2 体に良くないものは美味いのだ

 翌日、午後2時。よりによってミーティングの直前、昼食で上がった血糖値が急激な眠気を連れてきた。


 5月の日差しがフロアを適温に暖めて、昼寝には最高の………………




 …………だっ! アブねえ。完全に意識飛んでた。

 

 水道で顔を洗う。ファンデーションとか気にしなきゃいけないから、女性はこういうとき大変だろうなあ。



「昨日の資料の修正版です。よろしくお願いします」

 再度逸見さんと金森さんにチェックしてもらう。


「で、ここは昨日会議が終わった後、金森さんに指摘されて付け加えたスライドです。シミュレーションシートが分かりづらいのでここで仮の社員で例を――」

 黙って説明を聞く逸見さん。ペンを軽く振りながら、資料をじっくり見ている。


 逸見さんとも金森さんとも、仕事するの初めてだからなあ。何回かやるとタイプとか分かるようになるんだけど。




 コンサルタントは、「プロジェクト」の形で働く。


 「○○社 新人事制度策定」「△△社 役員報酬見直し」というように新しいプロジェクトが立ち上がると、部門の上のメンバーが会議をして、「誰をアサイン(=任命・割り当て)するか」を決める。


 で、手が空いているメンバーを中心にプロジェクトメンバーが決定し、短いものだと2~3ヶ月、長いものだと1年以上のプロジェクトが始まる。


 そして終わったら解散、また別のプロジェクトにアサインされるのを待つ。


 

 毎回違うプロジェクトの内容に、毎回違うメンバーと上司。仲の良いチームだと解散が惜しかったりする一方で、ソリの合わない上司でも少し我慢すれば離れられるのはありがたい。何より、飽きっぽい自分にとって、この働き方は存外合ってるようだ。

 あと、忙しいプロジェクトは早く終わってほしくなるよね。本当に。心の底から。ダメだ、この話をしだすと酒飲まなきゃいけなくなる。




 と、逸見さんが目線を資料から俺に移した。

「僕ね、仮の社員で例を作るっていうのは悪くないと思うんだけど、せっかく作るならもう少し情報出してあげてもいいと思うんだよね」


 逸見さんが、少し笑ったような表情を見せる。

 3人ずつ座れる6人掛けのテーブルに、俺と金森さんが隣り合っていて、対面に逸見さん。

 柔和な表情ながら、全てを見通しているかもしれないその指摘に、自然と体が固まった。


「例えばさ、今回は昇格させる人とさせない人で給与の上がり方を変えてるでしょ? それなら多分、両パターン見せてあげた方が良いよ」

「あー、なるほど。途中から分岐して、昇格した場合としなかった場合でこう変わるよ、というのを見せる、ってことですね」

 金森さんが、紙資料に赤ペンを走らせる。確かに、その方が昇格をイメージしやすいな。


「そこら辺までは考えてほしかったねえ」

「……すみません。直しておきます」

 そもそも仕事量が多いだの寝不足だの、理由はいくらでも挙げられるけど、考えきれなかった俺が悪い。未熟。まだまだ未熟。




 俺の今入っているプロジェクト、クライアント(=お客様)は「大和アドヒーシブ」。東京に本社を構え、東海地方に工場を持つ、社員150人の接着剤メーカーだ。


 この会社の悩みごとは2つ。


 ①「あの、数十年前の創業当時からの方針で、評価が悪い人にもそれなりに昇給させてきたんですけどね? 最近は海外競合メーカーの攻勢で売上も頭打ちになってきていてですね……。今の状態を踏まえると、5年後・10年後の人員構成や人件費がどんな感じになるか、不安なので見ておきたいんです」


 ②「高年齢化が進んでいましてですね……。定年した社員を再雇用の形で雇用し続けようと思うんですけど、どんな仕事をさせたらいいか悩んでいるんです。同じ仕事を同じようにやらせたら下の社員も伸びないし、技術開発なんかはやっぱり斬新なアイディアを生み出す力とか衰えますからね」



