午後23時06分 T-21にあるNG本社 最上階

 エレベーターが最上階に到着した事を告げる音を上げ、眼前の扉が左右にスライドする。緊張と警戒を最大値まで引き上げたヴェラ達は恐る恐る扉の向こうに広がる部屋に足を踏み入れるが、そこに彼等が想像していたような抵抗はなく、そもそも武装した信者達の姿すら見当たらない。

 細長い通路の壁には、NG社の初代社長から現社長――厳密には災厄で滅ぶ直前――に至る歴代社長の顔写真が並び、NG社が設立してからの百年以上にもわたる歴史が事細かに記されていた。

 その中には最も会社に貢献したとされる五芒星の顔写真もあり、顔写真の下にあるモニター画面には彼等が築き上げた輝かしい功績が次々と表示されている。但し、ヴェラ達が発見した裏の業績に関しては、やはり記されていなかった。

 それらの前を何事も無く素通りし、その奥にある職人技の彫刻が施された木製の扉を開けると、そこはNG社のトップに立つ社長のみが入る事を許される社長室となっていた。

 最上階自体が丸々一つの部屋のようになっているかのように、ドーム状の天井に配置されたスポットライトが暖かな人工灯が燦々と降り注ぎ、眼下に広がる真夜中の暗闇とは無縁の明るさで満たされていた。

 足元には深紅に染まった高級絨毯が部屋の隅々にまで敷き詰められており、オリヴァーは内心でアーマーブーツではなく普通の靴で入りたかったと少々残念がった。

 けれども、そこにもやはり信者達の姿は無かった。あるのは―――社長の執務机に我が物顔で座る、研究の白衣に身を包んだ男だった。彼は端正な顔をにこりと微笑ませると、ヴェラ達に軽く手を振った。

「やぁ、いらっしゃい。キミ達が来るのを待っていたよ」

「アンタがマサル・ホンダだね?」

「ははは、懐かしい響きだ。今までは大司教様だの救世主様だのと呼ばれていた。その名前を聞くのは何年振りだろうか。まぁ、今となっては大司教の名も過去のものと変わり果ててしまったがね」

 ヴェラに名前を呼ばれ、マサルは嬉しそうに笑うと両手の指の腹を鳩尾の上で重ね合わせた。整った顔立ちと相俟って、他愛のない仕草の一つすら気品に満ちている。だが、それが逆に気障ったるく見え、ヴェラは好きになれそうになかった。

「キミ達が来た目的は……ここにあるユグドラシルのデータかな?」

「それとミドリよ。彼女を返して貰うわ」

「ミドリ……?」一瞬だけ記憶の迷路を彷徨ったが、直ぐに思い出して破顔した。「ああ、あの赤ん坊の事か」

「あの子は今何処に居るの、教えなさい」

 ヴェラの語気が強まるのを感じ、スーンは息を飲んだ。こういう時の彼女は明白な怒りを抱いている事を知っているからだ。しかし、相手は彼女の怒りを見抜いている筈なのに、敢えて挑発的な嘲笑を口から零した。

「ククク、残念だがそれは教えられないなぁ。彼女は今後の日本を……この生まれ変わった日本に立つ女王様だ。キミ達に返す訳にはいかない」

「生まれ変わっただと? ああ、確かに災厄前に比べると一変したな。まもりびとが跋扈し、人間は奴等に襲われた挙句に肉体を書き換えられて仲間入りを果たす。まるでこの世の地獄みたいだ」

 オリヴァーが今の日本の現状を盛大に皮肉って返すが、マサルはその挑発に乗らなかった。

「今も昔も日本は……いや、世界は大して変わらんさ。人間社会の栄達は飽和期を過ぎ、あとは緩やかな滅びに向かいつつあった。だが、それでも人々は人間の可能性という甘く下らない言葉に縋り、自分以外の他を犠牲にして豊かな社会を作り続けた。その結果はどうなった? 資源は枯渇し、更なる紛争を招き、自分で自分の首を絞めた。規模的に言えば、此方の方が遥かに地獄だろう?」

