11:余計

 結果として、僕は陽奈と仲直りした。つまらない意地を張った、と彼女が謝り、僕の方こそ無神経だった、と頭を下げた。それから数日後、手紙が入った手作りのお守りをもらった。僕はそれを、ブレザーの内ポケットにしまった。

 模試の成績は、担任も目を疑うほど急速に伸びて行った。陽奈と同じ栄北大学は、なんとA判定。そこより一つランクが上の緑南大学は、B判定だった。周囲からは、愛の力って凄いなとからかわれ、僕はそれを楽しんでいた。

 そういえば、その頃にセンター試験受験者向けの説明会があって、そこで波流と会話したことがあった。僕も彼女も、志望先は私学だったから、センター試験は文字通り記念受験だった。


「彼女パワーで学力が伸びた立野くんだ」

「うん。彼女可愛さに頑張った」


 たまたま席が隣同士になった僕たちは、受験についてあれこれと情報交換をした。波流の家は遠方で、通っていた予備校はその近くであり、うちの高校の生徒は彼女一人なのだという。代わりに他の高校の受験生と交流が多く、様々なことを知っていた。


「最初に栄北志望って言った時、うちの担任、すっげーしかめっ面してきやがってさ。その悔しさも養分になってたかも」

「ああ。あの人、時々癇に障る表情してくるよね」

「絶対合格してやるよ」


 今思うと、僕の担任に対する波流の評価はいささか力が入りすぎていたが、二人が付き合って別れていただなんて、その位のヒントじゃまず気付けなかった。彼女と再会しなければ、永遠に知らないままだっただろう。

 クリスマス・イブの日だけは、勉強を忘れて一緒に過ごそう。僕と陽奈はそう約束した。街へ出て、ケーキを食べて、何かお揃いの物を買う。高校生の小遣いじゃ、洒落たディナーなんて無理だから、ファミレスでグリルチキンを食べる。そんな可愛らしいプランを、二人で立てた。

 その計画は、漏れなく夕美にも伝わっていて、僕は例の空き教室で頭を小突かれた。


「模試がA判定だったからって、調子乗ってたら落ちるぞ」

「はいはい、わかってるよ」


 夕美の机には、コーヒーを入れた水筒が常駐するようになった。僕もそれを真似させてもらった。多分、一日一リットルは飲んでいたと思う。それでよくぞ胃を壊さなかったものだ。

 センター試験が近づくにつれ、夕美が放課後に残る時間は長くなっていった。別に邪魔ではないと彼女が言うので、僕も彼女に合わせ、管理人が巡回しに来るまで勉強を続けた。気付いた頃には、僕たちしか空き教室にはおらず、すっかり日の暮れた帰り道を二人ぼっちで歩いた。

 寒さが一層厳しくなった、ある夜のことだった。夕美はコートのポケットに両手を突っ込み、スニーカーで上り坂を蹴るようにして、僕の少し前を歩いていた。彼女は前を向いたまま、口を開いた。


「なあ、志貴」


 いつからか、夕美は僕のことを呼び捨てにしていた。


「栄北と緑南、両方受かったら、どうするんだ?」

「そりゃあ、栄北に行くよ。陽奈との約束だから」


 間髪入れずにそう答えると、夕美はわざとらしいため息をついた。


「志貴は本当に、それでいいのか?」

「ああ。だって僕は、陽奈とこれからも一緒に過ごすために、勉強を頑張ってきたんだからな」


 大人になった今じゃ、絶対に言えないようなことを、僕は堂々と宣言した。夕美は足を止めた。僕も立ち止まった。


「陽奈と一緒の大学に行って、それからどうするんだ?」

「まだ、そんなこと考えられる余裕なんてないよ。就職だって、三年生くらいから考え出すものだろ?」

「志貴は遊ぶためだけに大学に行くのか?」

「いや、ちゃんと勉強はするよ。それなりに」


 夕美は僕の方に身体を向けた。彼女は、僕よりも陽奈よりも背が低い。しかし、その時は坂の上に立っていたので、目線はほぼ同じところにあった。


「あたしも、栄北に行こうかな。陽奈と志貴が一緒なら、心細くない」


 その年の三年生で、国公立に受かる見込みがあったのは夕美だけだった。元々、うちの高校はそこまでレベルが高くないのだ。だから、彼女は必然的に一人で入学することになる。そんなこと気にするような性格じゃないはずなのに、と僕はその言葉を訝しんだ。


「それは勿体ないだろ。夕美はせっかく頭がいいのに」

「おう。もちろん、冗談だ」

「なんだそれ」

「で、あたしはそっくりそのまま、さっきの言葉を志貴に返したい」


 僕は息を呑んだ。


「みなまで言おうか? 大学でやりたいことが具体的に決まっていない奴は、とりあえずランクの高いところに入っておくのが賢い選択だ。陽奈とはいずれ、別れるかもしれない。けれど、学歴というのは一生残る。だから言っているんだ、勿体ないと」


 夕美の言うことは正論だった。正論すぎた。どこか遠くで、救急車が走っているようで、よく晴れた冬空の下、サイレンの音が鋭く響いていた。


「余計なお節介だよ。僕がどういう理由で大学を選ぼうと、夕美には関係ないだろ!」


 自分で思っていたよりも大きな声が出て、僕は喉を押さえた。夕美の表情は、辺りが暗くてよく見えなかった。


「そうだな。悪い」


 呟くように夕美は言い、踵を返した。そのまま彼女は、早足で坂を上り切り、振り向くことはなかった。

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