50:夜の散歩

 歓声が止み、帰路へと向かう人波に飲まれる。あれだけ盛大な花火だったのに、皆一瞬にしてそのことを忘れてしまったかのようだ。寝る前に済ませておくべき家事。明日からの学校や仕事。そういうことが浮かんでいるのだろうか。

 考え込んでいる内に、相沢くんが何かの用事で離れていき、白崎くんとリカちゃんもいなくなっていた。


「あれ?みんなは?」


 右隣を歩く槙田くんに、間抜けな声でそう聞いてしまう。


「よくわかんないけど、真っ直ぐは帰らないんだってさ。っていうか、雪奈ちゃん大丈夫?元気ないみたいだけど」

「そんなこと、ないよ」


 ぼんやりしていただけだったのだが、槙田くんにはそう見えるらしい。おかしくない程度に明るい声を出す。警備員に誘導されながら、混雑するレンガ道を歩く。槙田くんの浴衣のたもとが、あたしのものと触れ合う。それくらい近くにいないと、すぐにはぐれてしまいそうだ。


(またしても二人きりなんですけど!どうすりゃいいのさ!)


 あたしの頭の高さは、ちょうど槙田くんの肩くらい。彼の顔は全く見ることができないし、見上げる勇気もない。何かを話さないと気まずいので、必死に会話のネタ集のページを繰る。


「次の転職、どうするの?ナイトとガーディアンがあるけど」

「俺のプレイスタイル的にはガーディアンなんだけど、ナイトの方が人気あるみたいだね」

「あたしとしては、やっぱりガーディアンになってくれる方が助かるかな」


 こういうときに、LLOの話しかできない自分が情けない。花火のこととか、浴衣のこととか、もっと他に言うことがあるだろうに。結局、あたしの得意分野はゲームなのだ。駅の明かりが見えるまで、あたしたちは延々とその話をする。

 あたしと槙田くんの家は、逆方向だ。駅に着いてしまえば、別々のホームに行かなければならない。

 嫌だと思った。このまま、今日、帰ってしまうのは。


「……雪奈ちゃん?」

「あっ、ごっ、ごめん!何でもない!何でもないです!」


 あたしは槙田くんの浴衣を、きゅっと引っ張っていた。慌てて右手を離し、左手でバシバシと殴る。


「ちがっ、何やってんだあたし!」

「お、落ち着いて……」


 槙田くんの戸惑う声に、もう恥ずかしいやら、申し訳ないやら、ありとあらゆる後悔の念が溢れ出す。あたし、挙動不審者。


「あのさ。ちょっとだけ、散歩してから帰ろっか?」

「はい……」


 あたしたちは、人の列から外れ、湊公園の方に戻る。花壇のある広場には、ほとんど人がいなかった。ここからでは樹木が邪魔で、花火が見えないからだろう。喧騒が遠くなる。


「花火、凄かったね」

「うん、綺麗だった」


 それ以上感想が言えなくて、詰まってしまう。あれは、綺麗なんてものじゃなかった。そりゃあ、夏になれば各地で見られるものだし、規模としては他よりもしょぼい。けれど、そういうことじゃないんだ。それを説明したいのに、何も単語が出てこない。自分の語彙が少ないことに、生まれて初めて苛立つ。

 槙田くんが口を開く。


「雪奈ちゃんと知り合ってから、もう三ヶ月経ったんだね」

「そうだね。あたしは、まだ三ヶ月、って感じがするけど」


 槙田くんが、あたしに声をかけてくれてから、色んなことがあった。たくさん初めての経験をしたし、外見が変わった。内面も……変わったのだろか。今日、花火を見るまでのあたしは、また地味子に戻っていたような気がする。


「あたしね、今日自分が来てもいいのか、凄く悩んでたんだ。一緒にいて鬱陶しくないかな、浴衣も着て行っていいのかな、なんて」

「もしかして、楽しくなかったの?」

「ううん!全然そんなことないっ!」


 嘘をついていると思われたくなくて、槙田くんを見上げる。


「緊張したし、いや、今もしてるんだけど、本当に楽しかったよ。ウジウジしてたのが勿体ないって思えるくらい。みんながあたしのこと、嫌いじゃないってことが、信じられなかっただけかもしれない」