「だからこそ、貴方達日本人はユグドラシルを作り出し、Gエナジーを生み出して人類の危機を……世界を救った! それは事実でしょう!?」

 トシヤが声を大にしてGエナジーを生み出した背景を訴えるも、マサルはそれを嘲笑うかのように鼻先で一蹴した。

「ユグドラシル……そもそもアレは偶然の発見で誕生した産物だ。そしてGエナジーも、それに次ぐ副産物として生まれたに過ぎない」

「……どういう意味ですか?」

 トシヤが声のトーンを抑えて尋ねると、マサルは高級椅子に深々と凭れ掛かるように腰掛けながらユグドラシルの話を始めた。

「キミ達は知っていると思うが、あのユグドラシルは地球上に存在する植物遺伝子とバイオ技術を組み合わせて誕生した人造樹木だと言われている。表向きはね」

「でも、それは違うのでしょう?」

 ヴェラの指摘にマサルの細く整った眉がピクリと反応する。

「ほぅ、知っていたか」

「カツキ・セラという人物が、極秘裏にユグドラシルに含まれている遺伝子を調べていたのよ。地球上のどの植物にも匹敵しない遺伝子だって事は判明したけど、結局その正体までは分からず仕舞いだったらしいわ」

「ああ、彼か。まぁ、分からなかったのも無理ない。彼は元々機械学及びロボット工学の分野に精通した人間で、Gエナジーをエネルギー源として利用する機械や機器を作るのが主な役割だった。他人と比較すれば彼は間違いなく天才だが、遺伝子学という畑違いの分野では所詮素人に過ぎん。偶然秘密に気付いたからと言って、迫るにも限度というものがある」

「その言い草だと、貴方はユグドラシルの秘密を知っているみたいね」

 そうヴェラが告げると、マサルは今までにない飛びっきりの笑顔で頷いた。

「ああ、その通りだ。アレが一体何の遺伝子で生み出されたか、私は全て知っている。恐らくキミ達と会話するのは今日が最初で最後だろう。特別にユグドラシルが誕生した経緯を話してあげよう。少し長くなるが、気長に聞いてくれたまえ」

 尊大な話し口調を咳払いで一旦切り、突き合わせた指を旨の上で組み直すと昔話を聞かせるような口調でユグドラシルの秘密を語り始めた。



 話は今から150年前に遡る。日本近海の太平洋にて日本へ輸入する為の資源物資を積んだタンカーが故障した挙句、突然沈没するという事故が起こった。この資源物資は海を汚染する可能性を秘めており、日本政府はすぐさま海洋汚染を防ぐ為の緊急対策に乗り出した。

 ところが、事故現場の被害状況を調査しに向かった海洋保安庁は予想外の出来事を目の当たりにする。当初は深刻な汚染が広がっているとばかり思っていた事故現場に、汚染の痕跡が一切見当たらなかったのだ。

 それもタンカーに積まれた重油すら海面に漂っておらず、最初は事故現場を間違えたのではと勘違いする人間も少なからずいた程に綺麗で穏やかな海が広がっていた。

 この奇妙な事件を不思議に思った日本政府はすぐさま汚染を免れた原因の調査を開始した。当初は海洋汚染を免れた謎は迷宮入りするかに思われたが、調査を始めて一か月後、タンカーが沈んだ海底を調査していた保安庁は世紀の大発見をしてしまう。

 海底に走ったクレパスのような罅の割れ目から、真っ直ぐに伸びる一本の巨大な樹木を発見したのだ。すぐさま樹木を海底から引き上げて調査した結果、この樹木は空気や海の汚れを吸収してエネルギーを生み出すという他に例を見ない特殊な性質を持っている事、また地球上に生息する全植物に該当しない新種だという事が判明した。

 更に樹木を発見したクレパスの付近を念入りに調べると、頑丈な石に覆われた樹木の種と思しき巨大球根を発見した。大人の半身に匹敵する大きさを持つ種を引き上げ、球根を覆っていた石の成分を調べると興味深い事実が発覚した。

 その石の成分は酸化第二鉄が殆どを占めており、これは宇宙空間にある岩や隕石に含まれるものだという事を意味していた。そう、隕石だ。そこで彼等は、この植物が宇宙から飛来した地球外来植物なのだと理解したのであった。


「―――その後、国有の研究機関の一つに過ぎなかったNGがその植物を元にユグドラシルを作り上げ、Gエナジーが誕生した。遺伝子改造がどうと言っているが、実質はクローンだ。これと言って余計な手は加えていない。多少弄ったところもあるが、あの繁殖力の高さも、あの適応力の高さも、全ては元から備わっていたものだ。以上が、キミ達が追い求めていたユグドラシルの正体だ。質問はあるかね?」