 そんなわけで、このプロジェクトの大きな目的は2つ。



 ①昇給金額や昇進率、退職率をパラメータにしたシミュレーションシートをExcelで作成する。つまり、金額やパーセンテージを変更すれば、5年後・10年後の「等級別・年齢層別の人員構成」や「給与・賞与の総額」が変わるようなツールを作る。


 ②定年を迎えた社員の他社での活用事例を提示して、大和アドヒーシブで考えられる活用パターンを検討して整理する。



 もちろん「いやいや、そんなものはその会社の人事がやることじゃん」という声も当然ある。でも、得てしてコンサルティングファームには、海外まで含めた事例や経験があるので、「コンサルに任せた方が精度・クオリティーが高いものが出来る」というのは一つのメリット。


 そしてメリットがもう一つ。例えば企業の人事が、評価の仕組みや報酬の仕組みを変えようとすると、どうしても社内で不安や抵抗が生まれる。

 でも、「コンサルティング会社に頼んだので」と第三者的な目線を入れることで、その社員の不安を多少なりとも軽減してあげることができる。「プロが考えたことなら良いだろう」ってことだ。




「唐木さん、明日は逸見さんにシミュレーションシート見てもらいたいから、全然完成してなくて良いからExcelちゃんと動くようにしておいて」

「……分かりました」

 金森さんから指示を受けて、今日の打ち合わせは終了。


 でもさ、「完成してなくていいから」って優しい感じ出してるけど、「ちゃんと動くExcel」ってほぼ完成してなきゃ無理じゃないですか。「手作り風蒸しパン」みたいな思わせぶりなニュアンス、やめてもらっていいですか。

 はあ、やるぞやるぞ。



***



「うしっ、帰ろ」

 仕事がひと段落した夜のオフィス、時間は20時。明日の会議まで多少余裕あるし、今日は早めに帰ろう。



 東京駅から山手線に乗る。仕事から帰るには遅く、飲み会から帰るには早いこの時間は、座れはしないまでも、車内も少し空いている。ドアの窓にぴったりくっついて、赤や白のライトが笑う街並みを覗いた。


 15分して、最寄の大崎駅に着くが、ここは素通り。1つ隣の五反田に向かう。

「はーい、女の子いかがですか?」というキャッチを断りながら少し歩いて、行き付けのラーメン屋へ。


「脂多めで」

「はいっ」

 アジア系の若い女性の店員さん。もう通って3年になるけど、日本語が大分上手になってきた。そしてどんどん顔が変わってる気がする。歳のせいか、手術のせいか。


 店長がどんぶりをステンレス製の調理台に置く。背脂の塊を取っ手付きのざるで掬って上を鍋の蓋で抑え、どんぶりの上で上下させると細かい脂になってどんぶりに降り注がれた。湯切りした細麺ととんこつスープ、具材を入れ、最後にもう一度背脂を降って出来上がり。


「はいどうぞー」


 どんぶり全体に脂がかかっていて持てないどんぶり。体に良くないと分かっていながら、麺を啜って背脂が浮いたスープをれんげで飲んだ。体に悪かろうが、それでも元気が出るので、時間に余裕があって疲れを回復したいときに、週に1回と決めて暖簾のれんをくぐっている。



 自分が後輩にいつも伝えているアドバイス、「自分の体を知ること」 何時間寝たら頭が動くのか、何をするとストレス発散になるのか、何を食べると元気になるのか。忙しい仕事をサバイブするために、知っておけば調整しながら働ける。

 ここは俺にとっての元気の素の1つ。体に悪くても、エネルギーが充填できれば十分だ。



「ありがとうございましたー」

 帰りに隣のコンビニに寄る。よし、今日はついでにグミ買っちゃおうかな。

 おっ、新商品かな。この容量で……108円! 安い!


「いらっしゃいませー。こちら、216円になります」


 ……は? 


「あ、じゃあ電子マネーで……」

 引っ込めるのもアレなので、結局買ってしまった。気になって棚に戻る。


「商品と商品名のタグが全部ズレてる……」


 余計な出費しちまったじゃねーか。ショックでエネルギー減退したぞ。ラーメン食べてたときの俺の輝きを返せ。

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