第20話
「ボクはドラングの最終的な目的は穀物業界の支配にあると思っています」
まずブラングリュード商会の買収を計ったのは、穀物業界への橋頭堡を築くためだろう。国内で十指に入るような規模の商会であり、支配人が亡くなってまだ十代の娘が跡を継いだばかりとあれば、買収の絶好のターゲットである。
だが、それだけでは所詮、商会をひとつ傘下におさめただけである。穀物業界にはブラングリュード商会以外にも、まだ有力な商人がいるのだ。
そこで小麦相場に暴落を仕掛ける。どの穀物商にとっても小麦は主力商品であり、価格が大暴落ともなれば、経営に大きな痛手を受けるだろう。
だがいくらリンハラ成金のドラングとはいえ、一商会が単純に資金力でもって暴落を仕掛けられるほど、先物市場は甘くない。それこそあまり評判のよくないドラング商会である。逆にドラングが売り浴びせられる以上の資金でもって先物買いを行われれば、値段は上がり目的が達成できないどころか、ドラングは大損してしまうのだ。
ならば皆が自主的に売りに走る出来事を作ればいい。そこでリンハラで大量に小麦を仕入れ、密かに輸入する。多少、見せ方も工夫する必要があるが、新聞記者を集めて大々的に発表をすればいい。その際に恒常的に輸入を行うとでも言えばいいのだ。
ただでさえ、豊作の予想な上にリンハラからの輸入が上乗せされれば、市場への心理状態に大きな影響を与えるだろう。そうなれば比較的、安い水準にある小麦の価格は、一時的に暴落する。
その一方でドラング商会は、予め先物市場でほぼ同量の小麦を売っておけば、大きく損をすることはない。場合によっては輸入分の小麦を先物売りの現物に当ててもいい。
「どうでしょうか?」
グツグツと頭の中で煮詰まっていた物を吐き出すように、一気に予測を述べる。
しかし、アルフィアとマノはボクが何を言っているのかよくわからなかったようで、ポカンとした表情で見詰めるばかりだった。
「ごめんなさい。私はあまり先物市場のことはわからないのです」
申し訳なさそうにアルフィアが謝る。
助けを求めるように老執事の視線を向けると、こちらはどうやら理解してくれたようだった。
「わかります。ですが――」
だがフルッツは異議を唱えた。
「最大の問題はリンハラで小麦がどれだけ調達できるかと言うことです。少なくとも私の知っている範囲ではほとんど不可能なはずです。我が国の植民地はリンハラの南部が中心ですが、リンハラでは小麦は主に北部の山岳地帯に近い地方で作られており、南部での生産の主流は小麦ではなく米です。リルケットさまは以前、お父さまのお仕事でリンハラに渡られていたそうですから、ご存じかと思いますが」
「それは、確かに――」
父の赴任先のファズールはリンハラの南東部にあり、そこでは常に主食は米であった。ボクたち家族は皆、現地の食べ物にすぐに慣れたからよかったものの、順応性が低い人は大変だった。駐屯地では主に米や豆が主食であったが、馴染めない人々用に小麦やパンも用意されていた。それも情勢が悪化しリンハラ植民地内の交通が分断されるに従って、本国からの輸送に頼らざるを得ない状況になっていたし、一時はそれすらも不足しがちであった。
現在でもリンハラの状況はあまり好転しているとはいえないだろう。そんな状態でドラング商会がどれだけ現地で小麦を集められるかは疑問である。
だが、ボクは確かに見たはずだ。
「子供の頃に見たんです、小麦畑を」
「本当ですか」
「ええ。印象的な出来事が絡んでいたから、今でも時々夢に見るんですよ。フルッツさん、信じてもらえますか?」
「わかりました、信じます」
フルッツは大きくうなずいた。
「それではちょっとお尋ねいたしますが、リルケットさまが小麦畑を見られたのは、お幾つの頃で、どこの州だったか覚えていらっしゃいますか?」
「十四歳だと思います。場所はおそらくハジャール州です。母が死んですぐのことでしたから、まず間違いないはずです」
そのとき、初めて父に連れられて他の州へ行ったのだ。そこで父が営舎で帳簿を受け取る手続きをしている間、ボクは退屈しのぎに、近くの路上に商品をひろげて商いをしている現地人の店を眺めていた。
そこで売られていた小さな赤い宝石に、その当時のボクは目を惹かれた。今にして思えば、ルビーと呼ぶには少々、問題のある粗悪な品だったかもしれない。だが、当時のボクには、その石はとても美しい物に見えたのだ。
「なんだ君。これが欲しいのか?」
たまたま先に外に出てきた父の同僚が笑顔で訊ねた。
ボクが肯くと、彼はボクの肩を強く叩いた。
「じゃあオジさんが買ってやろうか」
「でも、高いよ」
すると彼は大きな声で笑った。
「たいした価値の物じゃないんだ。まあ見てな」
そして路上に座り込んでいた男の元に近づくと、現地の言葉でなにやら話し込み始めた。時折、両者とも手振り身振りを交えての会話は、やがて次第に激しさを増した。これは暴力沙汰になるのではないだろうかと心配し始めたとき、急に両者は握手をしたのである。
「ほら、十分の一に値切ったぞ」
硬貨を渡して商品を引き取ると、彼はボクに無造作に宝石を手渡した。
このとき、ボクは赤い宝石が手に入ったことが嬉しくて彼の名前を聞くのを忘れてしまったのだ。その後、父が営舎から出てきて、事情を知って彼に礼を言っていたのだが、彼は何でもないとばかりに先に歩いていった。
名前を聴きそびれた後悔とともに、このときのことはよく記憶しているし、逆にそのときの帰り道で見た小麦畑の風景も、持っていた赤い宝石に重なってよく覚えているのだった。
「ありがとうございます。では調べ物をしてまいりますので、しばらくお待ちいただけますか」
フルッツの声にボクは現実に引き戻された。リンハラの思い出はいつも思いを沈ませる。
ええ、とまだぼんやりとした返事をしたボクに一礼し、階段へと向かったフルッツだったが、不意に脚を止めて振り返った。
「お嬢さま、いつまでもここでお話ししていてはリルケットさまに失礼かと存じます。マノ、応接室にご案内して差し上げなさい」
そう言い残すと、少し軽い足取りで階段を登り始めた。
金貨と銀貨の感情論 白町弱夏 @jacca
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