吾輩はかばんである

@usamax-2103

第1話

吾輩はかばんである。種族は知らない。どこで生まれたかとんと見当がつかぬ。何でも明るいかさかさした小麦色の草原で横たわっていたことは覚えている。吾輩はここで初めてフレンズというものを見た。なんでも後で聞くところによるとそれはサーバルというフレンズ中でもなかなか俊敏な種族であるそうだ。このサーバルというのは時々狩りごっこをするという話である。しかし最初、出会い頭に追われた時には何という考えもなかったからたのしーとは思わなかった。あちらは遊びのつもりだったのだろうが、こちらはただ生命の終焉を予期したばかりである。とうとう捕まり、満足げにこちらを見下ろしているその顔を見たのがいわゆるフレンズというものの見始めであろう。


草原で目を覚ましてからしばらくは不思議な心持にただ歩いておったが、眼前の木の上から何か落ちてきたと思うや否や、黄金色の何かがこちらに駆け迫ってきた。瞬時にそれが生きものであると気づくと同時に足が反対方向へと動いた。このケモノに捕まるのか自分が逃げ切るのか分らないが無暗に走る。吾輩は一体どこにいるのかと問う。己に課せられた不条理に疑問を呈する。胸が悪くなる。あちこちと方向を変え、ようやくのことで振り切り、近くの茂みに隠れ、くわばらくわばらと思っていると、どさりと音がして眼から火が出た。とっさの機転空しく上から飛び掛かられた。今思えば何とも失礼な話ではあるが、この後色々助けられたこともあるので深く責めないこととする。


取り押さえられしばらく絶望に浸っていたが、我に返り、必死の思いで「食べないでください!」と叫んだ。吾輩を救済する盟友など一人も見えぬ。天命を迎えるにはまだ早い、見ず知らずの処に放り出されいきなり食われるなぞ不条理だ、どうかこの哀れな命に情けをかけてくれまいか、とただ切望した。南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏。すると、上のケモノは驚いたような顔をして「食べないよ!」と叫び返してきた。そして吾輩から離れ、こちらを眺めるかたちで脇にちょこんと座った。


はてな何でも容子がおかしいと、起き上がってみると地面に打ち付けた体が少し痛む。どうやら吾輩は、残酷な結末から免れえたようである。しかしまたいつ飛び掛かられるか分かったものではないと警戒しながら、吾輩はその前に坐ってどうしたらよかろうと考えて見た。別にこれという分別も出ない。しばらく黙っていると、眼前の動物が話しかけてきた。


「ごめんね、わたし、狩りごっこが大好きで!あなた、あまり狩りごっこが好きじゃないケモノなんだね!」


幾分か平静を取り戻したものの、急な謝罪につき、返答に窮した。なんと答えるべきかと思案し、まごまごしていると、相手方も気まずくなったのか、同じようにまごまごし始めた。まごまご合戦の後に、吾輩はこのケモノを観察してみた。この時妙なものだと思った感じが今でも残っている。第一帽子をもって装飾されるべきはずの頭に尖った耳がついていて角のようだ。のみならず腰の付け根から突起しているものがある。そうしてその突起物がぴこぴこ動く。これが尻尾というものである事はようやくこの頃知った。その後フレンズにもだいぶ逢ったが、彼女ら曰く吾輩のように耳も羽も無い動物は見た事がないそうだ。どうも理解に苦しんだ。


こちらの視線に気づいたのか、元気になったのかと語りかけられた。いえ、はい、と生返事をしたあと、色々尋ねてみた。聞くところによると、名前はサーバルと言い、ここら草原を縄張りとしているのだそうだ。サーバルからも何のフレンズであるかと聞かれた。ただ、吾輩は吾輩について何も覚えていない。吾輩は吾輩である。この事を告げると、サーバルはこちらの身体をさぐってきた。だが、無論肩に羽は無いし、フードなるものも被っていない。背負っているものから、かばんと名付けられたが、何の手掛かりにもなり得ぬ。思案した挙句、としょかんなるところに行けば吾輩が何の動物か分かるだろうとのことである。途中まで案内すると言われたのでついていくことにした。彼女は歩いてる間にこの平野について教えてくれた。さばんなちほーと呼ばれ、サーバル以外にも種種雑多なフレンズがいるそうだ。なるほど、このだだ広い空間に我々二人しかいないというのはいささか道理に反するような心持がする。


平原の内は何不自由なく闊歩できた。だが歩を進めるうちに、足元で大きく口を開けた崖を下ったり、大川を跳躍せねばならなかったのには閉口した。智識は発達しているつもりだが腕力と勇気とに至っては到底サーバルの比較にはならないと覚悟はしていたものの、この状況に接したる時は、さすがに極まりが善くはなかった。崖底に辿り着く前に足が滑り尻ぺたを打ちつけ、決死の飛躍も岩前に潰え全身を水に浸す事となった。その点サーバルは存外気楽そうである。三度跳ねたかと思うともう真下にいる。自分の体長の二つ分はあろうかという幅をも易々と飛び越える。


