重い足


          3


「はぁぁ……」

「先輩、どうしたんですか? 溜息なんて吐いちゃって」

 団子屋で休憩をとる桐辰の疲れた顔を覗き込んで大きく真っ黒な猫目。

 桐辰は隣に目をやると、再び大きく溜息を吐いた。

「あぁ。昨日、少しな」


 思い出しただけでも腹立たしい。

 一介の、ただの用心棒風情―しかも、昼間から雇われている見世の女に手を出すような不届き者―のもとに奉行所の人間である自分が足を運んでまで事件解決の依頼をしに行ったというのに、話を聞いただけで断られるなんて。


 何故、怪異ではないというだけで断るというのか。


 怪異だから断るといわれるならば判る。というよりも、怪異が絡んでいない方が数倍、否、数十倍も仕事がしやすいものだろう。簡単な仕事で、簡単に大金が手に入る。これほどいい商売はほかにはないではないか。

 奉行所の手にも余る事件ということなので多少は難解だろうが、一応、彼はその手の専門家だと桐辰は白勒より聞いている。ついでに、頭の切れる者だとも。

「あの用心棒、今度その辺で遭ったら奉行所に背負っ引いて行って、牢にぶち込んでやる」

 そう言いながら団子の串に手を伸ばす。

「あはは! 先輩、どんなに頭にきても職権乱用? 権力振りかざしちゃいけないっすよ!」

 どこのツボにはまったのか、腹を抱え込んで、転げそうな勢いで大爆笑する少年、柳瀬やなせ行李こうりを呆れた目で見る。

 彼は桐辰の五つ下の二十一で、桐辰のことを先輩と呼ぶように彼は後輩に当たる。

 真っ黒な髪を一つに結い、桐辰と同じ着物を身につけて、腰に太刀と脇差しを帯刀しているので子供ではないということは判る。のだが、幼い顔立ちに大きく黒い猫目のせいで到底、大人には見えない。

 本人も気にしていることなので、口には出せない。


「御前もぶち込むぞ……そういえば、御前、町廻り《まちまわり》―定廻による見廻り番―はいいのか?」

 半眼になって後輩を見やる。

「やばっ……!」

 柳瀬は、回れ右をすると三丁目の方へ向かって、脱兎の如く走り去っていった。




「腰の刀が地面すれすれですね」


「――!」

 桐辰は驚き、勢いよく振り返る。

「心外ですぜ。アタシは幽霊でも、妖怪でも、ないんですから」

 将寿だった。

「いつの間に横に座ったんだ」

 桐辰の横でくつろぎながら団子を食う無表情の美人。細い指についた甘ダレを舌で、ぺろっ、と舐めとると、その手で襟元を正す。

 一瞬、その仕草の美しさに目を奪われた桐辰であったが、先程、柳瀬に言った言葉を思い出し、将寿を睨みつけると立ち上がり、刀に手をかけた。

「どうしたんだい、旦那?」

 からかうように言う将寿。

 今日の彼は髪を綺麗に結い上げている。長月もとっくに中旬だというのに着物は藍の縦縞が粋な単衣ひとえ。それに藍鼠あいねず兵児帯へこおびといった出で立ち。足下は裸足に下駄かと思ったが、こちらは足袋に雪駄だ。

「何をのうのうと俺の前に現れてくれているんだ」

「それは此方の台詞だ……下手人はどうするんでさぁ? また、次の被害者が出てしまいやすぜ?」

 将寿はみたらし団子の串をつまみ上げるように持ち、口に運んでいた。甘ダレが唇の端に落ち、下で舐めとる。

 蒼い瞳が桐辰を見上げた。

 反論できない。

 桐辰は下唇を噛み、刀を元に戻した。


 不甲斐ないにも程がある。


 自分達の管轄下であるこの町に、危険な犯罪者を野放しにしてしまっているなんて、あってはならないことだ。それこそ、柳町奉行所の名折れ、面汚しだ。

 しかし、既に、こんな得体の知れない性別迷子の輩に依頼をしに行った時点で面目丸潰れではある。



 将寿は口角を上げて、意地の悪い笑みを浮かべた。まるで、全てを見通しているかのような蒼い宝石のような瞳が桐辰を射抜く。

「――妖というものはね、闇がなけりゃあ生きてはいけない。そんなものなんです。人が光り無しで生きていけないのと一緒で、ね。貴方もまた、そうなのでしょう?」

 言葉が出ない。

 桐辰はこの男に自分のことを話した覚えはない。それは絶対だ。

 何かきっかけがあったとするならば昨日だろう。だが、あの時は少し頭に血が上っただけだった。その片鱗も、この男には見せていない。怒りにまかせて怒鳴った。それだけ。あれくらいならば大丈夫だったはずだ。


