第2話 殺し屋がいた

 あれは確かまだ自分が医学生だった頃の話と記憶している。あの頃の自分は全てが輝いていた。難しい受験を乗り越え、自分を人生の勝者だと勘違いしていたあの頃、本気で何でも出来ると思っていた。

 ある時先輩の誘いで、とあるバーに連れて行ってもらった。その「バー」という響きに、どこか大人の世界に少し入り込むような、いずれは自分も行きつけになって、女の子を連れ込みたい、そんな事をきっと考えていたのだろう。そんな自分の思惑を見透かしていたのかどうか知らないが、先輩は道中こんなことを言っていた。

「今から行く所は、それなりに大物もいるからな、裏社会も含めて」

 最初そう言われた時、正直自分にはその意味がよくわからなかった。そうなんですか、へー! といった風に半分冗談で返した気がする。そんな自分に先輩は淡々とこう付け足した。

「お前も、親御さんにせっかくここまで連れてきてもらったんだからよ」

 その具体的には言わない言いぶりに、未知なるものに対する期待と不安が入り交じっていた事を覚えている。


 カランカラン、という音と共にドアを開けた。

「あら、しょうちゃん。来てくれたの」

「ママさん、また来たよ」

 中は意外と狭かった。赤茶けたランプが所々の空間をぼんやりと照らし、カウンターにはテレビで見た事のあるいわゆるマスターと、赤いドレスを身に纏ったママさんと呼ばれた女性が立っていた。促されるままにカウンターに座る。

「ママさん、いつもの。お前どうする?」

 いきなり言われた私は思わずメニューを探した。しかし、どこを探しても見つからない。どうしたらよいのか分からなくなった私を見かねて先輩は「同じのを」

 それを聞いたマスターは無言でうなずいた。


 いくらか酔いがまわってきた頃、私は隅に座って独りグラスを揺らす、この暑い季節に似合わない、ダークブラウンのジャケットを身にまとった人物が目についた。

「先輩、あの人何なんすかね?」

 先輩はそっちを見ないようにして私に耳打ちした。

「あの人はヒットマンらしい。あまり関わり合わない方が身のためだぜ」

 ヒットマン? その頃の自分にはその意味がよくわからず、どこか楽しそうな雰囲気すら覚えた。

 そして何を思ったかグラス片手に私はその人物のところへ向かったのだった。

「あのーすんません!」

 人物は微動だにしなかった。

「あのー、人、殺して罪悪感とか無いんすかねー!」

 正直この時私はあまり記憶が定かでは無い。後から先輩に聞いた話ではこんなことを言っていたらしい。

 辺りが騒然となった。ママさんも、何この子! 早く出て言ってちょうだい! と叫ばれたり、先輩は一つ私の顔を殴ったらしいことは翌日鼻血が顔についていたことから分かった。

 私は、先輩に力づくで外に連れ出されそうになっていたその時だった。


「おい、兄ちゃん。面白いこというなー」

 突然現れたメガネ姿のその中年男性は、私の肩をぽんと叩き、カウンターに座らせた。

「テツさん、もうその子には出てってもらうんだから! 放っといてちょうだい」

 ママさんの必死の形相に対し、そのテツと呼ばれた男は手のひらを見せ、制した。

「まあまあ、せっかくだから聞かせてやろうじゃねーか、この男の半生ってやつをなー」

 こうしてテツと呼ばれた中年男性は楽しそうにその男の話をし始めたのである。今でもその話は覚えている。人生でただ一つ、とある一人の殺し屋の半生を。

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