3 兎と鬼

兎と鬼


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 事件終幕から早七日が過ぎようとしていた。


 下手人は捕まらないままだ。しかし、当然のことながら辻斬りは出現することがなくなった。その為、白川から身元不明の浪人風情の男の仏が上がり、その男が一応の下手人として処理されることとなったそうだ。

 それを聞いた桐辰は納得がいかず、かと言って柳瀬を下手人として引き渡そうにもそちらにも納得がいかず。結局、意を決した桐辰は将寿に是非を問いに、個人的に遊廓へと足を運んだ。




「……よしっ!」

「何がよしなんですか?」

「――!」

 桐辰の肩に置かれたのは白い手。

「貴様はどうしていつもこう、いきなり現れるんだ!」

 片袖を外して煙管を吹かす将寿。

 今日は藍染の大島紬を着ている。しかし、裾はだらしなくはだけていて、艶めかしく、今日も今日とて薄化粧。


 桐辰は、紅潮しそうになる頬を、首を振り深呼吸をして堪え忍んだ。

 将寿は腕を組む。

「いきなり現れてはいけないとはまた横暴な。将軍様にでもなったつもりですかい? 私はただ、買い出しに出てただけなのに。急に姉さん方が甘いお菓子が食べたいと言い出してね、それならば私が、とね。旦那こそ、こんな時間にこんな所で何してんだい? まだ昼見世も早いよ。それとも、また何か私に仕事のご依頼でも?」

 指で指してくる代わりに手にした煙管を将寿に向けられて、桐辰はその煙に顔をしかめた。

「否、今日は私用だ」

「筆下ろしですかい」

「断じて違う!」



          *     *     *



 桐辰は来た道を将寿と共に戻っていた。

「一連の辻斬り事件は白川で見つかった男が下手人で片を付けるつ事になりそうで……だが、本当にそれでいいのか俺には判らないんだ。その男に罪があるのかないのか、そんなのは調べれば判ることだ。罪があったとしても間違いなく、今回の辻斬り事件には関わりが無いだろう。彼はただの溺死で、下手人は柳瀬だ。だが、その柳瀬に意思も意識もはなかった上、事件を起こしていた記憶もない。事を起こしていた当の鎌鼬はその存在自体が消えてしまった。真実を知っているのは俺達二人だけ。これをどう判断すればいいだろうか?」

 柳瀬に一連の事件の記憶はなく、桐辰がいくつか質問をしてみたが、全く身に覚えがないらしい。桐辰はそのことを口外していなかった。

「旦那のお心次第でしょうね。ただ、アタシとしちゃ、色々面倒なんで黙っておいて貰った方が都合がいい。しかし、自覚はなかったにせよ、私欲のために五人をその手にかけたことは確かだ。旦那だけはしっかりとそのことを覚えておきなせぇ。いつかまた、同じ事になったときには、旦那が彼を斬らなきゃならねぇんだ」

 桐辰は静かに頷く。

「そうだね。今回のことは、心の奥にでも仕舞っておいたらいいさ」

 将寿はそう言った。

「私欲か……柳瀬は何故、心に闇を抱くことになったんだろうか。俺には判らない。教えてくれないか? それと、あの夜のことについても」

 将寿はあの鎌鼬との対峙のあと何も語らずに帰ったまま、顔を合わせても事件のことを口にはしなかった。なので、桐辰も話題には出さなかった。

 将寿は軽く口角を上げ首を傾げると、近くの茶屋へと入っていった。桐辰もその後に続いた。暖簾のれんをかきあげれば、将寿がすでに菓子を吟味している。

「餡団子を五串。お茶はいつもので」

 盆を手に持った娘に将寿はそう注文した。

 この世にこの人ほど美しい人はいるのかしら、とでも言いたげな茶屋娘は、頬を赤く染めた。心ここに在らずといった様子で恍惚の表情を浮かべて店の奥へと戻っていった。

「鎌鼬は、柳瀬殿の旦那に対する嫉妬心と自尊心に目を付けて、その闇に巣喰っていたのですよ。まぁ、彼がそれなりに腕のたつ剣術使いだったから、ということもふまえてでしょうがね。道場にお邪魔した際に気になって伺ったのですが、彼、随分と強いらしいじゃないですか……奉行所の組って何番まででしたっけ?」

「組? 一組から七組。それから、隠密廻おんみつまわり―通称鴉と呼ばれる奉行直属の内与力で構成されている―を合わせた八組構成だが、それがどうしたんだ? 隠密廻を除けば割り振りは組み合わせの善し悪し次第なんだが」

 店先の長椅子に腰掛け、下駄を半分脱ぎかけの状態で地面に当てて、カラン、コロンと音を立てている将寿。そのまま黙り込んでしまった。娘の運んできた茶に指先を伸ばし、その縁をなぞる。


 「旦那もどうぞ」っと、将寿が勧めてきたので桐辰も茶に手を伸ばした。

 上方の茶だろうか。いつも飲んでいる安い茶より舌触りがさらりとしていて、まろやかな苦みがあり美味い。ついでに団子も一本いただいた。文句を言わないということは、いいということだろうと受け取った。

 桐辰は先の質問の真意が早く聞きたかったので急かしたかったが、それでは余計に話し始め無いだろうと踏み、我慢して沈黙を守った。団子をゆっくりと食べながら待った。団子は鬼のように甘かった。



「七組の副長程度の地位では、納得がいっていなかったんだよ。鎌鼬がわざわざ代弁してくれていたろ? 腕がたつのに、どうして並の桐辰先輩が一組副長を任されていて、自分は末席の副長なんだ。実力なら確実に自分の方が上なのに、先輩との間には天と地ほどの差がある。どうしてなんだ? ってね」

