第二章 獣の宣告③



「死にたくなけりゃ、黙って俺にキスされときゃいいんだよ」


 眼前にある彼の唇が、当然とばかりに言い放った。暴言に、頭が真っ白になる。


「なん――」

「他に助かる方法がねえんだから、さっさと諦めろ。さっきだって俺の魔力を欲しがって、人前であれだけがっついたくせに」

「……それはっ」


 ――体が無意識に反応しただけ……それだけよ!


 再び張り倒そうと手を振り上げたが、すぐに手首を掴まれる。

 頬がますます赤く染まった。

 アルヴァンの尾が、ふわりと持ち上がってリディを馬鹿にするように揺れる。


「離して!」


 空いている左手で、どんどんとアルヴァンの胸を叩くが、ちっとも効果はない。

 怒りの形相で立ち上がったレオンが、リディを引き剥がそうとアルヴァンの腕を掴む。


「貴様! 言わせておけば」

「はっ、どうせお前にもできねえんだろ。能無しは黙ってろ」

「能無し、だと……!?」


 レオンからじわりと熱気が漂ってくる。魔法を使う気だ、とリディは直観した。


 ――この二人が争ったら、内密にするどころじゃないわ!


「他にできる者はいないの!? 魔法士なら、宮廷にもたくさんいるでしょう!?」


 リディは、事の成り行きを困惑顔で見守っていた魔法士たちを鋭い眼光で射竦める。 

 彼らはその場に硬直し、たどたどしく答えた。


「ですが、その、前例がありませんし……ライオール人で、彼と……同じようなことができる者がいるとは、その、とても……」

「気に食わねえな。俺とキスするのがそんなに嫌なのかよ」


 段々と消え入る魔法士たちの言葉に被せるように、アルヴァンが不貞腐れた声を上げる。リディはレオンの助力を借りてアルヴァンの手を振り解きながら言い放った。


「当たり前でしょう! 貴方みたいに失礼で野蛮な人、本当なら死んでも願い下げだわ」

「はあ!? 助けてやったってのに、大概馬鹿にしやがって……!」

「大体、本当に私を生かし続けられるだけの魔力を貴方が持っているのか、確証がないわ。噂は尾ひれがついただけで、本人の実力とはかけ離れているのではないの?」

「この程度の魔力を差っ引かれたって、俺にとっては痛くも痒くもねえ。ったく、これだから魔力も感じ取れないような役立たずは――」

「役立たずですって!?」


 ――よりによって、一番言われたくないことをっ!


「……どれくらいの頻度で魔力を補充すればいいんだね?」


 半狂乱一歩手前のリディと苛立たしげなアルヴァンの顔を見ながら、ゼアがため息交じりに言った。


「試してみないとわからねえが――まあ、最低一日一回ってところか」

「一日、一回って……」


 リディは茫然とアルヴァンの言葉を反復しながら、事実を噛み締める。

 死にたくなければ毎日彼とキスをしなければいけないという事実を。


 ゼアは、すっかり顔を青くしたリディを見ながら声を絞り出す。


「現状では君に娘の延命を頼むしかない。といっても、国王が闇魔法士に依頼を出したと知れたら、それだけで醜聞だ。内密に依頼することになるが、それでも構わないかね? 無論十分な報酬は約束しよう」

「父上、本気ですか?」


 レオンが問うようにゼアに向き直った。ゼアは唸りながら目を閉じる。


「ここに集めた面々は、ライオールの魔法士の中でも経験と実力のある者ばかりだ。その上お前でもできないのだから、国内の魔法士では無理だろう。今はこれしか手がない」

「ですが、彼をこの王宮に置くというのは……呼び入れるのとは、わけが違いますが」


 アルヴァンを睨みつけながら言うレオンに、ゼアが考え込むように押し黙る。

 兄の言いたいことはよくわかる。

 王宮にヴィロン人を入れてはならないという不文律を破った上、滞在まで許すなど正気の沙汰ではない。


 前回ゼアが講和を結ぶ時ですら、ヴィロン国に対する穏健派と排斥派で宮廷が二分しかけたのだ。


 ヴィロン人を王宮に滞在させたとなれば、父の国王としての基盤が揺らぐだけではなく、影響は王太子であるレオンの代にも間違いなく及ぶ。

 貴族間の争いが再燃すれば、後々まで尾を引く禍根になりかねない。


 かといって、滅多に外出をしないリディが連日出かけては、それこそ不審に思われる。


 ――本当に、私は二人に迷惑をかけてばかりね。


 父と兄は、最終的にはどんな手を使ってでも自分を助けようとするだろう。

 不要な揉め事を被ってでも、守ろうとしてくれるに違いない。


 だからこそ、これ以上負担は掛けたくなかった。

 魔法が使えない時点で、すでに二人の、そしてこの国の――お荷物なのだから。


 ――これ以上、問題を大きくしてはいけない。


 リディは、ドレスの胸元をぎゅっと握った。

 私に、何ができるだろう。二人のために、国のために。

 リディは居住まいを正して、顔を上げた。


 ――まだ、道はあるわ。


 分の悪い賭けかもしれない。

 それでも。


 ちらりと、横目でアルヴァンを見上げた。

 彼は、竦み上がりそうなほど鋭い視線で睨みつけるレオンを、かったるそうな顔で見返している。


 こんな男に助けられないといけないなんて。

  しかも、キスで。


 ――ひどく不本意な選択だけれど。

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