「そっかあ、よかった……」


 槙田くんは、歩調を緩める。あたしも彼にリズムを合わせる。


「この三ヶ月さ、雪奈ちゃんには、いっぱいカッコ悪いとこ見せた気がする」

「否定は、しないかな」


 そうしてしまうと逆に失礼だ。槙田くんのカッコいい姿もたくさん見たけれど、それと同じくらい、もしかするとそれ以上に、残念な姿も見ている。


「見せたい、っていうと変かもしれないんだけど。雪奈ちゃんには、いつものカッコつけてる俺じゃなくて、ダメな部分も知っててほしかった。そうしても、俺のことを嫌わないでくれるって、なんとなく思ったからさ」

「槙田くんを嫌いな人なんて、いないと思うよ」

「ありがとう」


 道の向こう側から、小さな女の子を連れた三人家族が向かってくる。あたしは槙田くんの後ろに行き、道を開ける。女の子はトコトコと走り去り、母親があたしたちに会釈をする。あたしは再び槙田くんの隣につく。


「一番、俺がダメなのはさ」

「……へっ?」


 親子に気を取られていたので、反応が遅れる。


「雪奈ちゃんに、俺の思ってることをきちんと言ってないとこ。相沢の劇観に行ったときもそうだったし、LLOのことも、雪奈ちゃんに先越されたし」


 何を言おうとしているのか、いまいちよくわからない。謝られているのだろうか。それも少し違うような気がする。

 槙田くんが足を止める。それが急だったので、あたしは彼より数歩先に出てしまう。


「どうしたの?」


 振り返ると、槙田くんは両手で頭を覆っている。そして下を向いたまま、右の手のひらをあたしの方に向ける。


「ちょっと待ってて下さい」

「はい、どうぞ」


 なぜか二人とも丁寧語。槙田くんはその恰好のまま固まっている。あたしもそのまま動けない。しばらく時が流れ、槙田くんは深呼吸を始める。周りに誰もいないからいいが、あたしたちは相当不審である。よし、と彼が小さく呟き、ようやく顔を上げる。


「俺、雪奈ちゃんのことが好きです。もっと二人で、色んな話をしたい。彼女に……なってほしい」


 槙田くんの顔は、煙が出そうなくらい真っ赤になっている。

 多分、あたしも、そうなっている。


「そ、それは、ちょっと……」


 あたしの口から出てきたのは、そんなセリフだった。


「いい!ダメならいいから!厚かましくてごめん!」

「ち、違うよっ!ダメじゃないよ!あ、でも良くもないよ!」

「どっちなの!?」

(あたし一体何言ってんの!?バカバカバカ!)


 突然の展開に、妙なことを口走ってしまったが、とりあえず落ち着こう。あたしたちは、二人で深呼吸を始める。浴衣姿の男女が、公園で向かい合って深呼吸……ものすごく、怪しい。


「ごめんね、いきなりすぎて、びっくりしたよね」

「うん、びっくりした」


 自分の下駄を見つめながら、言うべき言葉を積み上げていく。今、言わなきゃいけないことと、今は、言わなくてもいいこと。カタン、と全てが正しく揃って、あたしは覚悟を決める。震える両手を組み合わせ、しっかりと槙田くんの目を見る。


「あたしも、槙田くんのことが好きです。こんなあたしでよければ、彼女にしてください」


 そして、右手を差し出す。あたしたちは、そうするべきだと思ったのだ。槙田くんの手は、汗で少し濡れている。思ったより小さくて、しなやかな手だ。


「これから、よろしくお願いします」


 そんなわけで――あたしと槙田くんの、お付き合いが始まった。この時のことは、二人の間で何度も話題に上ることになる。槙田くんは、もっときちんと告白したかったと嘆き、あたしも変な対応をしたことを悔やんでいる。

 けれど、それでいい。それが、あたしたちらしい。

 あたしの本名は鈴原雪奈。ぼっちを卒業してからすぐに、喪女でもなくなった。だけど、鬼ゲーマーであることに変わりはない。LLOではアーチャーのナオトとして、パーティープレイを楽しんでいる。

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