指名②

「ききましたよ。また、縁談を断ったそうですね」

 なぜ、この男は顔を見たくないときに限って現れるのか。

 シオンは心中で嘆息する。そもそも言う相手を間違っている。婚儀を早く進めるべきなのは、シオンではなくスオウだ。

「カンナの嘆く顔が浮かびます。姫もそろそろ大人になるべきだ。あまり側女を困らせるものではありませんよ」

「うるさいな」

 説教ならきき飽きている。無視して進みたいが、宰相は道を譲る気はないらしい。

「まあ、あなたは好きになさったら良い。しかし、彼はそうもいくまい」

 シオンはケイトウをめつける。宰相の言わんとすることに気が付かないほど子どもじゃない。そういえば、半年くらい前にシュロもおなじような言葉を残していった。あれは、スオウがひさしぶりにイスカの王城に戻った日だった。

「あなたの拾った子どもは、イスカに必要な男となりましたね」

「……何が言いたい?」

「おや? 姫はまだ知らないので?」

 シオンは舌打ちをする。宰相のくせに無聊ぶりょうを持て余しているのか。与太話に付き合うつもりはない。

「我が君は、次の後継者に彼を選びましたよ」

「なん、だと……?」

 信じられないものを見たときの顔をするシオンに対して、ケイトウは余裕の表情だ。イスカの王は世襲制ではない。シオンの父――、いまの獅子王もその力で玉座を奪い取った男だ。その前はどうだったのだろうか。たしか、前の王が次の王を指名した。そうして引き継がれることもあるのだと、側女が教えてくれた。

 とはいえ、まだ早いのではないか。

 シオンは口のなかでつぶやく。獅子王は四十代である。他の国と比べてイスカの人間の寿命はやや短いのは、イスカの過酷な環境は徐々に肉体を蝕むからだ。それに、隣国ウルーグのように、イスカには魔術を使えるような人間がいなかった。

 怪我をすれば、死ぬ。それが現実だ。

「父は、いや……獅子王は」

「安心なさい。我が君はどこも患ってなどおりません」

 シオンは途中で声を止める。最後に父に会ったのはいつだったか覚えていない。獅子王に最も近しいのはこのケイトウだ。その言葉を、信用はできる。

「姫は不服に思っているようですね」

「そんなことは、」

 ない、と言い切れるだろうか。たしかに驚きはした。だが獅子王は気まぐれで、近臣たちに相談もなく物を進める。時として宰相は注進するだろう。とはいえ、押し切ってしまうのがいまの獅子王だ。

 シオンは回廊の真ん中で立ち尽くしていた。さっさと立ち去りたかったのに、どこに向かうつもりだったのかも忘れてしまった。

「良いことを教えてあげましょう。姫、その感情は妬心としんというものです」

 目の縁が熱くなったのは怒りのせいだ。やはり、この男は好きになれない。人の心のなかを無遠慮に踏み込んでくる。

 シオンは宰相を押しのけて、回廊をあとにする。一人残されたケイトウは誰にきかせるわけでもなく、つぶやいた。

「されど、それが人を強くする。その強さとは、揺るぎのない信念へと変わるからだ」










 あたたかな春の季節も、イスカにとってはわずかな期間である。

 夏が来る前に婚礼の儀式をするつもりだったのだろう。しかし、シオンはすべての縁談を断ってしまった。

 今日もカンナの悲鳴が回廊に響き渡っている。宰相のケイトウには呆れられ、弟のエンジュに姉者に結婚は無理だなどと言われても、シオンの首が縦に振られることはなかった。スオウは無言を保っている。父である獅子王も同様に。

 シオンは父王の声を待っているというのに、一向に何も言ってこないままだ。

 娘として愛されているのかどうか。そんなものはどうだっていい。ただ、ひとりの戦士として、この王城に留まり獅子王の傍にいたいだけなのだ。

 それも女という性別が妨げとなっていた。王の傍らに立つには女は許されていない。許されるとすれば侍女か側女くらいだ。そんなものに収まるつもりはない。シオンは口のなかで言う。

