3762年5月1日

午前6時40分 T-03(旧港区)に停車したクラブマンの車内

 重たく圧し掛かる瞼を抉じ開け、ヴェラが目覚めると黒鉄の天井が目に入った。そしてムクリと起き上がりベッドに手を当てると、少し硬い後部座席のクッションの感触が走り、そこで「ああ」と昨日の出来事を思い出した。

「そうか、クラブマンに乗って脱出したんだっけか……」

 そう呟いて上体を起き上がらせて周囲を見渡せば、運転席には腕を組んだまま深く顎を沈めて目を閉じるオリヴァーが、その直ぐ後ろには布一枚を羽織っただけで眠るスーンが、自分の向かい側の席には片足を落としながらも鼾を掻くリュウヤが。

 疲れが抜け切らない肉体が睡眠を求めているかのように、全員が爆睡していた。昨日の出来事を考えれば無理からぬ事だが……と思ったところでヴェラはふと、この場には居ない二人を思い出した。

「トシ、それにミドリは……?」

 二人の不在に気付いた矢先、後部ハッチの扉を隔てた先から赤子の泣き声が聞こえてきた。微かに聞こえる程度だったが、それは徐々に大きくなっていく。遂にはバンッと扉が開き、赤子の泣き声がダイレクトに鼓膜を叩いた。

「ヴェラさん! ミルク何処ですか!? 僕一人じゃ対応出来ません!」

 ほとほと困り果てたトシヤが泣きじゃくるミドリを抱いて救援を求めてきたのを目にした途端、ヴェラは思わずプッと吹き出してしまった。



 ミドリの泣き声とトシヤの泣き言で他の大人達も目を覚ました後、クラブマンの操縦席にてささやかな朝食を取る事にした。幸いにも食料品や調理に必要となる機材がクラブマンに積み込まれており、空腹のまま活動するという不安は回避された。と言っても、その食料はやはり不評だったバイオ食品が殆どだったが。

 そして全員が腹に詰めるものを詰め込んで一息付くと、早速ヴェラ達が呼んだ救援の話題が持ち出された。

「救援が来ないって、どういう事だよ!?」

 いつも陽気なオリヴァーでさえも困惑と憤りを隠せずに言葉を荒げるが、ヴェラも彼の気持ちが分からないでもないので宥めるどころか、彼の怒りを制止するような真似はしなかった。

「そのままの意味よ。私達に与えられた任務に専念しろと。それを達成するまでは救援は出せないと……」

「何だよ、それ……。俺達に死ねって言うのかよ!?」

「要するにユグドラシルのデータを手に入れるまで帰って来るなってことですよね? だけど、そのデータは本社に……大魔縁の総本山にある。どう考えても死んで来いっていう命令にしか聞こえませんよね」

 スーンもオリヴァー程ではないが、口調には納得いかない不満と抵抗感がヒシヒシと滲み出ている。無理もない。只でさえまもりびとに殺されそうだというのに、その中を掻い潜り、更に大魔縁の組織の本拠地に乗り込むなんて自殺行為だ。

「せめて応援を寄越してくれりゃ変わったかもしれないけどよぉ……」

「無理ですね。あのゲイリー大佐って人は、私達を一般人ではなく軍属だと認識しています。その上、あの人はまもりびとの話に取り繕う島も見せませんでした。つまりは此方の話は日本国民(難民)の存在以外は信じていません。余程の理由が無い限り、増援は送ってこないでしょう」

「ったく! これだから現場を知らずに自分のケツで椅子を磨くだけの上官は大嫌いなんだ!」

 オリヴァーが荒々しく締め括ると、操縦席にドスンと乱暴に腰を下ろした。そして暫しの沈黙が流れた後、ミルクを飲んで御満悦なミドリを腕に抱いたリュウヤがヴェラに尋ねた。

