021

 デートの締めくくりとして、ディナーにはレストランはやしやへやって来た。チョットした夜景が見られる窓際の席へ。やはりここのオムハヤシは絶品だ。

 しかし、せっかくの美味しい食事なのに、平坂は何だか味を感じなかった。

 それというのも、きっと気がかりがあるせいだろう。

 考えれば考えるほど、プロファイリングした〈人形つかい〉の人物像と、大江が重なって見えてしまうのだ。

 地方から上京した大学生。〈ヘッジ〉ではなく〈M.I.N.O.S.〉にも未登録。人形のように感情がおもてへ出ない女性を好む。今の社会から疎外感を覚えているが、それは口が上手い秩序型としてのタチを活かせないから。

 何から何までピタリとあてはまる。まるで大江こそが〈人形つかい〉であるかのように。

 むろん、たとえ彼女のプロファイリングが正確だとしても、それと一致する大江がかならずしも犯人だとはかぎらない。だいたい根拠もなく恋人を疑うなんて、ひととして最低だ。

 しかし、何度打ち消そうとしても考えてしまう。

 食があまり進んでいないのを見て、大江は心配そうに、「気分でも悪いんですか?」

「――う、ううん。違うの。今日のデートが楽しくて、人生サイコーの日だったから、なんだか胸がいっぱいで」

「そうですか。それならよかったですけど……」

「今日1日過ごして思ったけど、アタシたち、相性バツグンだと思うの。これならきっと上手くやっていけるわ」

「――相性っていうのは、カラダの相性も?」大江は平坂の手を握った。

「あっ――」思っていたよりも大きな手。温かくて、力強い。

 クルマのヘッドライトの反射がビルの5階まで届いて、大江の顔を照らし出す。その表情には、なけなしの勇気に混じってわずかな照れが見える。

「もし僕が、今夜は帰したくないって言ったら、平坂さんは困りますか?」

 アタマのなかがグチャグチャで、今夜は正直そんな気分にはなれなかった。

 けれども、もしここで拒絶してしまったら、おのれのなかの疑念を肯定してしまう気がして。

 恋するオトメとして、それだけはどうしてもできなかった。

「……ヘーキだよ。困るコトなんてあるワケない。何だかフシギなの。キミが好き。大好き。まだ出会って間もないのに、どうしてだろう? まるで運命の赤い糸で結ばれていたみたいに」

 いいや、そうじゃない――と、プロファイラーとしての自分が、脳裏で警鐘を鳴らしている。プロファイリングの過程で、〈人形つかい〉の精神と不必要に同調しすぎてしまったのだ。そのせいで水面に映るおのれの姿を見るように、過度な親しみを覚えてしまっているだけだ。

 それをさらに強く否定して、平坂は大江の手を握り返した。

「じゃア、そろそろ行きましょうか」

「うん。――あ、チョット待って。クスリ飲んでおかないと」平坂はピローケースから例の胃腸薬を取り出した。「すみません! お水ください!」

 大江は怪訝そうに、「昼のときも気になったんですけど、それってどういうクスリなんですか?」

「コレ? 再生治療で臓器を入れ替えた話はしたでしょ? それにずっと寝たきりで食事してなかったし。そろそろ飲まなくても問題ないらしいんだけど、もうしばらくは一応大事を取って、ね。下痢したくないし」

