幕間

花の王


〃花の色は移りにけりないたずらに我が身世にふるながめせし間に〃


 彼女は歌を口ずさみ、親友の手を握った。



 大坂の町。それが大川から南が焼け野原と化している。新町遊郭しんまちゆうかくから上がった火は風に乗って北西に燃え広がり、船場せんばの町を焼いた。

 店も長屋も舐めるように駆け抜ける勢いは一晩経っても衰えることを知らなかった。八十町以上の広範囲に及び焼き尽くしたその大火は遂には天神橋てんじんばしを焼き落とし、中之島なかのしま堂島どうじまを越えて天満てんまに拡がり天満天神てんまてんじんを灰燼に帰した。


 真っ赤に染まった空と焼ける大坂の町を眺める少女の顔は焼け爛れ、白濁した目は最後に映した光景に恐怖するように見開かれている。町一番の佳人と言われた彼女は見る影もない。顔の上半分に火傷をおい、自慢だった黒髪も見るも無惨。顔と同じく炎に舐められて焼けてしまった。


 しかし、流す涙もなく。彼女は傷の痛みなど忘れ、声をあげて笑った。

 その声だけは、今も小鳥の囀りの様に愛らしく美しい。

「これでもう、あんたを『化け物』やなんて言うもんはおらんようなる。今日からはこのウチが正真正銘の『化け物』だす」


 彼女の親友は目をカッと見開いた。



 少女が何を言っているのか理解したが早いか、驚愕する。そして、自分の顔の左半分にある大きな痣に触れた。そこだけ、まるで牡丹の花弁を落としたように赤く染まっていて、左目は今の彼女の両目の様に白濁している。


(せやから、火ぃに飛び込んだんだすな)


 彼女の思いと覚悟に畏れを抱いた。

 すると、その戦慄が震える手を通して彼女へと伝わる。

 少女は一層強く、親友の手を握りしめた。

「牡丹……」

 少女の名を呼べば、彼女は夕焼けを溶かしたように燃える町を背に親友をしっかりと抱きしめた。力強く。

「気にせんでええんよ。ウチが勝手にやりよったことや。それに、ウチかて自分の顔にはうんざりしてたとこなんや」

「ほんまだすか? せやかて……何も、いとさんやのうてもよかったんやおまへんか。目ぇもあかんようになってしもうて……下手したら嬢さんも死んどったかも知れへんかったんだすで」

「そん時は、そん時や。助かったんやから万々歳やないの。それにいらん顔がなくなって、せぇせぇしたわ。それに、嫌な顔も見んですむ」

 親友は首を傾げた。

「嫌な、顔?」

「ウチの中身も見んと、顔だけ見てニヤニヤしよる猿共のアホ面や。せやけど……あんたの顔も、もう見られへんのやね。その綺麗な牡丹の花弁も」

 そう言って、彼女は親友の頬に触れた。

 煌めく一筋が流れたその上を確かめるように指が伝う。

「何や。泣いとるんか? ほんま、あんたは情け無いなぁ」

「悲しゅうて、悔しゅうて泣いてるんやおまへん。この涙は私の覚悟の証だす。嬢さんはこの私が、この血に誓うて一生お守りしますよって」

 彼女だけが『化け物』の自分を厭わず、その顔の痣を美しいと言った。色の違う自分を受け入れてくれた。この親友にとって彼女だけが唯一無二の友である。


(このお人に、自分の命も誇りも全て捧げよう)


 彼女が炎に飛び込むのを躊躇しなかったように、親友に迷いなどなかった。




 炎は全てを焼き尽くし、多くの命と少女の顔を奪って、朝日が昇った頃に鎮火した。疲弊した人々の顔には、これからの生活への不安や喪失感が影を落としていた。太陽が昇っても沈みきったまま。



 ただ、二人だけは夜明けを告げて新たな一日を連れてやって来た太陽に笑った。

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