「……で、ヴェラ自身はどうしたいんだ? ゲイリー大佐とやらの命令に従うのか?」

 自身の肌に仲間の視線が刺さるのを感じながら、ヴェラは各々の反応を確かめるように一瞥しながら口を開いた。

「大佐には悪いけど、ユグドラシルの情報は持ち帰れない。これは任務の遂行が不可能以前に、Gエナジーの引き起こす最悪の副作用を見てしまったからよ」

「副作用……変異体まもりびとの事ですね?」

 スーンの言葉にヴェラが頷く。

「彼等を信じさせるには、そのデータが必要となるわ。このトリイの日記も証拠の一つとして数えられるけど、他人の書いた日記だけで訴えるには些か戦力不足よ。だから、データを手に入れて緊急性を訴えればきっと……」

 歯切れ悪く言葉が途切れ、最後まで断言しなかったのは未だにゲイリー大佐の為人を疑っているからだ。彼にまもりびとに関するデータを突き付けても、Gエナジーが生み出す富に目が眩んで看過するかもしれない。最悪、そのデータに強い興味を示す恐れだってある。

 ヴェラの考えは一歩間違えばアメリカそのものを日本と同じ危機に回すかもしれない可能性を秘めており、そういう意味では非常に危険な賭けとも言えよう。ヴェラとしてはユグドラシルに纏わる全データを消去したいのが本音だ。

「だが、そうなるとやはり大魔縁の存在がネックだな。連中をどうにかしないと……」

「その点に付いては私に考えがある」

 オリヴァーが呈した問題点にヴェラが真面目な声色で断言したものの、その考えをこの場では披露しなかった。そして彼女の眼差しはリュウヤの方へと向けられた。

「けど、先ずは確認しておきたい事があるの。リュウ、その本拠地に入ってデータを手に入れる為に何か必要なものがある?」

「そうだな……」弛んだ顎に手を添えながら考える素振りをし、やがて思い出したように話を再開させる「あそこの建物に入る事自体は問題ないが、データとなれば話は別だ。Gエナジーやユグドラシルの研究で纏めたデータは全て最上階辺りに保管されている。変異体……まもりびとのデータもあるとすれば、そこだろう」

「最上階ですか……。あの狂信者の大軍を潜り抜けて辿り着くには骨が折れそうですね」

「ああ」トシヤの呟きにリュウヤも相槌を打つが、直ぐに否定を入れる。「だが、問題はそこじゃない。仮に大魔縁を出し抜いても、直ぐにデータを手に入れられる訳じゃない。まもりびとのデータが最高機密(トップシークレット)だとしたら、そこにアクセス出来るのは五芒星だけだ」

「じゃあ、結局手は出せないのかよ!?」

 オリヴァーの叫びは、リュウヤとミドリを除く全員の本心を代弁してくれたも同然であった。誰もが目に見えて落胆する中、リュウヤは「話はまだ終わっちゃいない」と告げて下に向き掛けた彼等の視線を持ち上げさせた。

「確かに常時アクセス出来るのは五芒星だけだが、データベースに足を運ぶのは彼等の同行さえあれば誰であろうと可能だ」

「同行? どういう意味なの?」

「最上階にあるデータベースには、五芒星の指紋と網膜を認識する認証システムが設けられてある。これはデータベースそのものの定期診断の他、コンピュータネットに何らかの通信障害が起こり、アクセス出来ない場合を想定したものだ。貴重なデータな宝物庫故に、データベースに足を踏み入れられるのは五芒星か、もしくは彼等と同行する許可を得た人間だけだ」

「つまり……何だ。アクセスしようにも、直接データベースに入ろうにも、やっぱり五芒星の存在が必要になるんじゃないか。それに五芒星の内一人は大魔縁の大司祭で、もう一人は既にまもりびとになっちまってたんだろ。こりゃお手上げじゃね?」

