020
本屋を出ると、今度は平坂の要望で服を買いに行った。去年オープンしたばかりの、ファッションセンターしまむら歌舞伎町店へ。
そこで平坂は、大江を着せ替え人形にして遊んだ。「こういうフォーマルなテイストの服も似合うんじゃない? あっ、こっちのジャケットも似合いそうね。うーん、悩むなァ……よし、全部買おう」
「エッ? またですか? さすがに申し訳ないですって」
「いいから遠慮しないで。アタシが大江くんに着てほしい服を買うんだから」
彼は何やらフクザツそうな表情を浮かべていたが、嫌がっているワケではないカンジだったので、かまわずアレコレ試着させていった。
「やっぱり僕ばっか買ってもらうのは悪いですよ。僕からも何かプレゼントさせてください」
「そんな、気にしなくていいのに」
「いえ! ぜひ贈らせてください。服でいいですよね?」
「いやホント、気にしなくていいから」
「“あなたは私に一つのタオンガを贈る。私はそれを第三者に贈る。その第三者は別のタオンガを私に返す。彼は私の贈り物のハウによってそうせざるを得ないからである。そして私もそれをあなたに贈らなければならない。というのも、あなたのタオンガのハウが実際に生み出したものを、あなたにお返しする必要があるからである”」
「マルセル・モース?」
「そうです。『贈与論』を知ってるならわかりますよね。お返しできないままだとこっちは気分が悪いんですよ。お願いだから、僕を助けると思って受け取ってください。あと、これはなるべく言いたくなかったんですが……正直、平坂さんのファッションセンスは若干古臭いというか、いっしょに歩いてて恥ずかしいというか」
「エッ! そうなの? ヤダなァもう、そういうコトは早く言ってよォ――」
平坂と歩くのが恥ずかしいというのは、口ぶりからして単なる言葉のアヤなのだろうが、そうまで言われてしまっては、いいかげん拒み続けるのも無粋だ。
ふたりは婦人服のコーナーへ移動した。そして大江からオススメの服をいくつか手に、試着室へ。
「……ねえコレ、いくらんでも露出度高すぎじゃない?」
「いやいや、最近はこのくらいがフツーなんですよ」
「でも、さすがにローライズすぎるというか、ほとんどギリギリでパンツとか見えちゃいそうっていうか、年齢的にもかなりギリギリっていうか……」
「ああ、そっか。下着も合ってるのじゃないとハミ出しちゃいますね。チョット待っててください」そう言って大江は売り場に戻り、新たに持ってきたものをわたしてきた。「――ハイ。コレを着けてください」
「いや、着けるって――何コレ?」
「何って、知らないんですか? ヌーブラとヌーパンですよ。50年以上前から存在するハズですけど」
ヌーブラは知っていたが、ヌーパンは彼女も初耳だった。いったいどうやって装着すればいいのだろうか? 貼ればいいのだろうか?
悪戦苦闘しているうちに、どうにかそれっぽく着用できた。そして服も身につける。肌のあちこちで直接風を感じて、何だから頼りない。これなら水着のほうがマシだ。
恥ずかしすぎて死にそうだったが、平坂は意を決して試着室のカーテンを開けた。「ど、どう? 似合ってる?」
すると大江は感極まった様子で、目じりにうっすら涙すらうかべ、「イイですね――すごく、イイ――ボッティチェッリの絵に出てくる女神みたいです――」
「それ、ハダカ同然って意味じゃなくて?」
「もうサイコーです。ほれなおしました。僕と結婚してください」
「ダーメ。小説家になれたらって約束でしょ? 自分から言い出したんだから、チャント守ってよね――」
そのとき、せっかくのイイ雰囲気をぶち壊すように、なんと装着の甘かったヌーパンが床へ落下してしまった。
平坂は大慌てでヌーパンを拾い上げ、取りつけなおそうとしたが、スカートに手を突ッ込むガニ股の不格好な姿を、大江にバッチリ見られているコトに気づいた。
大江は気まずそうに、「いや、その、なんていうか……白いフトモモが、目に毒ですね……」
流れよわが涙、と女刑事は言った。しかし感情とは裏腹に、彼女の鉄面皮はこゆるぎもしないのであった。
結局、大江にはヌーブラとヌーパンだけ買ってもらうコトにした。彼女にあの未来ファッションはまだ早すぎた。とりあえず下着から慣れなければ。
会計のさい、大江がサイフを取り出して日本円の紙幣で支払っているのに、平坂は気づいた。「アレ? もしかして大江くん、〈M.I.N.O.S.〉に登録してないの?」
「ああ、僕は〈ヘッジ〉じゃないので。高校まではずっと田舎暮らしだったから、必要なかったですし。この歳になって今さら登録する気にもなれないっていうか」
「でも、登録しないと就職できないって聞いたわ」
「確かにそうですけど、小説家になるには関係ありませんから」
「フーン……」
楽しかった時間に、暗雲が立ち込めはじめた。
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