第39話空と海

 室戸岬の先端付近に洞窟がある。

 太平洋の波に浸食され岩肌をむき出した鍾乳洞のような洞穴である。

 波静かな晴れた日には洞窟の中から空と海が混沌し、一体に見える。

 弘法大師空海が悟りを得た聖地である。

 その洞窟の隅に息絶えた自分の亡骸をうつろな目で眺めている。


 人生がこんな無残なものと想像だにしなかった。

 苦しめ続けたのは三十年も前の離婚騒動である。

 頭の片隅から離れたことはなかった。

 隠そうとすると逆に陰口を聞くことになる。

 自分でも真実を知りたいと思い続けていた。

 法廷で争いたいとも思った。

 再婚をして、子どもを一人もうけて幸せな家庭を得ても無念さは消えなかった。

 未練はなかった。だが無念さや過去に対する恐怖が人生を台無しにしたのである。

 無能力者にされたのである。

 過去の傷や、恐怖心が家庭を崩壊させた。

 だがこれも自ら命を絶った理由にはならない。

 三月十一日のことである。

 日本人は阪神大震災頃から予知能力を得た。

 大きな不幸なことが起きる前に、国の指導者を変え厄払いする。

 倒錯だと笑うなかれ。

 ドジョウやナマズの予知能力よりを信ずるより合理的である。

 知った時には、すでに遅かった。

 呟くしかなかった。

 国は最善を尽くすと信じていた。

 事故の無事終息を祈った。

 だが現実はどうだったか。

 勉強のためだと、対応苦慮する現場に行き、占領地の日本の厚木空港に降り立つマッカサーさながらのポーズで写真に収まる首相。

 国家有事に最後の砦のはずの自衛隊も原子炉が水素爆発で無残な姿を晒すまで何もなし得なかったのか。

 東電社長を東京への空輸途中で引き返すと言う失態。

 途中で原発事故など関係ないと背を向けたのか。

 省利省益を守るために十一日の夕刻の対応に意思を揃えたのか。

 現場では発電機を求め、右往左往しているのを知らなかったのか。現場で人手が足りずに作業が間に合わなかった。

 なぜ発電機を運ばなかった。わずか数十名の整備要員も運べなかったのか。

 事故に一切、関係ないと正当化するための社長空輸中断だったのでないか。

 倒錯だと笑うなかれ。


豊かな土地を失った。

 放射能汚染は首都まで広がった。

 国民の健康を蝕み、遺伝子を破壊された奇形の子も生まれよう。

 これほどまでに国や政府、社会があやふやで八百長にあふれた存在だったとは。


 まじめに考えてきた者はどうなる。

自分を陥れ、言葉を封じた者を呪った。

 空虚である。

 正義もない。

 すべてが八百長であった。

 洞窟の中で悟ることはできない。

 邪念、妄念、無念も魂を去らない。

 弘法大師空海は迎えに来るのだろうか。

 それとも冥界への旅も一人旅になるのだろうか。

 幽霊になった私は、うつろな目で洞窟の隅の自分の亡骸を眺めていた。

 亡骸は硬直し、やがて蛆虫が沸こうとしている。

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