10:大学のトイレ
昨日のアルバイト休憩中しかり、女子トイレでの会話というものは、ロクなものがない。あたしが個室に入ってすぐ、女の子たちが化粧直しに訪れた。ドア越しでも、ポーチを開けたり、道具をあさったりする音で、すぐわかる。あたしは日焼け止めくらいしか塗らないので、トイレは用を足す場でしかない。しかし、彼女らにとっては、化粧を直しながら愚痴を言う場所なのである。
「あいつ、マジむかつくんだけど」
「鈴原?」
「そうそう。槙田くんのグループに入ってちやほやされてさ。何なの?不細工のくせに」
経営学演習Ⅰを取っている子たちだ。とっくに用は足したのだが、どう考えても出るに出られない。あたしは息を殺す。
「IDまで教えてもらってたんだよ?」
「げっ、マジで?」
「相沢くんと白崎くんの分もだよ!」
「うっわ、あり得ないんですけど」
いや、同じグループなんだから仕方ないじゃないか。実際、彼らとは授業に関係あることしかやりとりをしていない。心の中ではそう弁解するが、彼女らに届くことはないだろう。
「あいつと高校同じだったって子に聞いたんだけどさ、鈴原今まで一人も友達できたことないんだって!」
「うっわ、高校の時からそうなんだ」
「ダサイし暗いもんね」
「いっつもダボダボのズボンに黒い服だし」
いや、ほら、足が太いの隠したいから。君たちみたいにひらひらのスカートなんてはけません。っていうか誰だよ、あたしのこと言った高校の奴……。本当のことなので、文句を言える筋合いはないが。あたしは時計を見る。休み時間は残りわずかだ。早く出たいのだが、化粧直しはまだ終わりそうにない。
「なんか調子乗ってそうだよね、あいつ」
「槙田くんに優しくされたから、モテるって思い込んでたりして」
「腹の中でアタシらのこと見下してるんじゃない?」
話がまずい方向にいっている。あたしは、他人の悪口を延々と言っている、という意味で、彼女たちを見下しているかもしれない。だけど、調子になんて乗っていない。しかも、モテるだなんてもっての外。でも、彼女らにはそう見えるのだろうか?そうだとしたら、どんな態度を取ればいいんだろう。
「でもさ、逆に鈴原に近づけば、槙田くんたちのIDわかるんじゃない?」
一人がそう言った瞬間、歓声が上がる。興奮しながら、作戦を練り始めたようで、いつまでも開かない個室に気づく様子はない。そして、チャイムが鳴る。彼女たちは次の授業がないのだろう、全く気に留めていない。あたしは授業に出るのを諦めることにした。
「じゃあ、次の授業のときにアタシが話しかけるね」
「鈴原の友達第一号!」
「あはは!名誉だね~」
うるさい声がフェードアウトしてから、少し間を置いて、そっとドアを開く。
「何が、名誉だね~、だよ」
洗面台には、長い茶髪やコットンなどが落ちている。あたしは蛇口を一杯にひねり、それらを押し流す。
女の子たちに目をつけられていることを、わかってはいた。視線や舌打ち。無言の攻撃なら、なんとかスルーできた。あたしは唇を噛む。ここで泣いたら、負けだ。勝ちも負けもないかもしれない。それでも、負けたくなかった。
授業をさぼったので、あたしは予定より早く帰宅した。すぐにヘッドギアを装着する。本来ならば、気持ちが高ぶっているときにVRゲームをやるべきではない。それでも、あたしはナオトになり、矢を放つ。
「はあああああっ!」
レベル85、マッドバタフライ。体力は低いが、素早さは高い蝶型のモンスターだ。レベル90のあたしにとって、決して倒せない相手ではない。しかし、何度も何度も狙いが外れる。向こうからの攻撃は、クロがガードしてくれているのだが、ふと気が付くとクロの体力が尽きかけている。
「あっ……!」
あたしは慌ててクロにシルバーポーションを使い、マッドイーグルを見据える。落ち着け。普段通りやれば、絶対に負けないモンスターじゃないか。
「はっ!」
矢はマッドバタフライの頭部を貫く。そこが弱点だ。しかし、まだ体力があるようで、消えずにそのまま地面へと墜落する。あたしはナイフを持って駆けだす。
「とどめだ!」
マッドバタフライの頭にナイフを突き立て、絶命させる。クロが走ってきて、アイテムを回収する。
「ごめん、クロ……」
あたしはクロの頭をそっと撫でる。瀕死状態になっても、ペットのモーションは特に変わらない。だから、それに気づかないこともある。戦闘不能にさせると、懐き度が一気に下がるのだが、その前に回復させれば大丈夫だ。なので、クロはいつもと変わらず、あたしの足に身体を擦り付ける。本物の猫なら、自分のことを忘れていた飼い主を軽蔑するだろう。猫は気まぐれで、人間の感情に敏感な動物だと聞いたことがある。
「やっぱりやめておこう」
クロを抱き上げて、ため息をつく。現実逃避をするのに、VRゲームはもってこいだが、一番いい方法は、意識を手放し眠ってしまうことだろう。それに、四日後のアップデートで新マップとレベルキャップが解放される。今日は無理してプレイする必要はない。
そうして、ログアウトしようとしたときだった。
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