からすの唄

 大津波が襲ってきて一年が過ぎようとしている。

 すでに家族が生きているとは信じなくなっていた。津波で母や妻、娘の三人を一度に失ったと他人に語り、自分も理解できるようになっていた。

 三人が生きていたあかしは自分の記憶に残っている物以外何もない。この記憶さえ目覚めた瞬間などは想像のたま物にすぎないような危ういものである。虚脱感から立ち直るために無理に記憶を手繰り寄せ、過去を構築し直すしかないのである。

 後悔も多い。

 具体的な変事を予想した訳ではないが、大きな異変が起きると胸騒ぎを感じ、特に大津波が街を襲う三月十一日の朝には強い不安を感じた。家族と離れてはいけないという衝動にかられ、いつも一人で出かける子犬の散歩に家族を無理に連れ出そうとした。妻と娘は軽く断った。母は足をこすりながら痛いからと断ったが、妻と娘には行けと説得してくれた。

 だが二人とも耳を貸さなかった。母が説得を諦めた時の悲しそうな表情も脳裏に焼き付いて離れない。彼女も僕と同じ不安を感じていたのではなかろうか。

 とにかく、三人を無理に連れ出すべきだった後悔するのである。

 街が一望できる高台に登った途中で大津波が街を襲って来た。

 あれから一年が過ぎようとしている。

 津波に流されて焼け野原のようになった街にも道路と街灯も戻ったが、日雇いの仕事を終え、仮住まいの住宅に帰る足取りも重い。

 風はないが冷たい。

 降り積もった雪が道路の両肩にかき上げられている。

 道路の窪みにたまる水溜りの水は凍っている。

 はるか向こうに廃墟になった白いコンクリート建物が暗闇に浮いている。

 死んだような静けさが漂う街には奇怪な光景である。その風景を背景に薄暗い人通りのないアスファルト道を古い乳母車を押す女が近づいて来た。

 布に包まれ赤子が乳母車の中で手を振りはしゃいでいた。うつむく女は子どもを慰める唄を口ずさんでいる。

「カラス、なぜ鳴くの。カラスは山に」

 聞き覚えのある唄である。

 母が歌っていた子守歌である。 

 彼女はカラスの唄だと教えてくれた。

 昼間は群れていた暗い空にはカラスはいない。

 横を通り過ぎる時に若い女の声が低くしわがれた低い声に変わり、唄ではなく言葉に変わった。

「苦しかったことや悲しかったこと、人を傷つけたことや傷つけられたこと。すべてを忘れる時がくる。今は幸せ。やがてみんな一緒になる」

 母が津波に流される数日前に語っていた言葉であった。振り返ると乳母車も、押す女も遠ざかっていた。

「生まれる。大人になる。男に抱かれて子どもを産む。一所懸命に働き子どもを育てる。子どもは成長し、自分は老いる。慈しみ育てた子どものことも忘れてしまう」

 生きるとは単純なものだと思えるようになった。悠久の歴史の中で人は、この繰り返しにすぎない。後悔や過去を振り返る必要もないのである。

 すべてを忘却する安らかな日が早く来いと祈った。

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