午後22時00分 T-21(旧足立区)にある大魔縁総本山――元NG本社跡地

 数年前の災厄によって日本は滅んだ。それは国家という意味だけでなく、日本が築き上げた文化や技術や財産、何もかもと呼んでも過言ではない。

 このT-21と呼ばれた地区も、災厄による爪跡が深く刻み込まれている。最先端の技術を用いて作られた高層ビルはユグドラシルの大木に貫かれ、破壊され、数年にも渡って野晒にされている。その姿はまるで、人々に忘れ去られて緑に沈む運命を待つ墓標のようだ。

 そんな中で唯一無傷でありながらも、異様な光景を見せる建物があった。元NG本社であり、大魔縁の総本山だ。一階のフロアロビーには一定間隔にカンテラが置かれ、中に灯る青み掛かった緑の炎はGエナジーを原料とする燃料である事を物語っていた。

 そのカンテラの前に寄り添うかのように密集する人々は不気味な緑の頭巾を頭に被り、炎に向かって懇願するかのように頭を下げ続け、必死に祈りを捧げていた。

 ユグドラシルが我々を地獄から救ってくれる。ユグドラシルが道を示してくれる。大司祭様がユグドラシルの天使達と共に、日本を復活してくれる……。彼等の願いは様々だが、自分達を救い、日本の未来を取り戻してくれるという点では共通していた。

 信者達の声にユグドラシルが耳を傾ける筈がないのに……ヴェラ達がこの場に居れば、そう一蹴したであろう。しかし、誰もそんな口を聞けないのは強い絶望に打ちひしがれ、善悪関係なく何かに縋りたいからかもしれない。

 すると二階へ上がる階段の踊り場に、武器を構えた親衛隊に囲まれた男――大司祭ことマサル・ホンダが現れた。

 周囲は緑の頭巾を被っているのに、彼だけは堂々と顔を晒していた。綺麗に手入れが施された細い眉に、流れるような切れ目、そしてオールバックにしたアジア人特有の黒髪。目元の泣き黒子も端麗な顔立ちを引き立たせるパーツのようだ。

 右手に握り締めた捩じれたユグドラシルの杖と赤い羽織を纏った姿は、まるで旧約聖書に出てくるモーゼを彷彿とさせる。

 大司祭が登場するや、それまで祈りに没頭していた人々は顔を上げ男に視線を向けた。敬意・親愛・羨望――人間が持ち得る様々な期待がホンダ一人の身に注がれる。普通の人間ならば過大な期待を寄せられれば、プレッシャーに押し負けるというのが普通だが、彼は春の微風を思わす柔らかい微笑みを浮かべると信者達に手を上げた。

「諸君、今宵……我々はT-12に結集していた異端者の討伐に成功した。此方にも被害は出たが、代わりに大勢の信者が解放され我々の隣人となった。この素晴らしき日を祝福し、ユグドラシルの神が与えた試練を乗り越えた人々を褒め称えよう」

 ホンダの言葉に信者達から「おお……」と感嘆に震える声が漏れ出てくる。誰一人として被害に付いて言及しなければ、人同士が殺し合う事を非難しない。それが大魔縁の異常さを物語っていた。そして暫くの間が続くと、ホンダは「しかし!」と叫んで信者達から受ける注目を更に高めた。

「残念な事に、神の子の奪還に失敗してしまった! しかも、神の子は異国から来た者達の手の中にある! そう、奴等だ!! ユグドラシルの尊さを汚し、ユグドラシルを金のなる木としか見ていない欲に塗れた俗物達! そして我々の苦しみを知ろうともせず、尚もユグドラシルを求める愚か者達だ!!」

「異国の者達!」

「我々を見捨てた異国の悪党共め!」

「ユグドラシルを汚す悪魔め!」

 ホンダの発言に呼応するかのように、信者達の間で憎悪と憤怒が沸騰した水のようにボコボコと込み上がり、不可視のガスとなって充満していく。やがて大司祭は彼等の騒めきを片手で制すると、新たに言葉を放った。

「しかし、奴等から神の子を奪還する機会はまだある! 諸君!! この日本に楽園を取り戻す為! そして我々を見捨てた異国共に天誅を下す為に! 私に今一度力を貸してほしい! そして神の子を奪還した暁には、我々の魂はユグドラシルによって救われるであろう!!」

 その自信に満ちた発言と共に信者達の興奮のボルテージは一気に最高潮に達し、ホンダとユグドラシルを称える言葉が止め処なく溢れる湧き水のように噴出した。

 彼等の熱狂的な信仰心と異国の人間に対する憎悪を垣間見ながら、ホンダは誰にも悟られぬよう酷薄な笑みを零した。

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