わたしたくて

上月ケイ

わたしたくて

「……はあーっ……結局、渡せなかったな」


 ……放課後の教室。キンキンに冷えた窓ガラス越しに、しんしんと降る雪を、ぼんやりと眺める。築百年も越えようかという校舎のせいで、隙間風も酷い。なんで窓際の席になっちゃったかなぁ。時代遅れの燃料式ストーブは消されたせいで、どんどん気温が下がっていく。手は冷たくて赤くなってるし、ため息も白色にデコレーションされる。寒くなるのは、鞄の奥にしまわれている物的にはいいんだろうけど。


「はぁ……」


 ……まだ帰る気にならなかった。帰ってしまうと、今日が終わっちゃう。


「かえーろーぜー!」


 静寂な雰囲気ごと打ち破るように、ガラリと引き戸を開けて、隣のクラスからずけずけと侵攻してくる。


 三藤 日向(みふじ ひなた)。さっぱりとした亜麻色のショートカットに、健康的なみずみずしい肌。異常気象のように、何時でもどこでも赤道直下で、太陽のように明るい女の子。幼稚園からずっとみているけど、本当にかわらない。


 ……ちなみに、さゆは私だ。黒崎 さゆ(くろさき さゆ)。うん、地味な名前だ。黒いし髪も長いし。名前が、ひらがな2文字なのは、書きやすいので嫌いじゃないけど。


「はいはい。宿題を教えてほしいのね」


「うおっ! どうして、わかった。半端ないな!」


「アンタが尻尾振って子犬のように駆け寄るときは、宿題のパターンでしょ」


「むむむ……正解だけど、さゆには見えない尻尾がみえてちゃうんだ……おそろしや」


 日向は自分のお尻の部分を、両手で隠すようにして、ぶるぶると震え上がる。


 もちろん、そんなものは見えない。だけどまあ、なんとなく雰囲気でわかっちゃうのは、付き合いが長いせいだろう。


「……ふん、クラスメイトに教えてもらえば、いいじゃない」


 本心とは裏腹に、意地悪な言葉が出てきてしまう。なんでよりによって今日なんだ。明日だったら、「しかたないわね」といつも通りに一緒に帰れたのに。


「たはは、アタシのレベルについてこれる者が、おらんのだ」


「ようは、おバカさんにわかりやすく教えられないのね」


「その通り!」


 舌をペロっとだして、開き直りっやがったこいつ。


「たのむよー。晩御飯、作るからさー」


「……晩御飯ねぇ」


 私は一人暮らしだからか、ちょくちょく日向が晩御飯を作りにやってくる。私の両親は、仕事の都合で、思春期の一人娘を残して外国でよろしくやっている。付いて来るか、と聞かれたけれど、私はめんどくさい、から、ここに残った。……うん、めんどくさいから。その理由で納得する親も親だと思う。


「んー? 不満かーい? カレーじゃよ、カレー。日向特製だよー? おいしいよー? ふぉっふぉっふぉう?」


「……好きだけどさ。あと、サンタは二ヶ月遅れよ」


 日向は、アホの娘っぽいくせに、料理スキルは高い。……不平等だ。かくいう私は、なんとかカップ麺がつくれる程度の腕でしかない。


「なーなーいーだろー? カレー♪ カレー♪」


 ご機嫌に歌っている目の前の生き物は、今日は何の日か知っているんだろうか。


「しかたないわね……」


「やりー!」


 両手を掲げた日向は、手首にひっかけた、鞄をくるくる回しだす。ちくしょう、かわいいな、コイツ。ヘタレ根性でしがみついた自分とか、どうでもよくなってくる。


      ◆  ◆  ◆


 ――スーパーによって、カレーの食材を揃えた。


 ……だけど、お菓子、のコーナーにさしかったとき、私は、


「太るから、お菓子はダメよ。ご飯だけで十分じゃない」

「えーさゆ、スリムじゃーん。いーじゃん、一緒に堕落しよーよー」

「太ったからじゃ、遅いのよ」


 ……避けてしまった。


 ああ、私はバカだ。期待しているくせに、いざとなると怖くなる。


 ――部屋で宿題を教える。鞄から教書をとりだすとき、奥にしまったものが、ばれないようにそおーと気を使ってだすヘタレな私に、自虐的についわらってしまった。チキンカレーだったら、具になるのは私だったかな。そうして、三分ごとに、あの手この手で休憩したがる日向を、机に戻しつつ勉強を教える。手間のかかる妹みたいだけど、日向は、妹じゃなくて。


 もやもやとした気持ちのまま……宿題が終わる。……渡せないままに。ああ、「お菓子でも食べて、休憩する?」の一言がなんで言えないんだ私は。三分ごとにチャンスはあったのに。


