描きかけのキャンバス

屋根裏

描きかけのキャンバス

 主人公は、どんな人物像にしようか。どんな性格で、どんな癖があって、どんな容姿をしているか。そんなことをぼんやりと思い浮かべながら、ようやく闇を取り込み始めた空に囲まれた道を、自宅に向かって歩いてゆく。

 青々と茂った道端の草がゆらゆら揺れる。

 茂みの中にちらほらと散りばめられた黄色の花が歌う。

 その中心を伸びる道は、淀みなくどこまでもまっすぐ続くかのように映る。

 まるで、一枚の絵画のようだ。空は何色だろう。足元に落としていた視線を持ち上げようとした時、一匹の白猫が、数メートル先を横切る。

 ふと、時間が止まったような気がした。

 もうすぐで眠りにつけたのに、がたん、という揺れ一つで眠りが遠のく電車のような。

 集中してノートに向かっていたのに、携帯のバイブ音で現実に引き戻される部屋のような。

 そんな隔絶された空間に、取り残されたような感覚。眠ろうとしていたわけでも、何に集中してたわけでもないが、ふとした瞬間のそれは、ついさっきいた場所から僕を追い出す。第三者の視点から、自分を見ているような、奇妙な一瞬。

 止まった足を踏み出す頃には、恐らく空も闇を取り込んだのだろう。闇に飲まれた、と言うべきか。きっとこの闇の中でも、あの白猫はくっきりと自分の存在を主張するのだろう。

 猫を題材にした物語なんてどうだろう。

 僕はいつも、主人公を決めてから物語の構成を考える。

 主人公がこういう人物像だから、周りにはこういう人がいて、こういう展開になって。という具合に。

 猫が主人公なら、きっともっと小さな目線から世界を描かなければ。僕が今見ている世界よりはるかに小さいけれど、その分大きな世界になるんだろうな。

 楽しい。物語を書いている時が、人生で一番楽しい時間。自分の知らない世界を、自分の思いのままに描くことが出来る。だから、僕の得意分野はファンタジー。

 猫だけの世界にしようか。猫以外の動物も登場させようか。猫と人の物語がいいだろうか。数案考えたところで、煮詰まってしまい、その日は眠ることにした。

 明日になれば、きっとまたいい考えが思いつくだろう。

 夢に白猫が現れることを期待して、瞼を閉じた。

 

 翌日、まとめたゴミを出そうと、朝から気だるく重い体を動かす。朝の冷たい空気が、気だるさを幾らか和らげてくれる。何度も閉じようとしていた瞼も、朝の放つ光に負けて、今はしっかりと開いている。

 ゴミ置き場には、既に多数のゴミ袋が積み上げられていた。幾人もの生活の塊が、投げ捨てられるように廃棄されている。

 そのゴミ山の中に、丸みを帯びていないものを見つけた。勝手なイメージだが、ゴミ袋は丸々と太っているものだと思っていた僕は、角張ったそのゴミ袋に目を奪われた。

 中身のはっきりと見えない半透明のなかで、青や緑など、様々な色が輝いている。キャンバスだった。それも、描きかけの。

 流石に持ち帰ることはしないが、もう少ししっかり見たいと、一度縛られた口を開いて、キャンバスを取り出す。

 昨日味わったばかりの、隔絶が蘇る。

 そこに描かれていたのは、どこか高いところから海を見下ろしたような風景画だった。いくつもの生命の喜びを呈した山、太陽の光を煌々と跳ね返す海、押し寄せる波を受け止める砂浜。そのどれもが曖昧で、それでいてはっきりとした色使いで描かれていた。素人目で見ても、ゴミになるような作品には思えない。

 ただ、空が描かれていなかった。単純に白で描かれたのではなく、キャンバスの白が剥き出しになっているのだ。

 どうして作者は、この絵を捨てたのだろうか。昨日の僕のように煮詰まってしまったのか、それともこれに代わる傑作が完成したのか。

 どちらにせよ、作者の納得のいく作品ではなかったのだ。ただ、それだけのこと。僕も創作する者として、その気持ちはわからなくもない。

 僕にしてみても、昨日書き始めた物語は、一夜またいでみてもいいアイデアは思い浮かばず、このキャンバスのように廃棄になってしまう予感がしていた。

 

 僕なら何を描こうか。何色に塗ろうか。

 

 今日一日は、小説のアイデア探しのために、街を歩こう。僕はいつも歩いて周りを観察する。そこから生まれるアイデアを、物語に投影する。

 あくまでも今日は、アイデア探し。物語に反映させるのは、今日じゃない。漠然と、そう感じていた。

 

 僕なら何を描こうか。何色に塗ろうか。

 

 街は喧騒に溢れている。一人暮らしの部屋の中に篭っていては気づくことの出来ない人の温もりが、良くも悪くもそこかしこに漂っている。それが、温かいと感じるか、鬱陶しいと感じるか、それはきっと、人によって違うんだろう。一人暮らしを始めたばかりで心細さを感じる人は、きっと温かいと感じるだろう。人に囲まれることに辟易した人は、きっと鬱陶しく感じるだろう。

 僕は。

 

 今は。

 

 半分温かくて、半分鬱陶しい。

 人の会話も、誰かが歩いた道も、全部が温かくて、暖色に光っている。

 けれどその温かさすら鬱陶しく感じてしまう寒色が混じるのは、物語が煮詰まっているからだろうか。

 

 そういうことなのかもしれない。

 

 今日は。今日は。今日は。

 

 僕も、絵描きの人も、街を歩くあの人も、今日のその時の気分に影響される生き物なのだろう。

 今日の人の温かみも、明日は鬱陶しさに変わってしまうかもしれない。僕の小説も、一夜を挟めば、いいアイデアが浮かぶんじゃない。違う路線を進もうとする、新しいアイデアに変わってしまうのだ。

 だからきっと、絵描きはあの絵を廃棄した。空を描く前に、日をまたいでしまったのかはわからないけれど、気分が変わってしまったんだろう。単純な話だ。

 初めは青に塗りたかった。けれど、海や山、砂浜を描くうちに、赤く塗りたくなったのかもしれない。

 だからあの絵は、あのキャンバスは、あるべき姿で捨てられていた。

 剥き出しのキャンバスは、どこまでも無色で、見る者の塗りたい色に塗るのが正解なんだろう。

 

 僕なら何を描こうか。何色に塗ろうか。

 

 書きかけの僕の物語も、主人公を決める前に、物語を書いてみよう。

 

 主人公は、どんな人物像にしようか。

 それは、読み手に任せてしまってもいいかもしれない。読み手自身をあてがうでも、猫をあてがうでも、読む人の好きに解釈してもらえれば、それがやがて正解になる。

 そして誰かの一瞬を隔絶として切り取るような、曖昧でありながら確かな力を持った物語になれば、物語は完成する。

 

 あの白猫は、本当に白だったろうか。

 

 あの時の空は、何色だったろうか。

 

 猫の色も、空の色も、物語も、全部僕が描いてしまおう。

 

 僕なら何を描こうか。何色に塗ろうか。

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