へ促しながら、声を弾ませた。


「ふふ。でも、おまえ様。この子は男の子ですわ」

「ほう、何故判る?」

「母だからでしょうね。口では説明出来ませぬが」

「そんなものか」

「ええ。殿方には到底判りませんわ」


 と、言って笑顔を見せた。釣られて、清記も口の端を緩めた。久し振りに笑ったような気がした。


◆◇◆◇◆◇◆◇


 穏やかな日々だった。

 志月の声で目覚め、志月が拵えた飯を食す。それがどんなに大切で幸せな事か、今まで思いもしなかった。

 志月は大きな腹を抱え、齷齪あくせくと働いている。奉公人は休むように言うが、


「あら、これは病じゃありませんわ」


 と、気にも留めないらしい。勿論休み休みであるが、三郎助から報告を受けた清記が言っても、聞きそうになかった。


(それでもいい。志月の気が紛れるならば……)


 そう思うのは、理由があった。

 東馬の行方が判らないのだ。これまでは、定期的に便りがあり、何処にいるのか報せてくれたが、大和の一件以降連絡はない。

 東馬の事だ。大和が政争に敗れたと言え、どうこうするような真似はしないだろう。あの男は、政事に対して斜に構えた所がある。だから宮太郎に家督を譲りもしたのだ。

 志月は、東馬の便りが無い理由を、


「兄上は剣術以外は飽き性ですから、便りを書くのも飽いたのでしょう」


 と、言う。それならいいが、大和が幽閉された今、漠然とした不安もある。

 一方の大和は、舎利蔵峠に幽閉されているものの、日中はある程度の自由は許され、不便は少ないという。差し入れも許され、清記は三郎助に命じて何かと差し入れを行い、門番や詰めた役人に対しても、粗略に扱わぬよう銭を撒いた。

 秋の暮れ。悌蔵と共に、登城の下知が下った。

 側用人・稲城膳兵衛いなぎ ぜんべえが建花寺村までわざわざ来て、その命令を伝えたのだ。

 新たなお役目。そう思ったが、隠居した父と一緒と言うのが解せなかった。


「今回ばかりは判らぬ。容易な事ではないかもしれぬのう」


 父も表情を曇らせるほどだった。きっと、火急の事態なのだろう。大和の事でなければいい。そう思った。

 裃姿で登城し、二の丸御殿の奥の間に通された。

 そこには利永と、梅岳の姿があった。その事に、悌蔵の眉が微かに動いた。


「よう来てくれたの」


 利永は笑顔だった。梅岳の表情も柔和なものである。


「清記よ、もう奥の腹は大きかろう?」

「はっ。重そうに腹を抱えております」

「ふむ。悌蔵もいよいよ爺になるのか」

「ええ。些か遅うございますが」

「ぬしは、役目役目で嫁取りが遅くなったからのう。孫はよいぞ。子より可愛い」


 利永の言葉に追従するように、梅岳も頷いた。二人には、他家に嫁がせた娘の孫がいるのだ。


「ええ。老いらくの楽しみでございます」

「ふふふ。かの人斬り悌蔵も、好々爺か」

「時の流れがそうさせたのでございます」

「ふむ。今回呼んだのは、かつての人斬り悌蔵に戻ってもらう為じゃ」


 そう言って、利永は梅岳に目配せをした。


「お役目である」


 梅岳の底の深い一声に、清記は悌蔵と共に平伏した。


「平山清記。舎利蔵峠に幽閉中の奥寺大和を討て」

「……なんと」


 清記は、驚きのあまり顔を上げた。


「奥寺大和は主君を愚弄し、その権威を貶める事で秩序を乱さんとした、治世の悪徒である。これを討つのは御手先役の務めであろう」

「しかしながら」


 そこまで言った清記を、悌蔵が名前を呼んで止めた。


「清記よ」


 利永が口を開いた。


「義父を討つのは辛かろう。気持ちは判る。しかし、これは御家の為なのじゃ。勘弁せい」

「……」


 やはり、利永は大和を許さなかった。それだけではない。政争に無関心を装いながらも、ちゃんと見極めてもいたのだ。どちらが自分にとって利になるかを。そして今回は梅岳を選び、大和を消し去る決断をした。


(何という事だ)


