第6話 先生と、呼ばれるマサは苦労人

その頃である。九州のとある中学校で、とんでもない騒ぎが起こっていた。


3年2組担任、七城正嗣は、レザーサンダルを履いた足をばたばたいわせて、自分が受け持つ教室に入って行った。


美術の女性教師、むろ先生が真っ青な顔をして、正嗣に向かって叫んだ。


「七城先生っ!生徒たちが…」


教室の中の教え子たちが半数は倒れ、半数はトランス状態に陥っている。


教室真ん中の机には、こっくりさん呼び出しの為に書かれた紙切れと、10円玉がある。


正嗣は、すぐに事態を察知し、スポーツ刈りの頭をかきむしった。

こいつら…やりやがったな!


こっくりさん。


漢字では、狐狗狸さん。日本では、狐の霊を呼び出す行為。降霊術の一種として知られている。


方法は、紙に、はい、いいえ、鳥居、男、女、五十音を書き、参加者全員で人差し指を硬貨(主に10円玉)に乗せる。


「こっくりさん、こっくりさん、おいで下さい」と霊を呼び出し、色々なお伺いを立てた後で、「こっくりさん、こっくりさん、ありがとうございました。お帰りください」


とお礼を言って、儀式は終了する。


しかし、思春期のガキどもが目に見えない存在を弄ぶと、何かしらのしっぺ返しを食らうものである。


3年2組、社会担当の七城正嗣(まさつぐ)の教え子16名たちが、今まさにそれをやっちまったのである。


正嗣は、素早く教室内を見回し、状況を把握した。


こっくりさんを行っていたであろう女生徒4人が、すでに失神状態にあり、他、男子7名と、女子5目が、夢遊病者のような、いわゆるトランス状態にある。


こやつら、あれほどスピリチュアル系な遊びをするなと言ったのに!!


パニックになりそうな頭をなんとか鎮め、正嗣は眼を強く閉じて、もう一つの心の目「心眼」を開いた。


案の定、生徒たちには、動物霊、自縛霊、浮遊霊などが取り憑き、あわよくばその体をも乗っ取ろうとしている。


この事態、私一人なら祓って済ませられたが…


同僚の女性教師、室先生に先に発見されてしまった!


「早く養護の三角みすみ先生に!!」走りだそうとする室先生を、正嗣は制した。


24才の若い女教師は、完全にパニックになっている。

「七城先生、何するんですか!?」


「室先生、いまから、私一人で、生徒たちを治します…今から教室閉め切りにするのでしばらく誰も呼ばないで下さい」

いつも温厚で、生徒に人気のある七城先生がこんなに真剣で険しい表情をしているのを、室先生は初めて見た。


正嗣の迫力に圧され、室先生は怯え気味にうなずいた。


教室の戸を閉めると、正嗣はジャージの胸を開き、いつも首に掛けている真言宗の、108玉の長数珠を手に取った。


低級霊どもの気配が、やや怯んだように感じた。


(やばい、こいつ、本物の『術者』だぜ!!)地縛霊の一体が叫んだ。


息を整え、数珠の白珠を両中指にかけ、正嗣は手印を組むと同時に、


いつも眠たそうに見える細い眼を、くわっと見開いた。


「のうまく、さんばんだ、ばざら、だん、せんだ、まかろしゃだ、そわたや、うんたらた、かんまん!!」

不動明王真言である。

まずは動物霊が、紅い美しい炎で焼かれ、生徒の体から去る。


しかし、浮遊霊や自縛霊はなかなか離れようとしない。

(せっかく手に入れた若いカラダ離すかよお、ハンパ術者だろぉ?)


「ハンパ?じゃあ、強制送還願います…」正嗣が片頬で笑った…


「おん、あびらうんけん、ばさらだとばん」

大日如来真言である。もと人間だった幽霊たちは、慌てて教室から逃げようとしたが、遅かった。


「おん、あぼきゃ、べいろしゃのう、まかぼだらまに、はんどま、じんばら、はらばりたや、うん!」


手印を変え正嗣が光明真言を唱えると、教室の天井から白い光が差し、幽霊たちは叫び声と共に、上空に吸い込まれて消えた。

(本物の法力を持った『術者』なんつな数百年ぶりだあ!!)