 オリヴァーが冗談めいた口調で両手を上げるも、笑う人間は皆無であった。寧ろ、彼の言う通りの事実を改めて突き付けられ、誰も彼もが苦々しく閉口し、重い沈黙に押さえ付けられるように項垂れるばかりだ。只一人――リュウヤを除いては。

「まぁ、普通に考えればオリヴァーの言う通りだ。だが、日本が崩壊した今だからこそ使える裏技があるのもまた事実だ」

「裏技?」

 リュウヤは腕を組み直しながら硬いチタン合金の壁に背中を預け、今の台詞に反応した一同の顔を見渡し口を開いた。

「フラッシュクローンという言葉を知っているか?」

「ええ、知っているわ。クローン技術とバイオ医療の融合で誕生した、最先端医療の一つでしょ。事故で手足を失ったり、病気で臓器を失っても、DNA登録さえされていれば直ぐにクローン生産出来る画期的な医療システム……まっ、アタシ達の国では富豪達しか使えないけどね」

「その通りだ。けれど、俺達……NG社に所属する研究員は皆、会社の方針で自分達が持つDNAデータを医療機関に預けている。事故や病気で手足を失い、今の職業から離反するのを防ぐ為だ。これは自慢じゃないが、万が一にフラッシュクローンを利用する際に発生する金額は全部会社持ちだ」

「おいおい、給料も高い上に医療面でも優遇されるなんて、羨ましい限りじゃないか! 俺もそっちに就職したかったぜ……」

「俺みたいな平研究員の給料は一般市民と五分五分だぞ。あとこっちに就職しても面白い事なんて何一つないからやめてけ」

 オリヴァーの愚痴に個人的な感想を織り交ぜながら突っ込みを入れると、咳払いを一つして会話を仕切り直した。

「要するに俺が言いたいのは、そのDNAデータが保管されてある病院へ向かい、フラッシュクローンを用いて五芒星の手と目を手に入れさえすれば、データベースに入る切符を得られるという訳だ」

「成程、それなら十分に可能性があるわね。それで病院の場所は何処なの?」

「ええっと場所は確か……地図があると説明に便利なんだが……」

「あっ、だったら僕のパッドに入っていますよ」

 スーンは早速昨日修復した大型パッドを披露するのと共に、パッドの画面に災厄前の東京周辺の地図画像を呼び出した。それをリュウヤに手渡すと、全員の視線が彼の手元に渡ったパッドに集まる。

「ええっと場所は……此処だ」彼の指が自分達の居るT-03からT-02へと滑り、その区域内にある病院を意味するマークを指先で叩いた。「T-02に置かれた総合病院だ。そこは今どうなっているか分からないが、どうしてもデータを何としてでも手に入れたいのなら行くしかないだろうな」

 そこでリュウヤが言葉を切ると、全員の視線がヴェラへと注がれる。仲間達から判断を託されたヴェラは深く息を吸い込み、重い溜息を吐き出した。そして後頭部に縛った黒髪をゆっくりと一撫でし、決断を下した。

「行きましょう。皆、悪いけどもう一働きしてもらうわよ」

 その言葉に誰も反論を口にしなかった。今の状況を打破する為の行動が他に思い当たらないのも事実だが、それ以上に彼女と共に窮地を乗り越えてきた現実が信頼となって裏付けされていたのが大きな要因であった。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


用語解説


『フラッシュクローン』

「バイオ医療とクローン技術の発展融合型として誕生した最先端医療法。本人のDNAデータさえあれば健全な手足や内臓を再生出来る他、年齢に合わせて細胞を急成長させる事も可能な為に、移植に適し易く拒絶反応が極めて少ないという利点がある。

 またクローンの創造は数分足らずで完成する事から、光ような速さを持つという意味からフラッシュと名付けられている。

 しかし、フラッシュクローンを利用する場合には多額の金が掛かるという欠点があり、特にアメリカなどでは富豪以下の人間は使えないとヴェラが証言している」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る