07:告白

 陽奈から電話がきたのは、三月に入ったばかりの日曜の夜だった。

 レトルトカレーを食べながら、つまらないバラエティ番組を見ていた僕は、慌ててテレビを消し水を一口飲み込む。


「志貴くん、今大丈夫?」

「うん、どうした?」


 陽奈から連絡がきた理由なんて、一つしかないと思いつつ、聞く。


「今日、夕美と会ってきたよ」


 陽奈の声は、タンポポの綿毛のように軽く弾んでいた。

 二人は昼間、ショッピングモールで待ち合わせ、そこで半日過ごしたのだという。そのショッピングモールというのは、僕たちの地元にある田舎くさいところで、決して二十代の女性が好き好んでいく場所ではない。しかし、そこには僕の知らない二人の思い出が沢山詰まっているのだろう。


「好きだった雑貨屋さんが無くなっててショックだったなぁ……。服屋さんも違う名前になってたし」

「そっか。卒業してから、もう随分経つもんな」


 長電話になりそうだと思い、充電プラグを差し込み、そのままベッドに横たわる。陽奈は夕美とのデート内容を、食事のメニューに至るまで詳細に報告してくる。僕と付き合っていたときも、こんな風に夕美に告げていたのかもしれないと思うと、気恥ずかしくなってくる。まあ、陽奈はそんなところが可愛いから仕方がない。


「そんな感じでお店見てたら、久しぶりっていう気がしなくなっちゃって。なんだか不思議だよね。卒業以来、一度も会ってなかったのに」

「うん。楽しそうで、良かったよ」

「えへへ。ありがとう、志貴くん」


 こうしていると、付き合っていた頃を思い出す。電話でいくつもの未来を語り、約束を交わした。そのほとんどは、果たされることが無く、終わってしまった。幼い恋愛。そう言い切ることは簡単だけれど、あのときの僕たちは、それでも必死に恋をしていたのだと思う。


「それで、さ」

「ん?」


 陽奈の声のトーンが急に切り替わり、過去の情景に囚われていた僕は少し反応が遅れる。


「夕美に、謝られたの。でもわたし、なんとなく気づいてたんだ。認めてなかっただけで。だから、許してるよ。もちろん、志貴くんのことも」


 その言葉で、夕美が陽奈と向き合ったのだということが、ハッキリと分かった。

 婚約者に裏切られたばかりの陽奈に、高校時代の話を蒸し返すのは、それはそれで酷だっただろう。けれど、陽奈と夕美が真の意味で「再会」するために、それは避けて通れない。

 僕は、心の奥底で、この展開を予想していた。願ってもいた。そう、僕は狡猾だった。自分の口から、陽奈に真実を告げ、許しを乞うことをしなかったのだ。


「わたし、婚約までいってダメになったでしょ? だから、変に図太くなっちゃったのかな。今さらそんな昔の話聞いても、別に平気だなあって」


 僕は相槌すら打っていないのに、陽奈は喋るのを止めない。止めろよ、止めてくれ。そう思うのに、声が出ない。

 ふいに、過去の台詞がよみがえる。コーヒー・チェーンでの、あの会話が。

 今の僕は。何が悪かったのか、しっかり解っている。だから、今ここで言わないと、もう取り返しがつかなくなる。


「陽奈!」

「あ、うん?」


 僕はゆっくり息を吐き、整える。


「僕からも、謝らせて。陽奈を裏切って、ごめん。そして、それを今まで言わなくて、本当にごめん」


 陽奈は何も答えない。


「一番謝らなくちゃいけないのは、自分がやったことに向き合うのが恐くて、陽奈を忘れようとしてきたこと。陽奈との思い出まで、消してしまおうとしていたこと。僕は何度、陽奈を傷つけてるんだろうな? 情けないよ、あんなに好きだった、僕の初めての彼女なのにさ」


 僕が今、どれだけ言葉を尽くしても。どれだけ想いを打ち明けても。過去は変わらない。罪は消せない。どうすることもできない。けれど僕は、伝えなくちゃいけない。


「陽奈との約束を果たせる未来だって、絶対にあった筈なんだ。波流と再会してから、陽奈との今までのこと、思い出した。僕が陽奈のことをもっと考えて、思いやって、歩み寄って行けば、良かっただけなんだ。でも、あの時の僕には、できなかった。いや、しなかったんだ」

「……志貴くん、ねえ志貴くん、大丈夫?」


 陽奈の声色で、僕はようやく、自分が泣いているのだということに気付く。


「わたしは、今のわたしは。本当に、大丈夫だよ。それに、悪いのは志貴くんだけじゃない。わたしだって、ワガママ言いすぎたし」

「そんなこと、ない」

「あとね、わたしもちょっと、ズルいとこあるんだよ? 夕美が志貴くんのこと好きなの気づいてて、付き合ったし」

「……はい?」


 ダメだ。もう感情がグチャグチャで、まともな受け答えも何もあったもんじゃない。陽奈の言葉も、今一つ理解できない。


「今日もね、夕美に意地悪しちゃった。今も志貴くんのこと好きなの、って聞いたの。口では別に、って言ってたけどね」

「う、うん」


 さっきから陽奈は、何を言っているんだ?


「わたしは今でも、志貴くんのことが好きだよ。えっと……ちょっと違うかな?今の志貴くんも、好き、ってこと」


 驚きすぎると人間、言葉を無くすらしい。これが対面だと、僕の腑抜けた表情で展開が進むのだろうけど。陽奈が小さく、今言うつもりじゃなかったのに、やら、何か勢いで言っちゃった、やら、そんなことを呟いている。布団を被って顔を真っ赤にしているのを想像したところで、僕の意識も戻ってくる。


「僕は、陽奈を何度も傷つけた男だよ?」

「でも、嫌いにはなれないの。この前、食事に連れて行ってくれたでしょ? 一緒に美味しい物食べて、傍を歩いて、隣に座って。志貴くんと居ると、やっぱり、落ち着くなあって思ったの」


 コホン、と陽奈が咳払いをする。


「けど、志貴くん転勤しちゃうんだよね?」

「えっ?」


 それを誰から聞いた、と口に出す前に、夕美に箝口令を出していなかったことに気付く。ああ、そうだよな、話の流れで僕の転勤のことくらい、言ってもおかしくはない。


「志貴くんさえ良かったら、だけどさ。彼女として、わたしを連れて行ってくれませんか?」

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