 きっと、その決断は痛罵以前に決められていたのだろう。梅岳と組んで、陰謀を巡らせていたのだ。


「承知せぬのか?」

「まさか、そのような事は」


 清記は慌てて平伏した。


「それでよい。お前は、既に報酬を受け取っておるのだ。それなのにせぬのは、殿に対して不義理というもの」


 そう言ったのは、梅岳だった。


「報酬、でございますか?」

「左様。お前の奥である。かの娘を助ける。それがこのお役目の報酬だ。妻と子が助かるのだ。過分な報酬ぞ」


 清記は怒りが込み上げたが、それを何とか堪えた。梅岳。そして、呑気にしている利永。この怒りは、一生忘れはしない。


「次に、平山悌蔵」

「は」

「大和の子、奥寺東馬を討て」

「かしこまりました」


 悌蔵が即答する。


「お待ちください」


 清記の一声に、利永が意外そうな顔をする。悌蔵は横目で一瞥しただけだ。


「何故に、東馬を討たねばならぬのですか」

「清記、控えよ。お殿様の御前ぞ」


 悌蔵が止めたが、清記は構わず膝行しっこうした。


「梅岳、説明してやれ」


 梅岳は頷くと、


「あやつは、恐れ多くもお殿様のお命を奪いに戻ってくるのだ」


 と、言った。

 廻国修行中の東馬に、藩は討っ手を差し向けた。それは東馬が立ち寄った黒河藩城下で、


「父の仇を討たねば子の道に反する」


 と、酒の席で言った事が原因だった。たまたま居合わせた黒河藩士が、恩賞目当てに梅岳に知らせたという。それで藩は討っ手五名を差し向けたが、四名は返り討ちにされ、一人は助けられた。そして国元に戻り、東馬からの言伝を報告した。


「あの話は冗談であったが、本気にしたのなら致し方ない。思う存分に戦い、藩主利永公の首級みしるしを頂戴しに参る」


 と――。


「愚かな事を……」


 清記は絶句した。あの東馬が、滅びを選ぶとは思えない。きっと何かも間違いに決まっている。そう思いたかった。


「更に放った討っ手も斃されたようだ。今朝の報告でな。もう奴は夜須に入る頃だろう」

「殿。東馬の相手、この私に。何卒」

「控えよ」


 梅岳だった。清記は一喝した梅岳を、睨み返した。すると、梅岳は立ち上がり、その頭を扇子で打った。


「殿は、貴様に義父だけでなく友まで討たせまいとのご深慮から、悌蔵に命じたのだ。本来なら人斬り包丁に過ぎぬお前に、斯様な優しさなど必要は無いのだ。それを貴様は」

「ご家老、しかしながら」

「まだ言うか」


 蹴倒された。清記は咄嗟に脇差に手をやろうとしたが、猛烈な圧力に動きを止めた。後方に平伏していた悌蔵だった。


「よいよい、梅岳。義父を討ち、友は実父と相対する事になるのだ。清記が乱れるのも無理はない」


 それから、手筈の話になった。

 大和は押し込み盗賊の仕業に見せかけて、斬らねばならないらしい。利永や執政府による指示と判れば、その批判は凄まじいものになる。だから、盗賊の偽装をするのだ。しかもその偽装の為に、大和の他に牢番や詰めている役人まで斬らねばならない。梅岳は、


「取るに足らぬ者を選んで、牢に詰めさせておる。気に病む事はない」


 と、言った。人の命など毛ほどにも思っていないのだ。本当にこの男は、いつか斬らねばならない。心からそう思った。

 そして東馬には、その居場所が掴み次第、向かう事になっている。今は目尾組が必死に追っているらしい。


「必ず生きて戻れよ」


 利永の言葉に、清記は平伏し成功の誓いを告げた。勝つにしろ敗れるにしろ、待っているのは、悲しみしかない。


◆◇◆◇◆◇◆◇


 清記は、悌蔵と共に下城した。

 会話は無い。ただ前を歩く悌蔵の背中を追っている。父が黙っているから、清記も口を開かないでいた。

 父は、何を思っているのだろうか。怒りか。諦めか。思えば、昔からその心根を話さない人だった。自分が元服してからは口数も増えたが、昔は無口だった。幼き日、父に従い刺客の旅に出た時は、何日も黙ってその背中を追ったものである。


「お前は甘い」


 大手門を過ぎると、悌蔵が口を開いた。


「お前の全身から、殺気が滲み出ておった。あの二人が鈍かったからよかったものの、儂は城内にいる全員と斬り合いをせねばならぬ羽目になるかと冷や汗をかいたぞ」

「父上」

「諦めろ、倅よ。これが平山家の、念真流の暗き宿星なのだ」

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