3762年4月30日

午前7時33分 太平洋上

「なぁ、今の日本ってどうなってるんだ?」

 突拍子もなく不可解な質問を投げ掛けられ、掘りの深い中東系の顔立ちをしたスーンは出題者であるオリヴァーに訝し気な目線を送った。

「今のって、どうして僕にそれを聞くの?」

「だってお前、日本オタクなんだろ?」

「オタクじゃなくって、日本文化に詳しいってだけだよ」

「どっちでも良いさ。で、どうなんだ?」

「知る訳ないでしょ、日本が滅びてから十年以上も誰も足を踏み入れていないんだからさ。それよりも僕は、このな船旅が何時終わるのかが気になるね」

 眼鏡のブリッジを押し上げながらスーンは快適という言葉を敢えて強調する事で不満の念を露わにし、それを悟ったオリヴァーは薄ら笑いを浮かべた。

 彼等は今、アメリカ海軍所属の原子力空母『ダグラス・マッカーサー』の甲板に腰を下ろしている。更に万が一の事態に備えて空母の周囲には4隻の戦艦、海中にも1隻の潜水艦が並走しており、所謂『空母打撃群』を形成して万全を期している。

 この航海が始まって数日余りが経過しており、空母の生活に慣れていないスーンは陸地での生活が恋しいと誰もが掛かる禁断症状が現れつつあった。対する自称二枚目のオリヴァーは精悍な顔付を微塵も崩さず、刈り上げた金色のツーブロックの頭を上機嫌に一撫でした。

 これにはスーンも驚きを通り越し、不公平感を覚えずにはいられなかった。

「どうして君は平気なのさ?」

「俺は昔軍隊に所属していたからな。船は慣れっこなんだよ。それに船は良いもんさ。穏やかな並の揺らぎを感じながら潮風を浴びる……これぞ海の男ってヤツさ。お前は?」

「僕は生憎ながら自他共にモヤシって呼ばれているからね。軍隊とは無縁だったよ」

 溜息交じりにそう返答すれば、オリヴァーは短い笑い声を返した。スーンは螺旋のようなスパイラルの掛かった自身のパーマヘアーを指先で弄っていると、ふと頭に浮かんだ疑問が無意識に口から零れた。

「だけど、国の計らいが此処まで来ると有難さを超えて驚くしかないよね。たかが一企業の平社員を日本へ送り届ける為だけに原子力空母を中心とした一個艦隊を使うなんてさ」

「そりゃそうさ。世界でユグドラシルの扱えるのは独占した日本を除いて、俺達の会社だけだ。そんな貴重な人材を扱うんだから、VIP待遇にもなるさ」

「僕達の会社も元を辿れば、日本亡国企業のアメリカ支部だけどね」

「そう卑下すんなよ」

 オリヴァー達はアメリカ軍に所属する兵士ではなく、ユグドラシルの運搬やGエナジーの抽出を行っていた『ナチュラルグリーン』と呼ばれる亡日本企業のアメリカ支部の社員だ。その日本企業も災厄のグリーンデイによって本社が壊滅し、今ではアメリカに置かれた支社が本社となっている。

 そんな一般人にも等しい彼等が軍用艦に乗っているのは、本社を通じて国家から言い渡された指令――日本へ赴き、放置されたユグドラシルの調査及びGエナジーの回収―――を果たす為だ。

 ユグドラシルの暴走で日本が滅んだ後も、ユグドラシルから抽出されるGエナジーは依然として世界に欠かせぬ貴重な資源であった。しかし、日本の滅亡と共にユグドラシルの製造方法は失われた技術ロストテクノロジーとなり、同時にGエナジーは数限りある貴重な資源となってしまった。

 このままでは何れ少ない資源を巡って戦争が起こるのは明白であり、そういった不毛な事態を避けるべくアメリカは率先して行動を起こした。

 ユグドラシルの森と化した日本へGエナジーの扱いに心得がある人間を送り込み、ユグドラシルに纏わる情報及び製造法を入手するという計画を決断したのだ。これが成功すれば資源問題を解決し、紛争は回避されるだろう。

