生成り


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「で、どういった風の吹き回しなんだ? 突然、団子屋なんぞに呼び出して。こっちは忙しいんだからな」

「どうって……こういう?」

 若布が波に揺られるような奇妙な動きをとり、真剣に質問した桐辰をからかう将寿。桐辰はわなわなと震えはしたものの、市中で一般人を斬りつけるなんてまねはできるわけもなく、将寿にからかわれるだけからかわれていた。



 ちなみに、桐辰が将寿の仕事について行ってから半月と少し。将寿は何かにつけて、桐辰の前に現れては彼をからかっていた。稽古中の道場にも現れて、柳瀬との手合わせでの見事な負けっぷりを失笑されこともある。


 だが、今日は違った。


 彼の方から自分を呼びだしたかと思えば、もう一度、事件の詳細を頭から話せと言ってきた。本当に、どういう風の吹き回しなのだか。

「興味が……湧いちゃたんでしょうね、旦那にさあ。それに、この事件……意外に匂う。初めの仏が上がったのが前回の満月だったってのがどうにも、気になってね」

「匂う……? よく解らないが、依頼を受けてくれるという解釈でいいのか?」

「一応、そういうことにしておきまさぁ。それでは、見せてもらいやしょうか」

 将寿はそう言って桐辰に手を差し出した。

「なんの手だ? 前金なんてもの、出さないからな」

 桐辰が腕を組むと、将寿は呆れてものも言えないと言って、溜息を吐いた。

「違いますよ。殺された下手人の記録を拝見願いたいのですよ。それから、町廻りの割り当てが知りたいので、何か……表のようなものは、ありませんか? ついでに、名簿のようなものにも、目を通しておきたいのですが」

「……要件が多いな」

 さすがに、おかしいと渋る。

 何故、わざわざ奉行所の名簿を見る必要があるのか。町を取り締まる側の情報など、罪人を捕まえるに当たっては何の意味も示さないではないか。今回の事件、絶対とは言い切れないものの、内部の者の犯行だとは考えにくい。



 被害者五名には



 第一被害者の女が殺した被害者の中に柳町奉行定廻り方の同心の娘がいた。―そのことから、はじめは内部―つまり、その同心を疑った。動機は明らかだったからだ。彼女に対して恨みがあったことは隠しようがない。


 しかし、彼を拘留して直ぐに次の被害者が出た。男だ。その男が狙ったのは身寄りのなく、夜鷹に身を落とした女。そんな被害者となった女達は当然のこと、総じて身寄りがなく、その遺族による犯行というわけでもないのだ。


 手をこまねいているとそこに、更なる被害者が出た。

 今度殺された男は、刀の試し切りと託けて通りかかる者を無差別に斬り付け殺し五十人。脱獄され追っていたところを殺された。もはや犯人の目星もつかなくなり、特定の者ではなく『辻斬り』だけを狙った同一人物の犯行と予測を付けて検分を進めていった。


 だが、犯人を見つけるどころか、その手がかりは何かが這ったかのような跡のみ。


 その後は若衆歌舞伎の女形の名優。辻斬りばかりを狙ったものではなかったのかと調べたところ、この男の部屋より刀と乾いた血の付いた衣が出てきた。その後、巷を騒がせていた人斬りが姿を消したことから、その役者もまた辻斬りであったことが判明した。


 そして最後に殺されたのは縄をかけて連行中だった少年。病の弟を手に掛け、それを目撃した近所に住む女を殺した後に、逃亡。斬るという行為に快楽を覚えた少年は鬼に堕ちた。この少年を捕らえたのは、丁度白川沿いを見廻っていた柳瀬らの組だったのだが、彼らはその場で気を失って発見された。倒れた経緯は覚えていないということだ。


 殺害方法は一貫していて極めて猟奇的。刀で一度ざっくり切りつけたその後から四肢をばらされていた。殺しの現場は決まって川沿いだ。橋を渡った先にある暗い路地裏。第一被害者が出た時点で夜の町番の巡回を増やしたのだが、犯行はやまなかった。


