「決められないな、難しい」

 ドニプロパトロトリステキヴィスミジキは横の座席に座っている妻に答えた。バスの窓からはみかん畑が見える。でも天井画を見れば何かしら自分の答えも見つかるかも知れない、ドニプロパトロトリステキヴィスミジキはそう思った。教会にあるのは、先の千年の砂粒の言葉を元に書かれた天井画だ。片側半分に楽園、片側半分に地獄が描かれていると言われる。絵具ではなく砂で描かれたいわゆる砂絵で、天井にしっかり固着してある。絵が完成してから千年経っていないが、一粒と言わず何十何百何千という砂粒が絵から剥がれ落ち、失われているはずだ。劣化は激しい。二・三回地震の深刻な被害を受けたが、“この絵は完全に損なわれ形を失った時に完成する”、という作者の言葉により、現状維持以上の意味を持つ修復は行われていない。バスの進む悪路の脇には楓の木が規則的に植えられている。根元から一定の範囲には雑草が一本も生えていない。手入れが行き届いているというわけではなく、楓が土の養分を吸い尽くしてしてしまっているのだ。妻のサロュリはすっかり力のなくなってしまった目で微笑んだ。

「パンフレットを読んだだけよ」

 天井画が世界遺産になってから島のなけなしの観光名所を記したパンフレットが配られるようになった。それによると造船所まで観光名所になっている。パンフレットの天井画の欄にその砂粒の言葉も載っているらしい。当たり前といえば当たり前だ。ああ、そうか、とドニプロパトロトリステキヴィスミジキも皺だらけの顔で笑って、また窓の外を見た。海に壊滅状態の埋め立て地が見える。ほとんど水没している。その手前にある北の海岸、一軒家がポツリと見える。ドニプロパトロトリステキヴィスミジキの家だ。65歳でドニプロパトロトリステキヴィスミジキは運営を直近の部下に任せ、その家で静かに夫婦で余生を暮らすことに決めたのだった。すべて順調の筈だった。第二の人生が待っていたのだ。安寧は二年間だけだった。それはその決定的な嵐で終わった。海岸の家で暮らし始めて二年目、激しい嵐が一週間ものあいだ続き島全体に甚大な被害を残した。家屋の破損等には国から補填が出ることになり、島民達は胸をなで下ろし、かつての生活をすぐに取り戻したが、ドニプロパトロトリステキヴィスミジキの場合はは違った。彼の庭は七トンの砂で埋まってしまっていた。家と庭に積もった砂は尋常な量ではなかった。開発途中の不安定な状態にあった埋め立て地の砂が運ばれてきたのだ。海流と風。すべての悪い流れが一極に集中しドニプロパトロトリステキヴィスミジキの住居に滝のように直撃したらしい。北側の海岸にある民家は、周囲の土地も大規模に所有しているドニプロパトロトリステキヴィスミジキの一軒家しかなかった。あとは別荘や工場などで、暮らしに直接被害を受けた者はいなかった。道路の砂は自治体が責任をもって片付けたが、個人の庭の砂の除去は所有者にまかされると行政は決定した。埋め立て地の開発は凍結された。ドニプロパトロトリステキヴィスミジキは、行政が回収しないのなら砂は自然に返すしかないのだろうと考え、庭に積もった砂を猫車で少しずつ砂浜へ運ぶことにした。七トン、途方もない作業になると思ったが、暇を持て余していたドニプロパトロトリステキヴィスミジキは少しだけ楽しんでこの労働をこなした。しかし行政は、彼が数週間作業を続けたところで、それは違法の“不法投棄”にあたることを知らせてきた。不法にゴミを捨てたことになったドニプロパトロトリステキヴィスミジキには、財産量によって罰金額が変動する特異な法により相当の罰金と六ヶ月の禁固刑が言い渡され、猫車は押収された。元はと言えばお前達のせいじゃないか、ドニプロパトロトリステキヴィスミジキは訴えたが、聞き入れられなかった。それを許すと、行政が関わっていない道路や地形など皆無ですし、風で運ばれたゴミの掃除を全て行政がやらなければならないことになってしまいます。ドニプロパトロトリステキヴィスミジキの抗弁は迷惑なクレーマーの戯言として扱われた。三ヶ月で娑婆に出ることができたドニプロパトロトリステキヴィスミジキは妻と涙を流して抱き合い、砂をどうするか考えた。市役所に問うと、あなたが選択すべき正解の選択肢は、廃棄物を扱う専門業者に依頼して、砂をゴミ処理上へ運んでもらうことだと言われた。廃棄物処理業者に連絡すると、七トンの砂を廃棄するのにかかる費用の見積もりはドニプロパトロトリステキヴィスミジキに残された老後の蓄えを逼迫する額だった。ふざけるな、ドニプロパトロトリステキヴィスミジキは叫んだ。ドニプロパトロトリステキヴィスミジキを心配して彼の部下がやってきて、彼に助言した。なんとか砂を行政に撤去させるよう世に訴えるしかないと思います。漁師達に話を通しておきますので今度の組合の会合に参加しましょう。

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