 桐辰は立ったまま動けなくなった。口の中は乾き、目は泳ぎ、足下が震えて、声は出そうと思っても出てはくれない。

 将寿は、そんな彼をじっと、その蒼で見つめるだけ。ただ、それだけ。何も語りはしない。

 それなのにも関わらず、桐辰はというと、蒼白な顔をして震えている。彼の中にある、踏み越えてはいけない一線に将寿が触れていた。

「やっぱり。貴方、面白いですね。白勒から、聞いた通りに、ね」

 桐辰は不快とばかりに眉を跳ねた。

「そうそう、崑麓洞こんろくどうさんっていったら、どっちでしたっけ? アタシ、場所を覚えるのが本当に苦手でして……でも、甘味処のある場所は全部、覚えているんでさぁ。不思議でしょ?」

 首を傾げる将寿。

 桐辰は我に返ると、無言で右手を指した。

「あら。以外に、親切ですね。ありがとうございます」

 将寿は腰を上げるとそう言って、目を伏せて自分を見ようとしない桐辰の肩を軽く叩いてから、店の主人に金子を渡して桐辰の指した方へ歩み始めた。

 桐辰はそれを背中で見送った。だが、突然、何を思い立ったのか、強く拳を握りしめると将寿の背中を追いかけた。

 金を払うことも忘れて。



     *     *



 何故、自分が突然そのような行動に至ったのかなんて桐辰自身にも解らなかった。 けれど、気がついたときには走っていた。体が勝手に動いていた。まるで獲物を狩る獣のように。

「待て、用心棒!」

「意外、粘着質な男だねぇ……で、何の用なんだい?」

 そう聞かれては、桐辰も答えることができない。追いかけてきて呼び止めたのにも関わらず、その理由が解らないのだから、当たり前だ。また、将寿は、そんな桐辰の心を見抜いたように口端をつり上げた。

「これから仕事なので、失礼しやす。私は君の獲物になんざぁ、さらさらなりたくはありやせからね」

 桐辰には理解ができなかったようで、異人風の顔には疑問の表情が浮かんでいる。

「その仕事とやらに、俺も同行させていただこうか」

「ん? いいですよ。代金の受け取りと、少し経過を見に行くだけだからね。ただ……旦那、仕事中なんじゃあないのかい?」

「今日は、非番だ」

 将寿は納得したのか、詰まらないと呟いたあとは、特に何も言わずに、隣に並んで自分をじろじろ観察する桐辰も気にすることもなく、目的地に向かって歩みを進める。

 桐辰はそんな将寿を見て、急に恥ずかしくなり赤面すると、咳払いをし、彼の半歩後ろを歩くことにした。


 長身の自分と肩が並ぶ程の背丈を持った男の背中を見て歩く。

 異様な目立ちようだ。


 男物の着流しを、衣紋えもんを抜いて着て、帯も女の位置で締めた可笑しな格好。顔には極々薄いが白粉を塗り、紅を差している。だが、着物の中には膝上までの黒い股引のような物を履いているのがはだけた瞬間に見えた。裾を捲り上げてはいないが…………まぁ、だいたい、町人風といった感じだろう。

 まったく、ちぐはぐな服装である。

 だが、一番目立つ要因は、そのまるで風を誘うようになびく見事な銀髪と玉のような蒼い瞳。

 鎖国から開国だのなんだのと騒がれる今のご時世、この倭国やまとのくにでは髪と瞳の黒くない者――異人は好まれない。歓迎されなかった。白子しらこだというのなら話は別だが、それは聞いてみないと判らない。ただ、桐辰もそうなのだが、異国の血を引いているわけではなさそうだ。


 けれど、普通そんな頭と瞳をして珍妙な格好で出歩けば、人々からの奇異の目は避けられないはずだ。


 しかし、そんな事はまったくなく、尊望やら僻みやら、女達のきらきらと輝く様な視線が彼に向かって投げられている。なんだかこの男の傍にいるのは、居心地が悪い。

「旦那は人気者だね」

 暢気に呟く声が前方から聞こえてきた。

「御前がだろ」

 自分に向けられている視線でないことぐらい、桐辰は解っている。

 まるで飴細工のように透き通った色の薄い金髪に日の光に煌めく黄金のような金色の瞳。大陸東域に住まう異人風の顔立ち。その上、周りよりも頭二つ分も飛び抜けた身長。桐辰は明らかに、将寿と同じくらい……否、彼以上にこの町の風景から切り離された存在だろう。