「カレーの時間だー!」


 と、宿題が終わるやいなや、日向がガバッと立ち上がる。


「……手伝おうかー」


 私は、おずおずと片手を上げるが、


「ユーの担当はティーチ、ミーはクッキング!」


 と、ビシッと人差し指で私を指差され、親指で日向を指して全力で拒否された。うん、まあ、下手だけどさ。なので、はいはいとだけ言って、諦めがちにテレビのスイッチをつけた。



      ◆  ◆  ◆



「できたー! 甘口でこくまろカレー!」


 落ち着く家庭カレーの香りを漂わせながら、テーブルの上に、コトリコトリとカレーが二皿置かれる。「いただきます」と二人でハモって、カレーを口に運ぶ。いつもどおりのゆるい空気が……ただ、なんとなく流れていく。こっそり、スカートに鞄の底から、救出した物を忍ばせているけど……きっと出すことはないんだろうな。


「むぐ……おいしいわね」


 日向の料理は、いつも通り美味しかった。下手な自分とくらべて、劣等感に押しつぶされそうになるけれど、スプーンを動かす手は止まらない。悔しいけれど、私は、この料理が、好きなのだ。……この料理が。


「ふははは、カレーに隠し味を入れておいたからね! 当ててみて!」


「……んー? なんだろ?」


 いきなりなぞなぞを出された。もういいや……悩むのはやめて、いつも通りに過ごしちゃおう。


 買い物リストを思い出す。そもそも、一緒に買い物をしたんだ。変なものがあればすぐわかる。


 にんじん、牛肉、たまねぎ、じゃがいも、カレールー。


 ……うん……オーソドックスすぎる。近所のスーパーにそんなマニアックなスパイスもあるわけもなく。


「わかんないのかにゃー……この味音痴め」


 日向は、テーブルの両肘をついて、両手を頬に添えて、ニマニマと眺める。「このオバカさんめ」と言いたげな目だ。……日向のくせに。


「くっ……えーえー……りんごとはちみつ」


「あはは、それカレールーにはいってるやつじゃん! そんなひっかけじゃないよ」


 しかし、いくら考えてみても、思い出したものはアレで全てだった。日向が一人で買っていた様子もなかったし。


「……降参よ。……私が料理が上手くないの、知ってるくせに……味から考えてわかるわけがないじゃない」


「上手くないどころか、下手っぴじゃん。認めよう。現実を」


 アーメンといった調子で、日向は目を閉じて空中で十字架を切る。くっ……神頼みレベルでダメなのか私は。


「しょうがないなー。哀れなさゆに、ヒントをあげよう。……今日は何の日ー?」


「……バレンタイン」


「はい、正解。まさか、これでも、わからないとかないよね? 女子高生としていいのかにゃ?」


「……チョコ、いれたの?」


「せいかーい! ハッピーバレンタインだぜ! やったー! 渡せたー! 朝から、考えてたんだから!」


 日向は、無邪気にからからと笑いながら、ブイサインを決める。


「いやー大変だったよ。鞄の中に、こっそりビターの板チョコを忍ばせてさ。宿題を出す時に、うっかりこぼれないように気を使ってさ」


 なんだ、それは。

 なんで、そんなことしてるのだ。

 なんで、そんな明るく言えちゃうのだ。


 私は迷ったのに。うじうじ暗く、灰色の空よりももっと重く。冬の空気よりも冷え込んだ心で。

 ……だけど、私は、全然違うこの親友の女の子が。

 ……だから、とっても好きで。だから、壊したくなくて。


「ふんだ……今朝からじゃない。……私なんて、もっと前から計画立ててたなんだから」


「はーん、やるじゃん。いったいどんなものがでてくるのかな? ゴミ箱の消し炭を食べよのだって、すごいドSセリフがくるのかな?」


「ち、違うわよバカ!」


 うわーバレてた! バレてた! 今朝も失敗して、ゴミ箱に捨てたの忘れてた! 料理したらわかるよねそりゃ! 焦げ臭いもんね!


 顔に血がのぼって、かーっと熱くなってくる。


「こ、これよっ!」


 私は、スカートに忍ばせた、チョコクッキーを投げつける。結局、手作りはできなかっので、安心と信頼のコディバのチョコクッキー。


「おぉ、丁寧にラッピングされてる。かわいいじゃん」


 日向はあっさりとした顔で、なんなくパシッと受け取る。


「く、友チョコで、配ったやつの、あまりだからっ!」


「んじゃあ、いただきまーす!」


 日向は、ラッピングをちょいちょいと開けると、ポイッと口に放り込む。


「ちょ、ちょっと、まだご飯中じゃない!」


「ふはは、もう私の物だからどうしようと私の勝手だ。……ぱく、むぐ……ふーぅ! おいしーい!」


 ……こいつ。にっこり笑った顔もやっぱりかわいいな。


「あり? カレー辛かった? 顔、まかっかだよー?」


「甘いわよ! ばかー! 甘いわよぉー!」


「ええぇっ? 甘いのそんなに好きだったけ?」


 混乱して謎のポーズをとる日向を眺めながら、チョコ入りカレーを口にやけっぱちに放り込み続けた。


〈了〉

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