05:束の間の
ノアが目覚めたのは、倒れた翌日の朝のことだった。彼はソレル研究所の療養所へと身柄を移され、ベッドに横たえられていた。
「くそっ、ああ、アレだな……」
感情受容障害。自分が倒れた原因は、即座に分かった。幼い頃、何度も経験していたからだ。
しかし、大人になってから起こすとは。ノアは自分のふがいなさに苦笑する。女たちを捨てても、別に自分は大丈夫だと思い込んでいたのだが。
「お目覚めですね。ご気分はいかがですか?」
そう話しかけてくるのは、金髪をツインテールにしたアンドロイドだった。彼女が今回の世話係か、とノアは思う。
「大丈夫。強いて言うなら腹が減った」
「食事をお持ちしますね」
アンドロイドの胸元につけられたネームプレートには、サティア、とある。人間と触れ合うことができない今、彼の身の回りの世話は全てアンドロイドがすることになっている。
食事を終えた後、ノアは残してきた仕事のことを考える。この分だと、一週間はここに居なければならない。その間、サムには迷惑をかけるな、とノアは思う。
「まあ、長期休暇が取れたと思ってのんびりするか!」
「はい。ゆっくりなさってください」
サティアは真顔でノアの言葉に応える。エンパスを世話するためのアンドロイドなので、感情表現が豊かである必要はないのだ。彼女はただ、命令を聞くだけの存在。
ノアはしばらく、テレビを見るのに没頭した。いつもなら見れない、平日のワイドショー。芸能人が結婚したというニュースが流れる。
「はあ、このまま仕事辞めてぇなあ……」
そんなノアの独り言に、サティアはいちいち反応することはない。よくできたアンドロイドだ。
昼食を終えた頃、サティアがノアに話しかける。
「ノア様。ちぐさ様から伝言です」
「あいよ」
「お兄ちゃん、大丈夫? サムがずいぶん心配してるけど、彼の相手は私がしておくから、心配しないでゆっくり休んでね、とのことです」
「わかった、思う存分休んどくよ、って言っといてくれ」
「承知しました」
外界との接触も、アンドロイド伝いである。そうでないと、治療の意味が無い。ノアはふと、幼い頃同じように隔離施設へ来た時のことを思い出す。
「由美子様から伝言です。バカ、とのことです」
彼女からの伝言は、いつも意味のないようなものだった。それでも彼女は、自分のことを心配してくれていたのだと、よく分かっていた。
そういえば、彼女は今、どうしているのだろう?レイチェルという名を名乗り、マフィアを家と定めた彼女は。
ノアはアリスの事件を回想する。そう、始まりはアリスだ。あの事件の担当にならなければ、ノアは彼女と再会することはなかっただろう。
結局、レイチェルがなぜアリスを追っていたのかは謎のまま。クレマチスの事件にしても、どうしてあの場に彼女がいたのかは判っていない。
「考えても仕方ないな。少し寝るか。サティア、電気消してくれ」
「承知しました」
ノアはベッドに仰向けになり、数分後、眠りについた。
夕方。サムの家には、ちぐさが訪れていた。付き合って数ヶ月になるが、彼女がここに来るのは初めてだった。
「わあ、広いのね。それに、すごく綺麗に片付いてる」
「ノアにも同じことを言われましたよ」
サムはちぐさにコーヒーを淹れ、ソファに並んで座る。ちぐさはまだ遠慮がちで、二人の距離は少し離れている。何しろ、彼女が男性と付き合うのはこれが初めてなのだ。
それでも二人は、付き合い始めた当初に比べ、遠慮が無くなってきたと言える。サムは最近、歳の差をそれほど気にしなくなってきた。
「それで、ノアの具合はどうです?」
「大丈夫みたい。といっても、アンドロイド越しの伝言だけどね」
「そうですか……早く出られるといいんですが」
サムはノアに会いたくて仕方が無かった。彼とは話したいことが山ほどある。彼とはいつも一緒にいたから、隣の席が空いていると、隙間風が吹いているようなのだ。
「そういえば、サムって何でこんな広い家に一人暮らしなの?」
ちぐさが何の曇りもない表情でそう言う。サムは一瞬、迷ったような顔を見せる。
「そのことですか。ちぐさには、言っておかなければなりませんね」
ちぐさはぱちくりと瞬きをする。真面目な話が始まるらしい。
「僕は、両親と弟の四人家族でした。五年前、彼らは交通事故で他界しました。僕を迎えに来る途中でした」
サムらしい、簡潔な説明だった。
「そう、だったの」
「僕はこの家を相続しました。売り払うという案もあったんですけどね。思い出のあるこの家をどうしても残しておきたくて、そのまま住み続けているんです」
天涯孤独の身。それは、ちぐさも同じだった。ちぐさの両親は、彼女がエンパスだと分かるや否や、ソレル研究所に預け、そのまま引き取りを拒否してしまった。しかし、エンパスにはよくある話だ。アレックスもそうなのだとちぐさは知っていた。
「辛かったんだね」
「ええ。一気に家族を亡くしましたからね」
ちぐさはサムの髪を撫でる。その程度で過去の傷が癒えるとは思っていないが、それが彼女の精一杯だった。そのことはサムにも伝わった。
「みんなはそれを知っているの?」
「知っているのは、ボスだけです。無用な心配をさせたくありませんからね。でも、あなたには、話しました」
「ありがとう、サム。話してくれて」
サムはちぐさの肩を抱き寄せる。しばらく二人は、黙ってそうしていた。
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