 マサルの説明が終わると、四人とも言葉が出て来なかった。何かの怪しげな遺伝子が含まれているかと思われたが、まさか宇宙から来た地球外生命体ならぬ地球外植物が元だったなんて誰が想像したであろうか。そして最初に疑問を呈したのはオリヴァーだった。

「そのままクローンしたのがユグドラシルだと言うなら、何で見付けた直後にユグドラシルを誕生させなかったんだ? あれを見付けたのは150年も前だろう?」

「当時のバイオクローン技術がまだまだ発展途上だったこと、そして当時は資源不足の問題が顕著化していなかった事が主な理由だ。資源が豊富だった時代にGエナジーという新たな資源を生み出しても、主流の資源に勝てる見込みは少ないからな。だから資源が枯渇し出した時を狙ってGエナジーを大々的に発表し、莫大な利益を得たという訳だ」

「成程、中々に上手い戦略ね。この日本がユグドラシルに埋もれなければ、もっと儲かっていたでしょうに」

 ヴェラが嫌味を込めて皮肉を言えば、マサルは薄っすらと笑みを浮かべて立ち上った。一瞬だけ彼の動きに注意を払ったが、マサルは真後ろにあるガラス張りの窓に立ち、彼女の言うユグドラシルに埋もれた日本の首都を見下ろした。

「確かに、貴女の仰る通りだ。事実、日本政府は満足し切っていた。ユグドラシルで金を儲け、再び世界をリードする現状にね。だが、これの真の力を知った瞬間から私は思った。これは金儲けの為ではなく、ましてや日本と言う小国を満足させる為の代物ではない。これは世界を屈服させる力を秘めた偉大なるものだとね」

「そのトップにミドリを据え置き、自分は摂政として彼女を傀儡のように操ろうという魂胆かい?」

 そこで外を眺めていたマサルが再びヴェラ達の方へと振り返り、醜い欲に取り付かれた狂った笑みを表情に張り付けた。ヴェラだけでなく、誰もが嫌悪するかのような笑みだ。

「ふふふふっ、察しが良くて助かるよ。だからこそ、彼女は手渡せんのだ。無論、ユグドラシルの製造に関係するデータもな。アメリカに渡れば、すぐに私と同じ考えと野望を持つ人間が出るのは火を見るよりも明らかだからな」

「安心しなさい。私はデータを祖国に持って帰るつもりはないわ」

「何?」

 ヴェラの発言を耳にした途端、マサルは怪訝そうな表情へと崩した。対するヴェラはマサルに向けて斧を突き出し、不敵な笑みを浮かべて断言した。

「ミドリを取り返し、ユグドラシルのデータは徹底的に破壊する。そして皆で笑って日本から脱出するんだ。安い野心しか持てない小物が、私達の目的の邪魔をすんじゃないよ」

 それまで彼等の挑発に乗ってこなかったマサルの眉間に初めて不機嫌な深い皺が出来上がり、発言者である彼女を睨み付けた。切れ長の眼は剣呑なまでに鋭くなり、彼女を敵対視するどころか、そのまま視線で射殺してしまいそうだ。

「悪いが、私は自分の計画を邪魔されるのは大嫌いなんだ。申し訳ないがキミ達には、ここで退場を願おうか」

 懐に忍ばせた小型のパッドを片手で操作すると、天井のパネルと床の一部がガシャンッと音を立ててスライドし、そこから複数のまもりびとが這う様にして姿を現した。ヴェラ達は手にしていた銃器を捨て、斧に持ち替えた。

「皆! 気を引き締めな! これが最後だ! 死ぬんじゃないよ!」

「当たり前だ! こんな所で死ねる訳ないだろ!」

「僕だって死にたくありませんよ! 此処まで来たら何が何でも生き抜いてやりますよ!」

「私も死ねません! まだやるべき事がありますから!」

 誰もが死なないと決意宣言するかのように声を上げると、四人は一塊に集まり、迫って来るまもりびとの群れに斧を振り上げた。皆で生き延びる―――その一心が、彼女達を突き動かす原動力となっていた。

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