24.二度目の帰還
慣れはじめた不思議な感覚の後、俺は氷室家の応接室にいた。
アリス、千草、莉奈の三人も一緒である。莉奈は召喚された時は生徒会室にいたはずだが、帰る時には俺たちと一緒にいたので、帰る場所は一緒になったらしい。
応接室にかけられた時計を見る。午前3時。ビートル兵を探してピラミッド内を走り回ったからくたくただ。とくに、体力のない莉奈はぐったりしている。
「対策を講じなければならないな」
アリスが言った。
「何かあるたびに呼び出されてはたまりませんからね」
千草がうなずく。
今回、俺たちは再度召喚される可能性を考慮し、準備をしていた。
生徒会室と各自の家に非常用の持ち出しリュックサックを常備しておいたのだ。
俺は内心心配し過ぎではないかと思っていたのだが、実際に再度召喚される事態になってしまった。アリスの悲観の方が正しかったわけだ。
アリスが言う。
「ジュリオが権力の味を知り、よからぬことを企む前に、だな」
「いい人そうでしたけど」
「それに異論はない。仮にも天使が見込んだ人間だからな。が、絶対的な権力は絶対に腐敗する。権力者相手には絶対に油断してはならないのだ」
「とはいえ、召喚を防ぐ手立てなんてあるんでしょうか」
と、莉奈が疑問を呈する。
そこで、アリスの後ろから、おずおずとひとりの少女が現れた。
「あ、あの……」
12、3歳くらいだろうか。褐色の肌とアメジストの瞳、肩口で切りそろえた髪を持つ美少女である。白い麻のワンピース。オレンジに染められた腰紐と、首や手首に身につけた金の飾りが似合っている。
が、どこかおどおどと周囲を伺うような様子がある。
「なんだ、パトラ」
アリスが少女に言った。
パトラ。それが少女の名前だ。
彼女は、アリスが召喚魔法の技術を伝授してもらうべく、新ファラオから「譲り受けた」魔術師である。
まだ若いが優秀な魔術師だと、ジュリオは太鼓判を押していた。
なんでも、前ファラオ・アメンロートの側近だった魔法大臣アレクタスが死んだことで、プレデスシェネクでの魔術師たちの勢力図も大きく塗り変わったらしい。
前ファラオや魔法大臣と親しかったものの中には、粛清された者もいるという。
前ファラオを倒した俺たちを恨む者もいるらしく、ジュリオが俺たちに安心して預けられる人材は限られてしまうらしい。
結果、魔法大臣の弟子ではあったが、身寄りがなく、歳も若くて政治的背景のないパトラに白羽の矢が立てられることになった。
(ひょっとしたら、厄介払いされたのかもな)
政治的な状況が流動的な今のプレデスシェネクは、優秀だが後ろ盾のないパトラには危険な場所だ。
厄介払いは言い過ぎにしても、勇者である俺たちに預けるのがいちばん安全だと考えたのかもしれない。
パトラがおずおずと口を開く。
「ガーディアンを召喚してはいかがでしょう?」
「ガーディアン? なんだ、それは」
「ガーディアンとは、霊的な番人のことです。魔法による有害な干渉から宿主を守ってくれる存在です」
「そんなものがいるのか。だが、この世界からでも召喚できるのか?」
「……す、すみません……それは試してみないとわかりません」
「いや、謝る必要はない。有益な情報だ」
萎縮したパトラにアリスが言った。
アリスは、なまじ見た目が整っている分、相手に圧迫感を与えやすいからな。
もっとも、パトラ自身がどこか自信なさげでもある。
そこで、応接室の扉がノックされた。
扉の向こうから男性の声がする。
「もしや、お戻りになられましたか!?」
「ああ、なんとかな。心配をかけた」
扉が開き、氷室家の使用人が現れる。
初老の男性で、執事のような格好をしている。……というか実際に執事である。
「胸をなでおろしました……。お嬢様も、皆様もお疲れでしょう。後のことは私に任せて、お休みになってください」
「その言葉に甘えたいところだが、莉奈と鈴彦を送っていかなくてはな」
アリスの言葉に、俺と莉奈は揃って顔をしかめた。
「うぅ……また家族会議ですか」
「今日は両親はいないけど、鐘那が……って、そうだ、鐘那と稲垣さんはどうしました?」
俺は執事さんに聞く。