最後の幽霊が、断末魔の叫びと共に、消えた。

「閻魔さまのお裁きを、受けて下さいよ…」


社会教師にして真言宗泰安寺副住職、七城正嗣にとって、霊視と除霊なんて朝飯前であった。


3才の頃から、他人の目に見えない霊や妖(あやかし)が見え、

10才の頃よりやはり凄腕の術者であった祖父の手解きを受け、除霊やお祓いが出来るようになった。


だが、その祖父も12才の頃に亡くなり、婿養子で霊能力の全くない父住職からは、人前で力を使う事を固く禁じられた。


「正嗣、父さんはお前の力を信じとらん訳じゃなか、だが異能の者は、

必ず自分の居場所からは省かれる。さびしかけど、そげん時代になったったい…」

今まで正嗣は、除霊行為や心霊相談などは縁の深い檀家相手にしか行ってこなかった。

いま正嗣は、初めて父の言いつけに背いたのだ。教え子たちを救うために。

正嗣は教え子一人一人に駆け寄り、彼らが正気になった事を確認した。


「大丈夫か?安藤!!」


クラスで一番好奇心の強い(つまり悪童)安藤裕美は、はっ、と目覚め、途切れ途切れに話し始めた。


「せんせい、あたしが…こっくりさん…しようて…言うて…ネットにやり方のっとったけん…」

隣でもう一人の生徒、狩野毬かのうまりが先に意識が明瞭になったらしく説明する。


「やったとはあたしと、安藤さんと、林さんと、平井さんよ。なんか10円玉に指のせたら、いきなりグルグル動いて、訳の分からんごつなった…怖かったあ!」


そう言うと、毬は、わっと泣き出した。

「ばかもんが…先生、すんなって言うたろ?訳の分からん遊びすんなって」


正嗣は、毬の頭をぽんぽん、と撫でた。


生徒全員がやっと正気を取り戻すまで、15分から30分はかかっただろうか。


みんな、悪い夢でも見たように白い顔をしている。


「みんな、この事は忘れろ。二度とすんなよ」


「先生、事態は悪化してきたみたいだよ」

学級委員の近藤光彦が、冷静な口調で扉の方を指差した。


若い室先生には最後まで他の教師達の進入を止めるのは、無理だったのだろう。


「ごめんなさい、七城先生…」

「七城先生!!何の騒ぎね!?」


学校一うるさい生活指導教師、家入先生(34才、保健体育担当)が、湯気立った顔で、養護教師、教頭、校長らを引き連れて、教室になだれ込んできた。


「とにかく、説明願いますよっ!!」

家入先生は、生徒に人気のある正嗣を、あまり好ましく思ってない節がある。

職員会議にでもかこつけて、正嗣にいやがらせをするかもしれない。


男同士の嫉妬の方が、女のそれより陰湿で、攻撃的なものだ。



かくして、生徒を帰宅させた一時間後、緊急職員会議と、保護者説明会になり、正嗣にとっては、かなり追い込まれた事態となった。


「つまり、生徒の一人が、ネットで覚えたこっくりさんをやって、混迷状態になったと…そういう事ですか?」


保護者の一人が、得心いかないような顔で、校長を睨んだ。学級委員、近藤光彦の母で開業医の夫人でもある。


教師たちからは陰で「モンペア(モンスターペアレント)」と呼ばれているくらい、教師に攻撃的な女性であった。


光彦の母を校長がなだめた。


「まあまあ、子供たちも、意識ははっきりしとるし、ここは生徒の一時的な悪ふざけだったということで…」


「悪ふざけ?子供のトラウマになったらどうしますか?