己の鈍重さに幾許か辟易し、歩き疲れたので休息を所望していたところ、岩陰から何やら青い物体が現れた。球体の上部に三角形を二つ、下部に円錐を一つ、前面に目玉をくっつけたような、我々とは似ても似つかぬ容姿をしている。これもフレンズの一種だろうかと青い物体に声をかけてみる。途端に、前方を歩いていたサーバルが叫んだ。


「あ、だめ!それはセルリアンだよ!逃げて!」


その焦りと恐怖が入り混じったような表情に再度身の危険を悟り、一瞬のうちに逃走の構えに入った。したたかに打ち付け傷つき、清流から抜けだし、身体はさらに愚鈍になっている。疲労困憊し、もはや動く余力も無いだろうと思われたが、本能の赴くままこの不気味な青いものから離れようと立ち上がった。しかし、重苦しい手足を投げ出すように進んだが、歩きづらい地面に足をとらわれ転倒した。もう一度身体を打ちつけた衝撃から、もがきながらも死を覚悟していた。どたばたはこれぎりご免蒙るよ。吾輩は死ぬ。死んでこの太平を得る。太平は死ななければ得られぬ。南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏。ありがたいありがたい。


こちらに襲い掛かるために無防備だった背面から、サーバルが奇天烈な雄叫びと共にその爪をセルリアンの頭頂部に突き立てた。果してその動物はぐにゃりと凹んだ後に爆発四散した。危機は去った。サーバルのおかげで間一髪、一命を取り留めたようである。


「あれはセルリアンっていうんだ。ちょっと危ないから気をつけてね」

彼女が言った。そして

「でも、あれくらいのサイズなら自慢のツメでやっつけちゃうよ!」

と自慢げに続けた。


この言葉を聞いて、冷静さを取り戻した吾輩は自分がひどく拙悪劣等なもののように感ぜられた。吾輩は動きは大木が倒れるかのごとく鈍く、彼女のように軽やかな身のこなしなど到底望めそうもない木偶の坊である。かの怪物に立ち向かう勇気も破壊するだけの腕力も無い。この明白たる対比の前に己が誇るべきものなど何一つとして見当たらない。


「すごいですねサーバルさん、僕にはそんな力…普通に案内してもらうだけでこの感じだし…僕って相当駄目な動物だったんですね…」


そう呟くのが精いっぱいだった。己の無能さを恥じ、この先待ち受けるであろう過酷な境遇を想像せずにはいられなかった。恐らく先ほどの敵にこれからも遭遇することになる。その時何ができようか。逃げるにしてもこの肉体である。いかなる時も無傷でいるとは限らない。先のようなこともあろう。もしサーバルがいなかったらどうだっただろう。今頃太平の世を彷徨い、一つこの世に残された肉はセルリアンの食物となっていた。思うに能力を持たざるものは生きてはいかれないというのが真理である。もう何もかもに絶望した。


かくのごとく陰鬱なる感情に染まっていたが、サーバルは吾輩の呟きにこう答えた。

「だいじょうぶだよ。わたしだってみんなからよくドジとか全然弱いとか言われるもん!それに、かばんちゃんはすっごい頑張り屋だから、きっとすぐ何が得意か分かるよ!」

そう言いながら彼女は手を差し伸べてきた。その目には純粋なる期待の感情が浮かんでいた。


その刹那、いたく救われたように感じた。こちらを見つめる眼差しは立ち込める暗雲を割って差し込む一条の光であると、そんな心持がした。厳然たる事実に照らせばかくの如き文言は単なる気休めでしかない。何か新しい力を得たわけでもなければ、天敵が絶滅したわけでもない。それでもその言葉にすがった。少しでも陰気が晴れるような気がした。生きる希望とは今伸ばされている彼女の手先から得られるものかも知れぬ。そう信じた吾輩は眼前の手を取り、引き上げてもらうことを決意した。死して平穏を得ようとは軽薄浅短な考えである。生きて得なければならぬ。生命の琴線が切れる最後の一瞬までそれを掴もうと手を伸ばし続けなければならぬ。伸ばさなければ得られない。


立ち上がるころには大分晴天になった。吾輩がいかなる種族であり、何が得意であるのか、探さねばならぬ。まだ黄金色に染まるさばんなちほーすら出ていない。としょかんはまだ先である。まずは歩こう。サーバルを頼ることもあろうが、歩き続けよう。南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏。ありがたいありがたい。

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