 そしてそれは、スオウもおなじだった。

 縁談の話はスオウにだって来ている。されども、スオウはいい返事をしないのだ。自分の出自を気にしているのかもしれないし、自分にはその資格がないのだと思っているのかもしれない。いまのスオウはその働きを認められ、将軍の位を与えられるくらいだというのに、本人は固辞するばかりだった。

「なんで断った」

 イスカの王城に戻って来てからというもの、シオンはほとんどスオウに会っていない。

 もう半年もすればスオウは成人を迎える。一人前の戦士となった彼は少年たちを戦士に育てるのに忙しく、相変わらずエンジュに付き纏われている。宰相もたびたびスオウを呼び出しては、あれこれと仕事を押しつける。スオウが多忙なことは知っているが、シオンは自分が故意に避けられているような気がしてならない。

「急にどうしたんだ? おれはこれまでだって、」

「あの娘は特別だ。宰相の姪だからな。断ればどうなるかくらい、お前だってわかっていたはずだ」

 詰問に対して、スオウは苦笑する。

「知っている」

「あの娘がお前に惚れていることもか?」

「それも、知っている」

 なら、どうして? そうつづけようとして、シオンは声を途中で止めた。惚れた女でもいるんじゃないか。シュロが残した声が蘇った。

 スオウの視線はすぐにシオンから外れてしまった。さっさと立ち去りたい。そんな顔をしている。

 そうはいかない。やっと捕まえたのに逃がすつもりなどない。シオンはスオウの前に立ちはだかる。

「おれは器じゃない」

 殴りかかろうとして、寸前で止めた。こいつを殴ったところで手が痛いだけだ。スオウは殴られる前からもっと辛そうな目をしている。

「……辞退する気じゃないだろうな?」

「まさか」

 力なく笑うスオウにシオンはほんのすこし同情する。断れば、もうスオウはここには居られない。

「おれは、お前に拾われたから、生きている。カンナとシュロ、それに宰相と獅子王にも、おなじくらい恩義を感じている」

「そんなものはいい。忘れてしまえ」

「そういうわけにはいかない」

 素直で正直で、それから馬鹿な奴だ。シオンは口のなかでそう罵る。

 戦士にするにはまだ幼い少年がスオウを呼びに来た。仕方なくシオンは道を譲った。

「お前たちは見ているだけで苛々するな」

「……何をしに来た?」

 シュロだ。いつのまに来ていたのだろう。シオンは幼なじみを睨めつける。

「おいおい、ずいぶんな言葉だな。俺を追いかけ回していたのはお前だろう?」

「いつの話だ? だいたい、お前は私の相手などろくにしなかっただろうが」

「女と子どもの相手はしないんだよ」

 怒る気にもならない。八人の父親になったシュロだ。説教はカンナの次にうるさい。

「俺のところへ来い」

 シオンは目をみはった。さっきまで笑っていたシュロは急に真顔になった。

「お前はここにいては腐るばかりだ。もっと広いせかいを見ろ」

 だんまりを決め込んだシオンにシュロはつづける。

「女は王にはなれない。お前の望むものは一生手に入らない」

 怒りは感じなかった。シオン自身、よく理解していたからだ。

めかけになれというのか?」

「正妻の座は空けてある。お前がそこに収まる」

「たいして変わりはしない。私にただの女になれというのか? 妻となり、母となり、それで何が残る?」

 シオンは母を想う。身体が強く、たくましいひとだった。やさしさよりも強さの方をよく覚えている。女でなければ獅子王の片腕として名を馳せたであろう。

 その母が、エンジュを産んだのちに死んだ。産後の肥立ちがよくなかったというが、シオンの記憶のなかの母はいつまでも強い人のままだ。あんな風にあっさりと死んでしまったことが認められないからこそ、自身もおなじようになってしまうのはごめんだった。

「私は、獅子の傍らにあることを望んでいる。ただ、それだけだ」

 シュロは肩を竦めた。それが軽蔑であったのか、諦めであったのか。おそらくはその両方だろうと、シオンは思った。

「お前はそれが意味していることを、本当にわかっているのか?」

 ちがう、そうじゃない。けれども上手い言葉が見つからずにシオンはずっと黙り込んでいる。先にため息を吐いたのはシュロだ。

「あれは優しすぎる。王には向かない」

 シオンもおなじことを思った。だが、声には出さなかった。

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