「チョット見せてもらっても?」

「べつにいいけど……」

 手渡した錠剤を、大江は真剣なまなざしで見つめる。その表情に平坂は思わず惚れなおしそうになった。

「……違う。コレは胃腸薬じゃアない」

「エッ? じゃア何のクスリ?」

「卒論で資料を調べてたときに、たまたまこの錠剤の写真を見たコトあるんです。――シクロスポリンZ、免疫抑制剤ですよコレは」

「免疫抑制剤?」

「臓器移植を受けたあと、拒絶反応を抑えるための薬剤です。免疫を抑えるっていう性質上、本来の副作用とは別に、感染症に罹りやすくなるリスクが昔はあったんですが、このシクロスポリンZは拒絶反応だけを特異的に抑制しつつ、副作用もかぎりなくゼロにした、当時は画期的なシロモノだったとか。ただ、現在は自分自身の培養臓器を移植するのが主流なので、この薬剤に頼る必要はなくなったワケなんですが。確か平坂さんのばあいも再生治療を受けたハズですよね? 明日にでも、主治医の先生にチャント確認したほうがいいですよ。何かの間違いかもしれないですし。まァ初期のシクロスポリンAとかと違って、この薬剤は健康なひとが飲んでもほとんど影響はないハズですから、そこは安心してください。――って、すみません。なんかシロートが偉そうに。……平坂さん?」

「……うん。そうね。明日、確認してみる」

「やっぱり、今夜はやめておきますか?」

「なに、怖気づいちゃった?」

「そんなコトは――」

「だったら、そういうつまらない気づかいはやめて。オンナに恥をかかせるつもり?」

 ふたりはレストランを出ると、仲よく手をつないだまま歌舞伎町のホテルヘ直行した。

 順番にシャワーを浴びてベッドの上、おたがい生まれたままの姿で向かい合う。

 いや、平坂のほうは生まれたままとは言いがたい。そのカラダじゅうには、痛々しい縫い目が走っているのだから。

「灯りは点けたままでいいですか? あなたの美しいカラダを、もっとよく見せて」

「ウソ。美しいなんて、そんな。こんなキズモノのカラダなんて。こんなコトなら、早く消してもらうんだった」

「ウソじゃないです。ああ、ホントに綺麗だ――」大江は縫い目に沿って舌を這わせる。ラクガキの線路で列車のオモチャを走らせる子供みたいに。足の先からゆっくりと上っていき、顔のほうまで。終点で折り返して今度は腕へと。しつこいくらい何度も往復した。

 そのあいだ、平坂は結局うわの空だった。セックスに集中したくても、ふたつの考えが堂々めぐりしてしまって。大江の正体が〈人形つかい〉ではないかというコトと、なぜ饗庭が免疫抑制剤を胃腸薬と偽っていたのかというコト。

 いざ本番が始まっても、どこか感覚が鈍くて、まるでカラダから離脱しているかのような気分だった。全然キモチよくなれない。

 もっとも、されるがままで無反応な平坂に対して、大江はむしろ興奮しているようだが。

「――ああ、すごい。ああっ! コレは、ホントに、ステキだ。マジでヤバイ。こんなのはじめて。ダメだ。言葉にならないくらいイイ。言葉にしようとしても、快感の波に流されて、砂上の楼閣のように崩れ去ってしまう。だけど、ああ、だけど僕は、コレを言葉にしなきゃ。この感情を、この快感を、この天にも昇るようなキモチを、言葉にしなきゃアならない。平坂さん。らいかう、らいかう! あなたの、ぬけがらのような、死体のような、人形のような、反応のなさ。抵抗のなさ。彫像のように固まっていて。しかし、僕はチャント知ってる。その鉄面皮の裏に、心が宿っているコトを。感情が煮えたぎっているコトを。あなたは人形だ。僕の生きた人形。そう、僕だけのガラテア――ハァ、ハァ、ハァ。キューピッドの矢で目をつぶされて、もう何も見えない。あなた以外には何も。目に入らない。僕はこれから、あなただけを見続けよう。ほかには何もいらない。あなたがそばにいてくれれば、それだけでイイ。――ああ、ダメだ。もう終わりが近づいている。最高潮まで高ぶっている。その瞬間は至高の快楽に違いないのだけれど、同時にこのすばらしい時間が終わってしまう。イヤだ。だけど、止まらない。止まらないよ。ああ、終わる。終わりが来る。そんなけなげに絞めつけられたら、僕は、もう、うあ、あ、あ、あ――アッー!」

 熱く燃えたぎる精が、体内にほとばしるのを感じる。それで平坂は、大切な時間が終わってしまったコトに気がついた。

 顔にはまったく出なかったし、涙も流れなかったが、そのとき彼女は間違いなく、後悔で泣いたのだった。

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