 桐辰はそれも全部、将寿に話して聞かせた。




 桐辰が眉間に皺を寄せて、訝しげな視線を投げ掛けてみれば、将寿はほくそ笑んだ。彼は渋々、名簿と町番表、それから事件の詳細をまとめた資料を合わせて、人目の比較的少ない細い路地で将寿に渡した。

 もう、引き受けてくれただけでありがたい。と、桐辰は将寿の勝手にさせることにし、自分は腕を組んで壁にもたれ掛かり、しげしげと文字を指で追いながら何やらぶつぶつと呟く奇妙な男、もとい、将寿を眺める。

 事件を解決してくれるだろうと、白勒はそう言って将寿のことを紹介したが、彼がどういった人物でどうして知り合ったのかなど、全く話してくれなかった。確かな腕を持ち、信用に足る人物だとだけ言っていた。


 自分の正体を見透かした男だ。ただの用心棒でないことだけは確かだ。



「へぇ……あの子、七組の副長さんなんですね」

 定廻り方の名簿と藩割りを見ていた将寿が感心したように、そう言った。

「あの子?」

 桐辰の問いに将寿は帳簿から目を上げた。

「ほら、この間。団子屋にいたときにさ、一緒にいらした可愛らしい子ですよ。小さくて、まるで猫のような瞳をした童――」

 桐辰は、苦々しげに笑った。

 否、柳瀬のことを子供と間違えるのは仕方のないことだ。そのことは、桐辰とて、重々承知している。初めて、彼を見た者は必ず勘違いするものなのだ。それも、彼の成りの小柄さから考えて、仕方のないことだろう。皆、奉行所の羽織を着て部下に命令を下す姿を不思議に思って首を傾げ、あの子供は何様なのだと尋ねてくるのだ。そんなところを何度も何度も見てきたし、何度も何度も尋ねられてきたのだから。

 さすがに、可哀想だなと哀れに思う前に、またか、と思うようになってきていた。慣れというものだろうな。

 どうせ、将寿も同じことだろう。そう思った。

「そう、童のように小柄な後輩君。柳瀬殿でしたっけ」

「ふぇ?」


 思わず、素っ頓狂な声をあげてしまった。

 周りの人々がクスクスと笑い声を漏らすのが聞こえ、桐辰は赤面した。


「あー……知ってたのか?」

「何をだい? 奉行所のお役人の仕事が、年端もゆかぬような元服前の小さな童なんぞに勤まるわけがない、というのことを知っていた。ただ、それだけのことですよ。何、旦那。貴方は童に人を斬れと、言えるんですかい?」

 将寿は「当たり前のことでしょ?」と、そう繰り返し言いたげな目で桐辰を見下すように見た。

「まぁ、あれだ。そういう……成長しにくい体質なんだ。だから、気にしてやるな」

「そんなこったぁ、どうでもいい。ところで、旦那の―一組の今日の担当区域、四丁目ですね。貴方が、副長って……どういった冗談なんだか。相方さんの化野あだしの兵衛門ひょうえもんさんという同心様の方が強そうな名前じゃないの。……ん? そういえば、四丁目といったら、芦原の近くですよ、ね」

 嬉しそうに、毒気満載の満面の笑顔を浮かべる将寿に、桐辰は不覚にも惚れてしまいそうになった。だが、しかし。あれはあれでもああ見えて、男だと思い返しとどまる。


 そして、魅とれる代わりに「何だ」と、問うようないう目を彼に向けた。


「いやですねぇ、旦那ったら……自分はアタシの仕事についてきて、邪魔をしたくせに。アタシのお願いが、聞けないと?」

「な、何が言いたい……?」

  目が泳ぐ様を嬉々として見つめる将寿。なんだか楽しそうなのはいいのだが、この流れは明らかにまずい方向に向かっている。この先に待っている答えは一つだろう。

「仕事帰りに、アタシの所に来てくださいな」

 思った通りの答えだ。

「何故だ? 明日では駄目な用か?」

 一応、平常心を装ってはいるが、桐辰の心臓は恐ろしい早さで鼓動していた。

「駄目ではありませんけど。今夜じゃないと、また、死体があがることになるよ、恐らくね……嫌でしょう? 犠牲者が増えて、その上、目の前に面倒事が山となって積まれていくのはさぁ」