 勿論、真の狙いは紛争回避だけではなく、亡き日本に代わってユグドラシルの権益を手中に収めたアメリカが世界を再びリードする大国へ返り咲くという薔薇色の未来を実現させると言う思惑があるのだろう。

 けれども、そこまで深く考える気もトップの考えに噛み付く気もオリヴァーにはなかった。あるのは面倒臭い事になったと嘆く本音だけだ。

「あーあ、ウチの会社がユグドラシルの栽培方法を知っていりゃ、こんな苦労はしなかったんだけどなぁー」

「仕方ないよ。ユグドラシルは日本にとって経済の要なんだ。そうほいほいと教えてくれる筈がないよ」

「おかげで今、俺達がこうやって苦労するって訳だ。ははっ、笑えるね」

 笑えると口にしながらも、オリヴァーの表情は苦虫を噛み潰したそれだった。すると甲板に居た乗組員の動きが一層慌しくなり始め、オリヴァーへ向けていたスーンの視線と関心は乗組員の方へと逸らされた。けれどもオリヴァーだけは乗組員の動きに目もくれず、視線を前方に固定したままだ。

「どうやら、目的地が見えてきたみたいだぜ」

 そう呟いた彼の言葉に釣られてスーンも振り返れば、広大な海と青い空の境目に豆粒ほどの小さい島が肉眼で確認出来た。

 そして島へ近付くにつれて、島に生い茂る緑の濃度が劇的に上昇した。その緑の正体は日本列島を瞬く間に飲み込み、一夜にして一国を滅亡へと導いた深緑の悪魔――ユグドラシルの樹木だ。まだ遠目からしか見えないが、ユグドラシルの樹木が乱立する光景は森と呼ぶよりも樹海と呼ぶ方が相応しいように思える。

 嘗て日本の栄華を誇った象徴でもある名のある高層ビルの数々も、ユグドラシルの巨木で覆い隠されてしまい見る影も無い。そして無数のユグドラシルが天を穿たんばかりに真っ直ぐと伸び生えた姿は、見る者達を圧倒させた。

「あれが今の日本……か」

「何か、凄いよね。雰囲気って言うか、圧倒されちゃうよね……」

「何だ、ビビってるのか?」

「べ、別にビビってないよ! う、生まれて初めて日本に足を踏み込むから感動しているだけだよ!」

「ふーん、あっそ。……今更こんな事を言うのもアレだけど、俺はあの日本に足を踏み込むのが嫌だ。出来れば拒否したいぐらいだ」

「何、もしかしてオリヴァーもビビってんの?」

 オリヴァー“も”と言った時点で自ら墓穴を掘ったようなものだが、その失態にスーン本人は気付いていない。またオリヴァー自身もスーンの墓穴に態々足を突っ込む気は無いらしく、暫しの沈黙の後に話題を続けた。

「……まぁ、似たようなものだ。お前はアレを見て圧倒されると言ったが、俺は得体の知れない何かを目前にしているような気分だ」

「ふーん、成る程ねぇ……」

 見る者によって答えや感想が異なるのはよくある事だ。だが、今回に限って言えば、二人だけでなく作戦に従事した全ての人間の根底には、言葉に表現出来ない不安の糸が張り巡らされている。それは紛れもない事実であり、共通点でもあった。

「確かにユグドラシルは謎に包まれてる上に不気味に感じるけど、大丈夫なんじゃないの? 僕達の目的は日本にあるユグドラシルとGエナジーの調査と回収だけなんだからさ」

 日本の陸地に沿って生えるユグドラシルに目を向けながら、スーンは期待を込めた楽観論を語る。しかし、同僚の楽観論に無条件で首を上下に振れるほどアンディも楽天家ではなかった。