「おふたりとも、この屋敷にお泊りいただいています。鐘那様が、鈴彦様はどこに行ったのか、満足ゆく説明をされない限り帰らない、と申されまして」
「あちゃあ」
あいつも、一度こうと決めたら頑固だからな。
ほんと、一日で戻れてよかった。
「じゃあ、鐘那には俺から説明します。といってもどう説明すればいいのやら……」
「莉奈は、アリスに送ってもらって帰ります……。また生徒会の仕事で寝過ごしたってことでなんとかならないでしょうか」
さすがに前と同じ言い訳じゃ厳しいと思うぞ。
生徒会はどんだけ睡魔に弱いんだって話になる。
俺と莉奈が頭を抱えている間に、執事さんが言った。
「ところで……お嬢様。そちらのお方は?」
執事さんが言うのはパトラのことだ。
パトラは執事さんの視線にびくりと震え、アリスの背後に隠れてしまった。
「ああ。パトラという。わけあって連れ帰った。この屋敷に逗留してもらうことになったから、部屋を用意してやってくれないか? 異国のことで、不自由もあるだろうから、世話をする者もつけてやってほしい。……口の固い者をな」
「かしこまりました。すぐに」
執事さんは、事情を聞き返すこともせず、他の使用人を呼んで部屋の準備をさせる。
「鐘那は起きてますか?」
「ええ。私たちを警戒なさっているのでしょう、お気の立ったご様子でした」
「どうもご苦労をおかけしました……」
「いえ、お嬢様にあらかじめ言い含められていたことですので」
執事さんが会釈する。
アリスは、いきなり召喚される事態に備えて、数日までなら周囲を誤魔化せるよう準備をしていた。今回は召喚の現場に鐘那が居合わせるというハプニングがあったせいで、俺の方は誤魔化すことができなかったが。莉奈の家には、最低限の連絡が氷室家から行っているはずだ。ただ、当日になって急に女の子が外泊する、しかも当の本人が電話口に出ない、というのは、いくら理由を取り繕っても不自然さが残る。
「いっそ、今晩はこのお屋敷にお世話になりますか……。莉奈も疲れて、言い訳を考える余裕がありません……」
莉奈は問題を明日の自分にぶん投げることにしたらしい。
俺の方は……今からなんとか片付けるしかないな。
「じゃあ、執事さん。すみませんが、鐘那のところに連れて行ってください」
観念した俺は、妹の待つ部屋へと向かう。
「お兄ちゃん!」
部屋に入った途端、ソファから鐘那が飛び上がった。
「もう! いきなりどこ行っちゃったの!? 心配したんだから!」
「悪い。急なことだったんだよ」
「何日も帰らないみたいなことまで言うから、お母さんたちにどう説明しようってなったし……そんなに急にやらなくちゃいけなかったことって何なの?」
「それは……すまん。うまく説明できないんだ」
「氷室さんに口止めされてるの?」
「そういうわけじゃないんだが……」
ううむ。疲れと眠気で頭が回らない。疲労回復魔法を使っておけばよかったな。
鐘那の隣に、稲垣さんが立つ。
「色恋沙汰ってわけでもなさそうですね」
「いや、それは本当に違うって」
アリス、千草、莉奈の三択? とても俺が釣り合うような相手じゃない。いい意味でも悪い意味でも。
「お兄ちゃ……じゃなかった、兄貴」
「なんだ?」
「……何か厄介事に巻き込まれてるの? 氷室さんの家のごたごたとか」
鐘那が俺を心配そうに覗き込む。
「そうだな……そういうことにしておいてくれ」
鐘那が俺をじっと観察する。
それから、ため息をついて言った。
「……兄貴に話す気がないってことはわかったよ。でも、本当に大変なことになったら、ちゃんと話してよね?」
「もちろんだ」
とりあえずは矛を収めてくれたか。
「じゃあ、今日はもう寝よう。わたしもずっと待ってて疲れたし。兄貴もなんかすごく疲れて見えるよ?」
「ああ、すまん」
俺は一緒に寝るという鐘那と稲垣さんと別れ、用意してもらった部屋に入る。
風呂に入らなくちゃと思ったが、ベッドに横になるなり、強い眠気に襲われた。
眠気に抗うだけの気力はなく、俺はすぐに眠りへと落ちていった。
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