「あぁ、着きましたよ旦那」

 桐辰が顔を上げると、崑麓洞の看板の文字が目に入った。気づかないうちに一町ほど歩いていた。

「ああ、代御殿! お待ちしておりました」

 店先に将寿が顔を出すやいなや、待ちわびていましたとばかりに姿を現した主人。彼は将寿に対して深々と頭を下げた。桐辰のことは全くと言っていいほど、視界に入っていないらしい。

「ささ、此方へ。ん? 其方は……奉行所の……」

 顔を上げた主人と桐辰の目が合う。が、明らかに歓迎されていない。

「まぁ、なんです。アタシの連れですよ。お気になさらず 」

「左様ですか」

 そう言いながらも、店の主人の目は桐辰の髪と瞳をよく思っていない事を辛辣に語っていた。桐辰も慣れてはいたものの、ここまではっきりと態度に出されるとさすがに、堪える。

「悪い人じゃあ、ないよ。容赦してやってくだせえ」

 すかさず、桐辰の耳元で将寿が囁いた。

 どうしてこうも間がいいのか。だが、その間の良さに救われる。

「娘さんの具合はいかがで?」

 将寿は営業用であろう笑顔をその顔に貼り付けて店主に声をかけた。

「御陰様で、今ではすっかり良くなりましてね。立つまではなんとかできるまでに。それもこれも、代御殿の御陰でごぜぇやす」

 将寿は満足げに微笑んだ。世の女性達をまとめて一発で射止める威力はありそうだ。そればかりか、男色の男共も釣れそうではある。

「そうですか。それは良かった」

「ところで、何の仕事を頼まれたんだ?」

 小声で聞いてみる。

 やはり、気になったからには聞かずにはいられなかった。

「娘さんの足が突然動かなくなったんですよ。まるで、こう……石のように固まってしまって、ね。名高いお医者の方々に診せて回ったが甲斐なく。そこで、町一番のお医者にも診てもらったはいいが、そのお医者殿もまた他の者と同じくお手上げ状態。で、あなたと同じように白勒の紹介でアタシの所へ、ね。で、娘の足を治してくれと頼まれたんです」

「町一番の医者でもお手上げの症状をどうやって……?」

 そう尋ねると、将寿はにんまり笑って口元にそのほっそりと長い指を立てた。その動きにまた、息を飲む。

「企業秘密、ですよ 」

「胡散臭いぞ」

「放っておいてくださいな。知ったところで理解できないだろうから、ね 」

 桐辰はその言葉に疑問を持ったが、あえて今は何も聞かないでおくことにした。聞いたところで、まともに答えてはくれないというのが、当然のオチだろう。

 主人は立ち止まるとその場に膝を突き、中にいるのであろう娘に呼びかけた。

「どうぞ。お入りくださいな」

 襖の奥から聞こえた鈴を転がしたような澄んだ声。

 主人が襖を引いたので二人は中へと足を踏み入れた。




 中にいた少女は、布団に横になって上半身だけを起こしていた。真っ黒な髪を横で結わえて、襦袢の上に羽織りを羽織っただけの格好だ。さり気なく、胸元を隠している。

「経過は良好だそうですね、お千さん」

「はい。将寿様の御陰でなんとか立てるまでに」

 明るい日溜まりのような笑顔を浮かべる少女、お千。本名は千代というらしい。彼女はいたって健康的で、いかにも商人の娘と言った風だ。とても、何か病を患っているようには見えない。


 ついでに、将寿が隣に腰を下ろすとほんのり頬を赤く染めた。


「少し、診せてもらうよ」

 そう言って、将寿は純情な乙女の足をまるで品定めをするかのように入念に、遠慮もせずにジロジロ、ベタベタと診始めた。桐辰はその行為に、気が気でなかった。将寿との初対面の場面を思い出すに、この男は基本的にその本能というモノに忠実だ。この、まだ仄かに幼さを残した女としては未成熟な少女にも手を出しかねない。


 危険すぎる。


 桐辰は、そう思って、将寿から目を離さないでいた。

 一方で、将寿はというと、そんな桐辰の失礼な行為に気づいておきながらも、完全に無視を決め込み、最後の仕事をしていた。

「あと、一週間もあれば完治しますね 」

「良かったぁ。ありがとうございます。将寿様」

 嬉しそうだが、どこか残念そうな笑みを浮かべる少女。

 将寿は何も答えず、ただ、微笑み返した。

「もう二度と、障らぬように、気をつけなさい。 は闇を好む上に見境がないから、ね」

「……はい」

 将寿は少女の気持ちに気付いていたなのか、彼女にそれ以上何かを言うことなく、足早に退室した。

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