「生憎だけど、俺はそう思わないぜ」

「どうして?」

「こいつは俺の爺さんの受け売りだが―――」

 祖父から譲り受けた言葉を言い掛けた矢先に二人の間に影が立ち、それに釣られて二人の視線が影の主へと向けられる。

 そこに立っていたのは美しさよりも、凛々しさや格好良さが上回る黒人女性だった。最高級のビターチョコレート色の腕を胸前で組みながら、彼女はニコリと擬音が付きそうな良い笑顔を浮かべて二人を見下していた。但し、その目は微塵も笑っていない。

「こんな所で御喋りだなんて、良い御身分だねぇ?」

「ヴぇ、ヴェラさん!!」

「そう言うなよ、これから忙しくなるんだ。せめて今の内に無駄口を叩いてたって良いじゃないか。良かったら、ヴェラも何か話すかい?」

 動揺するスーンに対し、オリヴァーは余裕の態度を崩さず、寧ろ無駄話を彼女に勧めるが、ヴェラは彼からの申し出を鼻で笑い一蹴した。

「それじゃ一言だけ言わせてもらおうかしら。島に着く前に最終確認も兼ねたミーティングを談議室でするって隊長からのお達しさ。さっさと支度しな! もう既に仕事は始まってるよ!」

 それだけ告げると彼女は大股で二人の部下の前から立ち去っていった。恐縮していたスーンの肩からドッと力が抜け落ちるのとは対照的に、オリヴァーは最初から最後まで飄々とした態度を崩さなかった。それどころかニヤニヤと愉快そうに笑いながら、スーンの肩に腕を回した。

「大丈夫か? もしかして苦手なのか、ああいうタイプの女性が?」

「ああ、苦手だよ。大の苦手。僕は御淑やかな女性が好きなのに、ああいう姐御肌と言うか……キングコングならぬクィーンコングみたいなのは駄目だよ」

「成る程ね。面白いジョークだが、本人の前で言うなよ。顎を砕かれるぞ」

「言わないよ。言ったら多分、顎が砕かれるどころか地獄へ放り投げられるよ」

 スーンの言う通り、ヴェラは御淑やかさとは無縁のガテン系の女性である。一見粗野の様にも見るが、実は後輩などの面倒見が良く、社内では姐御系リーダーとして慕われているのもまた事実だ。只、気弱なスーンからすれば相性はイマイチのようだが。

 何はともあれ、隊長から集合の号令が掛けられたのならば行くしかあるまい。彼女の言い付けに従うべく重い腰を上げた直後、スーンはオリヴァーの台詞が途中であった事を思い出した。

「あっ、そう言えば……さっきオリヴァーが言い掛けた御爺さんの受け売りって何?」

「ああ、そういや言い掛けだったか。いや、大した事じゃねぇけどさ、爺さんは常にこう言っていたのさ。『世の中に絶対は有り得ない』ってさ」

 そう言ってオリヴァーはツーブロックの金髪を翻し、彼女と同じ方向に進み始めた。それに少し遅れて、スーンも彼の後に続いていった。


 亡国と化した国は、既に目と鼻の先にまで近付いていた。



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用語解説


『ユグドラシル』

「日本が遺伝子組み換え技術を用いて作り出した人造樹木であり、エネルギー資源『グリーンエナジー』はこのユグドラシルから抽出される樹液が元となっている。極めて成長が早い割には寿命も長く、それでいて雑草を凌ぐ強靭な生命力と適応力を持っている。

 そのユグドラシルの製造方法は現在は謎に包まれている。これは日本が経済的優位を保ち続ける為にユグドラシルの製造法を門外不出としたまま災厄のグリーンデイを迎えてしまい、日本の滅亡と共にユグドラシル関連の技術も封印されてしまったからである。その為に各国は是が非でも日本に眠るユグドラシルの製造方法を入手したいと目論んでいる。

 またユグドラシルの樹液は夜になると淡い黄緑色に発光するという特性を持っており、樹木では亀甲状に罅割れた樹皮の隙間から光が漏れ出ているのが確認されている」

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