 背筋が凍るかと思うほど冷たく、感情のない言葉。将寿の表情が陰る。

「言い切れるのか?」

「えぇ、考えが正しいなら恐らくは、ね。ただ……まだ、そうと決めるに至る確かな証拠もなくて、勘の域を出ない。その上、理由が解らないんですよね。目的は明らかなんですけど、ね」

 将寿の顔からは冷たさや陰りが消え失せ、元の無表情に戻っている。その綺麗な顔から、表情が消えた。だが、その中に、正体の掴めない、得体の知れない何かが隠れているのを、桐辰は見逃さずにしっかりと捉えていた。


 ゆっくりと、注意深く視線を向ける。


「その、目的とやらは?」

「人の心の闇と、血肉、ですよ……」

 妖は、人の闇に巣くいそれを喰らい、存在している。そのくらいのことは、桐辰も幼い頃より信心深い祖母に聞かされていたので知識として所有していた。


 そう、この事件は怪異。そして、その怪異を起こしている原因こそ、妖なのだ。桐辰も馬鹿ではない。



 人の心の闇、そして、血肉。

 それだけで、十分だった。



「……御前は一体、何者なんだ?」

 将寿は黙って、考える。



――女郎小屋に巣くう男ですかね



 そして、それだけを答えた。

「それは解っている。その素性が知りたい」

「ただの芸人崩れでさぁ。物心つく頃に、両親に……正確には父親に見世物小屋に売られちゃったんです。その後、白勒に拾われて見様見真似でこの稼業を始めたんです。私自体は普通の人間以上の何者でもありやせんぜ」

「俺はてっきり……」

「得体のしれぬ存在だとか? あながち間違いではないよ。忘れたいことを忘れてしまった人間ですからね」

 桐辰は将寿の美しい真っ青な瞳を覗き込んだ。

「アタシは自分が何者で何をしなければならないかは知っています。母と呼べる者も父と呼べる者もいる。とっくの昔に縁切りされてしまいましたが、ね。でも、何で、いつ、何処で、どうやって『私』が生まれたかは判らない。それが『私』という存在だ」

 将寿はそれっきり黙り込んでしまった。触れてはいけない一線に触れてしまったのだろうか。

「なぁ、御前なら気づいてるんだろ? 俺が、その……ただの人ではないと。御前もどうせ、人ではないんだろうからさ」


 将寿は、ゆっくりと伏せていた目を上げた。



 人々の騒めきが、煩い。

 そう思えるほどに、二人の間には時間が凍ってしまったような、そんな沈黙が流れる。



「俺の母は、俺を身籠みごもっているときに、羅刹らせつに食われて死んだ。その羅刹を退したのが白勒で、赤子の泣声がすると鬼の腹を割いたところ俺が出てきたのだそうだ。羅刹の――鬼の妖気を浴びた俺は鬼の成り損ないとして産まれた。まぁ、色々とあって生家を勘当かんどうされて追い出され、今に至る」

「生成り《なまなり》なのでしょう? ……知っていますよ」

 桐辰は驚いて目を見開いた。

 さすがに、そんな個人情報を知られていたとなると、将寿がどこから情報を得たのか気になる。



「白勒に秘蔵の酒を送ってやったら、一発で吐きましたよ」



 あの破戒僧の生臭坊主を信用するものではなかった。

 人がどれほど、他には言うなと口封じをするのに苦労したと思っているんだ。「高い酒を積めば黙っておいてやる」と言った先に、よりにもよってその高い酒で簡単に吐てしまうなんて、あまりにもあんまりではないか。

「まぁまぁ、そう怒らないで。聞いたのがアタシだったからこそだからこそ、話したんだろうから、ね?」

「御前だから?」

「はい」

「どうして?」

「さて、どうしてだろうね」

 答えを巧くはぐらかされる。

 そしてまた一つ、謎が増えた。

 これ以上謎が増えてしまってはたまらないと、桐辰は将寿に亥の刻半に門前に立っているようにとだけ伝えて、足早に去っていった。

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