 薄々……と言うよりもとっくに気づいてはいたが、少々自分に対して扱いや物言いが酷くはないだろうかか? 桐辰は首をかしげる。 

「それだけなのか?」

「えぇ」

 短く答える。

 将寿は餡団子の串に手を伸ばした。団子を口に運び、彼は実に幸せそうな顔をする。頬に左手を当て、普段見せないような幸せに満ちた笑顔を浮かべて身震いまでしている。

 どうやら、大の甘党らしい。

 桐辰も、つられて団子に手を伸ばした。が、さすがに二本目は手を叩かれた。さっきの一本は、どうやら将寿の心ばかりのお恵みだったようだ。

「旦那からすればそれだけのことかもしれやせんが、柳瀬殿にはそうでなかった。アタシにとっての甘味のようにね」

「そうか……」

 肩を落として、小さく溜息を吐き、そう呟いた。膝に肘をつき、手を組む。


 柳瀬の心に闇を作ったのも自分だったなんて。桐辰は考えたくはなかった。しかし、それが揺るがぬ事実で現実。彼は今まで、自分に自身の感情を悟られまいと思い、心の奥の底の方に本心をひた隠しにしていたのか。なのに自分は、その上辺に浮かんだ作り物の笑顔にすっかり騙されてしまって、気づいてやることができなかった。信じて疑うことすらしなかった。

 そんな自分を柳瀬がどう思っていたか、桐辰にだって容易に想像がつく。

 悔しいどころではなかったのだろう。その感情は怒りにも近いものだったはずだ。

 桐辰にしても、彼に嫉妬していた。 自分にはない才能を持った後輩を羨んだし、妬みもした。 だから、その気持ちが分からなくもない。

 しかし、所詮頭の片隅で薄く、思うだけですんでいた。それを思えば、柳瀬が抱え込んだ怒りは、それどころではなかっただろう。自分のほしい地位を持った人間がいみじくも自分を羨ましいだのと抜かしていたのだから。

 怒って当然だ。


 彼が何も覚えていないことが、桐辰にとっての唯一の救いだった。



「鎌鼬を誘い込んだのは確かに旦那の所為だよ。けれど、奴を受け入れてしまったのは柳瀬殿自身の弱さが招いたことだ。旦那が原因を作ったことを否定したりはしないが、それだけが全てを引き起こしたとも、悪いとも、アタシは思っていませんよ。悪いのは鎌鼬。それでいいんです」

 それから、と、将寿は付け足した。

「だからと言って、妖の全てが悪だと考えてはいけないよ。人間に善悪があるように妖にだって善悪がある。やむ終えぬ理由があって堕ちる者もいれば、自ら進んで血に塗れる者もいる。間違いを犯すことだってある。それは、『私』達に感情があるからだ。感情というモノはまったく不便なモノだよ。だからこそ、公平な目で物事を見極めなくてはならないんだ」

「俺にはできない……」

 感情的になりすぎる。それこそ、頭に血が上るようなことがあれば、すぐに激昂してしまう。感情移入もしやすい。そんな自分がどうやって公平な目で物事を見極められるというのか、桐辰には考えられなかった。

「旦那だからこそできることですよ。妖でも鬼でも人でもなく、その狭間でたゆたう者。どちらの立場に立っても、意見が言えるでしょ? アタシは……アタシは気持ち的に人よりも妖に近いからね。どうしても、妖に肩入れしてしまう気があるんでさぁ。駄目なんですが、ついつい」

 そう言って、遥か遠くを見つめる将寿。どこを見ているのか。相も変わらず、その表情に感情はない。無表情の仮面を巧みに被ったままだ。

「御前の方が余程、冷静な判断ができるだろ」

「何を言ってやがるんだい、この大馬鹿者が。阿呆ですか? 旦那がその目で見たように、アタシは妖喰い。闇を喰らう者。すでにこの身は人にあらず。闇堕ちを喰らいたいがために人を騙すかもしれないよ?」

「それはない」

 将寿が声を詰まらせたが、桐辰は気にせず続けた。

「俺は阿呆だからな。理由は解らないが、そんな気がするんだ」

 勘だった。将寿という男がどういう人間であれ、悪い人間ではなさそうだと根拠もないのにそう思う。

「でも、お前は俺を信用してはくれないんだな。結局、お前が何者なのか教えてはくれなかった」

「教えたじゃないですか。アタシはその辺にいくらでもいる芸人崩れの用心棒の一人です。ただし……この身の内には危ない同居人がいる」

 桐辰は将寿の寂しげな横顔に目を移した。もの憂げな表情もまた、美しい。いつまでも見ていたい。

「奢るよ。その団子」

 そう言って、桐辰は将寿をじっと見つめた。

「どういった風の吹き回しなんだい?」

 訝しむ目を向ける将寿。あるはずもない本意を探ろうとする。

 桐辰は思わず笑みをこぼした。

「何でもない、後輩を救ってくれた礼だ。依頼料は経費から出されたものだしな。これくらいは当然だ」

「みたらし団子二串追加で」

 すかさず注文。将寿に抜け目はない。

「――ユキ。御前が自分のことをを語りたくないと言うのならば、俺はそれでもいい。詮索はしない。ただいつかは、その……話してくれよ? 『友』なのだから」

 友と言った言葉に将寿は目を見開いた。それから彼は桐辰の金の瞳を覗き込んだ。

 偽りのない言葉だと語るその瞳は、彼には宝石のように輝いて見えていた。

「後悔しますよ」

「そうだな」

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