さらなる説明を求めます!大体、変な遊び教室でやらせる担任にも管理責任があるんじゃないですか?」


近藤夫人がテーブルをぴしゃっ!と叩いた。眼鏡のチェーンが同時に揺れる。


両隣の母親たちが、近藤夫人に聞いた。

「七城先生ば追及するとですか?子供たちば、介抱しなさったとですよ」

「大体子供たちがやりだした事だけん…」

「だまらっしゃい!!」

近藤夫人が、二度テーブルを叩いた。この夫人は息子の高校受験を控え、多少情緒不安定な所がある。


「その介抱の仕方どげんしたとですかねえ?教室締め切って、生徒の体触ったとか?」


家入先生が、薄く笑って正嗣を見やる。

「冗談じゃなかですよ!」正嗣は立ち上がった。


教職に就いて数年、正嗣は、正しい事よりも、事なかれ主義、不条理な事の方がまかり通る(こんな田舎の学校でもだ!)


現場の同僚教師の嫉妬の目線にも、堪えてきた。


でも今回は、あんまりだ。

「いきなりセクハラ疑いなんて、正気の沙汰じゃない!生徒に声かけしただけですよ、それを先生…」


正嗣が、家入に詰め寄る。


「七城先生の言った通りです。先生は何も悪くありません」


室先生が助け舟を出してくれた。意を決して、口元をきりりと結んでいる。


「とにかく、これは新聞沙汰になりますよ!誰かが責任とらないと…光彦を私立に入れとけばこんな事には」


「新聞沙汰にするのは誰でしょうかね?」静かに怒りながら正嗣は返した。


「近藤さん、あんた言ってる事独りよがりよ!!」右隣の母親が叫んだ。


「あんた、おかしかよ!うちの子供たちが馬鹿にされとる気がする…」


今度は、母親たちの揉め事になってきた。


責任って、何だよ?停職?免職?


ああもう…子供を育てる現場の大人達が、なにやってんだ?


今の子供たちがなんか可哀想でならんよ。


学校の常識なんて、社会の非常識だよ!もう、何でもこいよ!


とっとと実家の寺でも継いでやるよ!


「南無大師遍昭金剛…」

なむだいしへんじょうこんごう。いつの間にか正嗣は、幼い頃より唱えている真言を呟いていた。


妖(あやかし)や霊を見た時、自分を守ってくれた。受験のたびに、すがるように唱えてきた。


今度は効かないかもなあ…


そんな事はないぞ!そこな青年


力強い張りのある声が、正嗣の脳内に響いた。しゃりん!!錫杖の音が聞こえる。


え?右後ろを振り返る。


頭に傘を被った一人の僧侶が、正嗣を見るや笑った。口角を上げたアルカイックスマイルである。


小柄で、身長は150センチ半ばであろう。


いかにも旅の僧侶の風体である。肌が抜けるように白く、女性のような柔和な顔立ちをしていた。


「拙僧を呼んだのは、お主であるぞ。よく見るが良い」


僧侶は、左手を上げ、錫杖で会議室内を指した。皆の動きが、止まっている。


「あなや、これが今の世の大人達の様かな…見苦しきかな。幼子らが不憫で仕様がないぞよ」


「時を…止めたのですか?御坊?」


「左様、動いているのは、拙僧とお主だけ。見させてもらったぞ。その方の法力見事であった。七城正嗣、まーくんよ大きくなったな…」


あ…!


祖父が死んで間もなく、正嗣と今は亡き母(母も霊視できた)にしか見えない僧侶が家に通って来ていて、彼に様々な術を教えてくれた。


3カ月後、僧侶は「また会おう、まーくん」と別れを告げた。


母は、僧侶をこう読んでいた。「お大師さま…!!」


「左様、拙僧は、名を空海。弘法大師と、人は呼ぶがの」


弘法大師、空海は傘を脱ぎ、数珠を手にかけ、手印を結んだ。


「助けてやろう。お主には、救世(ぐぜ)の運命(さだめ)あるゆえな!!かーーっ!!」


空海が叫んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る