第8話 大五郎の秘密

僕は、畑から30メートルほど離れた場所にある、小屋にしずくさんを案内した。

「ここだよ」そう言って、僕は扉をガチャっと開けた。


昨日までと変わらず、ズラっと本棚が並んでいる。

「うわ、ノートがいっぱい並んでる」

どうやら、しずくさんは、紙の本を本だと認識できないようだ。

僕は、本棚から1冊を適当に取り出した。


「あれ、これ『100万回生きたねこ』じゃない!」

「知ってるの?」

「私も買ったことがあるわ。昨日までスマホに入っていたわ。あっ」


そう言いながら、彼女はスマホを僕に手渡した。

「これ、大五郎専用のスマホね。彼が昨日命がけで用意してくれたのよ」

ーそうか、僕のスマホはもう使えないし。

「ありがとう」そう言って受け取った。彼女の手は冷たい。


「あ、寒い?」

「ううん、大丈夫。楽しいから、寒いこと忘れていたわ。

 それにしても、21世紀はすごいものを売っていたのね」

「僕からすれば、紙の本が売っていないことのほうが信じられないよ」


彼女はきままに書棚をあちこちまわり、本を開いては閉じ、開いては閉じていた。

僕は、中央にある4人がけの椅子に座り、1冊の本を読み始めた。


しばらくすると10冊ほど本を不安定に積み上げながら歩いてきた。

「わ!」彼女はバランスを崩したのかよろめいた。

「あぶない!」僕は、素早く走り寄って、落ちてくる彼女を抱きかかえた。


本は四方八方に飛び散った。


ーわ、よく見たら、めちゃくちゃ可愛い。チャイナドレスもかわいいし…。


「きゃっ」彼女が軽く叫び両手で目をおおった。

「あ、ごめんごめん!」パッと彼女から離れた。

ー駄目だ、しずくさんは婚約者がいる身だ。よこしまな考えを持ったら駄目だ。


「もう、お父さん以外の男の人とこんなに近づいたのは初めてよ」

「ふぁっ?!」


彼女はそう言って、顔を真赤にしながら、本を拾い始めた。

ーう、うそだろ…。


「え、婚約者の方とは何もしていないの?」

「あなた、何言ってるの? 婚約していたとしても結婚しているわけじゃないのよ」

「あ、いや…」

なんかすごい…。22世紀の男女の恋愛事情も調べてみたいものである。


彼女が持ってきた本は「日本の歴史」シリーズの漫画だった。

「ねえ、こんなのさ、見たことがなかったわ。大興奮よ!」

彼女の目はキラキラと輝いていた。


「え、日本の歴史って、学校で習うでしょう」

「もちろん、習うけど、さっきざっと見たところ、私が習ってきたものとは少し違うわ」


しずくさんの話によると、例えば、ポツダム宣言を受け入れたことは日本の最大の過ちで、その結果70年以上戦争を放棄しまうという失策につながったと書かれているという。

現在は、国防省管轄の軍隊が国を守っており、核開発もさかんに行われているとのことだった。


「なんか、日本ってマジでヤバイ国になってるんだね」

「そうね…」しばらく気まずい沈黙が流れた。


はぁー…。彼女が両手に息をふきかけた。

「あ、やっぱり寒いよね」

「うん、でももう少し居させて」


そう言って、彼女はまた本棚のほうへと歩き始めた。

「あ、そっちは…」

彼女は、とうとう行ってほしくない方向に向かっている。

僕は、あわてて彼女の方へと走った。


「え、ちょっと。これすごい!」

彼女が持ってきたものは、一番見せたくないものだった。

それは、数十冊にもおよぶスケッチブックのうちの1冊だった。

ーああ、やはり先に始末してから、彼女をここに入れるべきだった。


「写真みたいだけど、これは絵だよね」

彼女が見せたのは、女性が玉ねぎを切っている白黒の絵だった。

「ねえ、『青山純一郎』ってサインがしてあるけど。これあなたが描いたの?」

「…そうだよ」


僕は、なんとか笑顔で答えた。多分ちゃんと笑えていない。


「これ、鉛筆で描いたんじゃないの?」

「ああ」

「だから、鉛筆がいっぱい引き出しにあったんだね」

しずくさんは、嬉しそうにしている。



「大五郎、すごく絵がうまいのね!」

「ありがとう。でも、もう絵は描いていないんだ」

「えー、もったいない。描いているところ見たい!」

「もう、絵は描かないって決めているんだ」

「じゃあ、どうして鉛筆をたくさん引き出しに入れていたの?」

「ほっといてくれ!」


僕はついに気持ちが限界に達した。これ以上、しずくさんにも踏み込まれたくない。


「ごめんなさい。怒らせるつもりはなかったの」

しずくさんは、すぐに謝った。

「僕の方こそ、感情的になってしまってごめん」

僕たちは、これ以上絵の話をすることをやめた。


「そうだ、もう鉛筆は全部必要な人にあげよう。僕が持っているよりずっといい」

「でも…」

「いいんだ。もう。それにずっと引き出しに入れたままだった鉛筆が世の中のために使われることがとても嬉しいんだ」

それは、心からの気持ちだった。僕には鉛筆を使う資格がないからだ。


「大五郎、ありがとう。それじゃ、これから鉛筆作戦会議をしよう。

 あのさ、私ここに来て、本を読みたくなったときに、読みに来てもいい?」

「もちろんさ。カフェに持ってきてもいいから」

「わー、ありがとう! それじゃ、これから会議よ」


自分が手放したはずの鉛筆が、大きな役目を果たそうとしている。

人生とは、本当に一寸先は全くわからないものなのだ。

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